【断捨離】似合わないのに執着してしまう理由【かわいいの呪縛】

魅力的になるには自分の持ち味を生かすこと。


こんにちは、サオリです


私は昔から女の子らしいフェミニンな服が好きで、花柄、フリルは大好物。


10代後半から21歳あたりまでスナイデルのフリルたっぷり&パステルカラーのミニワンピースが大好きでした。(Viviの甘い系とかキャンキャン、美人百花系が好きだった)

でもスペックは骨格ストレートで顔タイプもクール寄りのエレガントタイプ。

パーソナルカラーはビビッドウィンターでホグワーツ魔法学校に入学してたらスリザリンな見た目。

闇属性がかわいい恰好をしているわけだからそれはそれは野暮ったい見た目をしていました。


似合わせ理論を知ってから、どうしてもあか抜けたいので今までに集めた似合わない服を手放そうとしたのですが、捨てられない。

最終的にはヘアメイクの専門学校に入学するときに「メイクさんはこんなフリフリした服着ないよね!」と自分の好きな気持ちを押し殺し、断腸の思いでゴミ袋いっぱいに服を突っ込みました。

 

フェミニンに執着していた理由。フェミこそ女の頂点

 

服の系統を変えるまで野暮ったいと感じながらもフェミニン服に執着していたのですが、なんでこんなに執着していたのかというと、

そのとき自分の中で「モテのカースト」「女のカースト」みたいなものがあって、その頂点に君臨していたのが美人百花みたいなフェミニンな恰好をした女だったからです。

フェミニンな恰好をしていないとモテないと思っていて、それだけじゃなくそういう格好をしていないと女じゃないとさえ思っていました。


だから似合わせ理論で自分はカーストの頂点タイプじゃないと知ったときは負け犬になった気持ちだったし、

フェミニン服を捨てる事=女を捨てる、モテを諦める事だったので服を手放すときとても辛かったんです。


人のどういう所に魅力を感じるのかはそれぞれで、そこに上下は存在しないのに「かわいい服が似合わない自分は負け犬」と思っていたのはやっぱり雑誌の影響が大きかったと思います。


10代後半から20代前半向けの雑誌の「モテ特集」って、だいたいはモデルがフェミニンな恰好してるじゃないですか。

だからモテのカーストの頂点がフェミニンになったんだと思います。(私の中で)


あとオシャレ経験値があまりにも低く、単純にかわいい服(=フェミニンな服)を着ればかわいくなれる、

逆にフェミニンな服を着ないと自分はかわいくなれないと思っていました。

 

クールな恰好でもかわいいと言ってもらい価値観が崩れた

 

で、この考えが崩れたのは上京して自分の服の系統を似合わせ理論通りに変えた時。


ZARAのシンプルな白のノースリーブのブラウスに黒のタイトスカートというクールでヘルシーな肌見せコーデをしていた時。

男性から「かわいいね」と言われたことがあり、このとき「フェミニンな恰好じゃなくてもかわいいと思ってもらえるんだ」と思ったんですよね。

その後も似たような出来事が結構ありました。


女性が「かわいい!」という対象って、必ずしもキティーちゃんみたいな「cute」なものだけじゃないですよね。

キュートじゃないキャラクターでもエモかったら(心動かせられたら)かわいいって言うじゃないですか。


それと同じで男性も、その女性がかわいくなくても(おめめクリクリ&華奢でゆるふわカールヘアな分かりやすいcuteじゃなくても)女性としての魅力を感じて男心をくすぐられたらかわいいと感じるんです。


(ボディラインが出る服や、きれい色のスカート、シースルーの服、ヘルシーな露出など女性ならではの恰好)

 

自分の魅力を最大限に発揮するのが最強とクラスメイトをみて実感した

 

それから専門学生の時に、ヘアメイクの学校なのでオシャレな子がたくさんいたのですが、中でもずば抜けて個性が際立っていて素敵なクラスメイトがいました。

その子は肌が浅黒く、目は一重で細いパリコレモデル系クールビューティさん。


彼女は自分のキャラクターを理解していて、いつも自分に似合う洗練されたコーデをしていました。とにかく2年間の学校生活の中でダサかった事が一度もない。

ライダースジャケットが本当によく似合ってました。

もし彼女が自分のクールな魅力を否定してかわいいに走ったらたぶん私は彼女の事を素敵だと思わなかったと思います。


彼女のおかげで“自分の魅力100%全面出しコーデ”の良さに気が付けて、似合わない系統の執着も少なくなっていきました。

だって自分も素敵になりたいじゃん?


フェミニンというより特定のアイテム、コーデに執着してた

 

昔は気が付けなかったのですがフェミニンな服に執着していたというよりは特定のアイテム、コーデに執着していました

例えばフリルのブラウスとフレアスカートを着ないと、パステルカラーじゃないとフェミニンじゃない、みたいな。

 

↑この記事にも書いているのですが、フェミニンコーデは甘いブラウスを着なくても、フレアスカートを履かなくてもできるんですよね。

ファッションってトータルバランスだから。

フェミニンと言っても幅が広いので、昔似合わせ診断で必要以上に落ち込む必要なかったなーって思います。

ほんとに視野が狭かったです。


今はフェミ系統もお色気に昇華することによって楽しんでおります。

 

今が一番若い。今の魅力を楽しむ!

 

数年前にピンク色のプリーツスカートを買いました。

正直すごく似合ってたわけではないですが、その時は野暮ったさも許容範囲だったのでよく着用していたのですが

今年になって着用してみたらとにかく野暮ったく、似合わなくなっていました。(腰のハリが目立ちすごく太って見える…)


生地が上質なもので、全然痛んでないし、スカート単体だけで見ればすごくときめくスカートだったので手放すのは惜しかったのですが

似合わなくなったスカートに執着している今この瞬間にも自分は年を重ねているんだと思ったら「今の自分の魅力を楽しまないと!」と思い手放すことが出来ました。


こう考えられるようになったのもきっと自分の魅力を引き出す服の方が大事と思えるようになったおかげだと思います。

 

【アラサー】私がジーンズを履かなくなった理由。スラックスが快適すぎるんだよ【きちんと感大事】

履かなくなったけど、いいなとは思う



こんにちは、サオリです


数年前から若者のジーンズ離れという言葉をネットやニュースで見聞きするのですが、私もその「ジーンズ離れ」した一人で、25歳の時にジーンズをすべて処分しました。

今はパンツと言えばセンタープレスパンツ一択。

ジーンズを履かなくなった理由には履き心地などいろんな理由があるのですが、一番の理由は手抜きしているようにしか見えなくなったからです。

 

 

ジーンズが手抜き&生活に疲れて見えるようになった


私はそれまで濃紺のスキニージーンズを愛用していて、ブラウスやパンプスなどのきちんとアイテムと合わせたコーデが好きでした。

しかしある日電車の窓に映った自分の服装が、家の鏡では完璧だったのに「手抜きコーデ」にしか見えなかったのです!

同時になんだか生活に疲れているようにも見えて、ちょっと前までは素敵コーデだったのになんでこんなことが起こってるのか理解不能でした。


ネットでたびたび「30になったら今まで着ていた服が似合わなくなった」というのを見るのですが私は25歳でそれが起こっていたんです。(老け顔だからと思われる)


最初はジーンズが似合わなくなってしまったことが受け入れられなくて、ファッション雑誌や、街を歩いている見た目年齢同じくらいの人のジーンズコーデを参考にしたりしたのですが、

年齢に伴ってきちんと感を出した方が素敵に見えるという結論に。

(なおパーカーやボーダーなどがが似合うカジュアル大勝利な人はこれに当てはまらないと思われる)


自分単体で見るときれいにまとまっているコーデでも、カジュアルを素敵に着こなす若い子がたくさんいる街中ではどうしても相対的に見劣りしてしまうんですよね。

↑出かける前は完璧だったのに外では手抜きに見える理由はコレでした。


ロングコートを着てジーンズの見える面積を狭くするとか、全体の色味を抑えるとか方法は考えたのですが

・ロングコートを着てジーンズの見える面積を狭くする
→夏は!?

・全体の色味を抑える
→もう気分が落ち込むような暗い色の服は着たくない…


という感だったのでジーンズに執着するのはやめました。

 

スラックスがジーンズよりはるかに快適な件


そしてジーンズの代わりに履き始めたのがネイビーのセンタープレスパンツ。

これが本当に良くてジーンズよりはるかに快適。

脱ぎやすいし締め付けない、夏は涼しい冬はあったか。色移りの心配もない。(←昔フルラの白いバッグにジーンズが色移りしてしまった)


手持ちのトップス全部に合うし、特にユニクロのセンタープレスは買って2年、

ほぼ毎日履いていて家でスクワットとか結構してたのに膝ぽこなし、シワなし毛玉なしで何でできてるんだよってくらい優秀。逆にこわい!!!!!

ストレッチ効いててデニムより動きやすい。

もう死ぬまでこのパンツでいーわってくらい快適。

(※褒めすぎだけど決してステマではない)


きちんと感があるのでトップスを色物にしてもカジュアルになりすぎないところが気に入っています。


そんなことで私はセンタープレス一択になったのでした。


おしゃれ偏差値がぐんと上がったのはスラックスを履くようになってからだと思う

 

何を着たらわからないオシャレ難民だった頃、MBさんのメルマガを読んでいたのですが(メンズファッションについて書かれたメルマガだけど読んでた)

ボトムスは印象を整える効果がある。ボトムスはお味噌汁の出汁のようなもの。出汁が取れていない味噌汁にいろんな具材(トップス)を入れても美味しくならない=オシャレにならない


というようなことが書いてあり、スラックスを履き始めてからとにかくこのことを実感しています。


私は昔からとにかくカジュアルが似合わず、Tシャツとか部屋着にしか見えてなかったのですが、

スラックスを履くようになってからはTシャツコーデも大人カジュアルに決まり、暑い日も快適に過ごせるようになりました。(それまで夏はダサ見えで諦めていた)

スラックスは子供は履かないオトナアイテムなので、履くだけでオトナな印象になります。


スラックスは色展開も多いのでカラーコーデもできるようになり、自分は色でカジュアル度合いを調節するのが向いてるな~と思いました。

カジュアルアイテム似合わねーって人はきちんとアイテムの色物に挑戦するよろし。


なんかスラックスって今までオフィスワーカーが履くものと勝手に決めつけていたのですが、私と同じこと思ってる人はめっちゃ便利なアイテムなので一度チャレンジしてみて欲しいです。

 

家じゅうを徹底的に掃除したら生活の基本的な事ができてないのに将来が~とか考えてた自分が馬鹿らしくなった

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人生に文句を言うのは当たり前のことをやってから


こんにちは、サオリです

少し前から掃除に凝ってて毎日頑張って部屋中をお掃除してます。


きっかけは「おそうじ力」という本にたまたま出会ってから。
3日で運がよくなる「そうじ力」―うれしい変化続々!【令和最新版】 (三笠書房 電子書籍)

片付けや掃除によっていろんなことに気が付いた人たちが人生を好転させていくエピソードを読んで、掃除でそんなに変わるなら、と思い頑張っています。

 

自分はちゃんとしてるって思ってたけど換気扇は油でベトベトだった

 

部屋は自分の心を映す鏡と言いますが、私はものが片付いていればいいとしか思っていなくて掃除は適当。

掃除機掛けは週に1度、棚はほこりが気になったときに「そろそろ拭いてみるかー」とウェットティッシュで適当に拭く程度でした。

こんなんでも整理整頓は得意なので自分はちゃんとしてるって本気で思ってました。


でも本を読んでから片付けが出来ていても汚れていたら意味がないと知り、部屋中を徹底的に掃除をし始めました。


今の部屋に引っ越してきてから約4年になりますが、浴室トイレの換気口のフィルター、キッチンの換気扇を掃除したことがなく、

案の定、フィールターを外してみると黒いススがパラパラ降ってくる始末。キッチンの換気扇も油でベトベト。

スポンジでこすると一瞬でスポンジがベトベトになり、しかも全く汚れが落ちてない。


これではらちが明かないとネットで洗い方を検索したら酸素系漂白剤がいいとのことで初めて酸素系漂白剤を買い、とにかく掃除、掃除、掃除。



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当たり前のことができてないのに将来が良くなるわけがない

 

掃除をしまくって部屋の空気ががらりと変わったころ、ふと思ったことがあります。

それは掃除っていう生活の当たり前のことが出来てないのに自分の将来が良くなるわけないじゃんってこと。


私はうつ病が治ってからも長年の不摂生や不健全な生活習慣の影響で体が弱く、このままじゃ結婚すらできないなとか、今より広い部屋に住んで犬と猫飼いたいっていう夢が叶わないな、とか

ふとした時に将来を不安に感じる事があります。


でもさ、そんなこと思う前にやることあるだろって。

出来る事ってあるだろって思ったんですよね。

それが掃除などの生活の当たり前のです。


うつ病の治療の過程で運動とか自炊とか、いい習慣は出来ていましたがそれでも丁寧な暮らしとは程遠く、

部屋の窓を開けずに換気しないなんてざらにありました。

 

 

うつ病の頃もそう。

私がうつ病になったころ、とにかくしんどくて治したくって自己啓発や心理系、スピリチュアルなどの情報にすがっていいました。

でもそれだけで食生活はお菓子や冷凍パスタ食べまくりで顔中ニキビだらけ。生活サイクルも昼夜逆転が当たり前の生活をしていました。


こんな状態じゃうつ病は治らないって精神科医やカウンセラーじゃなくても分かるのに、私はそのころ

「何かすごい本に出会えたら、いい考え方に出会えさえすれば生活を変えなくてもうつ病は治る」

と本気で思っていて情報依存になっていました。

 

引き寄せの法則にも一時期はまっていて、これを理解さえすれば何もかも良くなるんだって思っていたのですが、そういうのは整った生活あってこそ

 

「汚部屋住み パワースポット 巡る馬鹿」

 

掃除をちゃんとするようになってから5chの掃除・生活まとめサイトというのをおもしろくて見ているのですが、掃除・生活まとめ (omaww.net)

そこに「汚部屋住み パワースポット 巡る馬鹿」っていうのを見かけて、すっごいささったんですよね。

私はパワースポットには興味がないですけど、でもこれと同じようなことになってたなって。

掃除・生活まとめ 某所で見かけた川柳… 『汚部屋住み パワースポット 巡る馬鹿』 自分のことすぎて本気で恥ずかしくなりましたwww (omaww.net)

 

うつ病の事だけじゃなくて、顔中のニキビをどうにかしたいって思ってた時は「それさえ使えば一瞬で美肌になれるすごい化粧品」をずっと探してたし、


英語を勉強していた時は「すぐに英語が上達するすごい勉強法」をずっと探していました。

 


学生時代、吹奏楽部で顧問の先生に「基礎がまともにできないヤツが曲を上手く吹けるわけがない」ととにかく基礎、基礎、と耳にタコができるくらい言われていました。

おかげで楽器に関しては毎日の地味な練習が大事だと分かり、大人になってピアノを習い始めた時、ネットの「すぐにピアノが上達する方法」などという広告や記事に惑わされずに済みましたが

他のジャンルではそのことが全く生かせていなかった自分に、恥ずかしながらようやくようやく気づくことが出来ました。


うつ病を治療する過程で、うつ病はすぐには良くならない、毎日できる事をして一歩一歩進むしかないんだ」って心の底から実感してたはずなのに忘れちゃうものなんだなあ。


これからも毎日継続していい変化を報告できたらいいなと思っています。


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自己肯定感を上げるには、訓練。ずっとしていた自己肯定感の勘違い

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一瞬で自己肯定感が上がるそんな魔法はない


こんにちは、サオリです

自己肯定感…これは私の長年の課題でした。

とにかく自分に自信がなくて周りにどう思われるか常に不安を感じていました。


うつ病をきっかけに自己肯定感を上げたくていろんな本を読んできたのですが、読み終わった後に一時的に効果があってもまた元通り。

私は自己肯定感を上げるにはなにかすごい考え方に出会えば一瞬でグンと上がってずっと幸せになれると思っていて、

それに出会うために「一瞬で自己肯定感が上がる!」とか「〇日で自己肯定感が~」みたいなものに惑わされて自己啓発本ジプシーになっていたのですが

今思うのはそれは当たり前のことで、なぜなら自己肯定感を上げるには訓練が必要だからです。

自己肯定感をあげる訓練は地味

例えば1日だけ優秀な指導者のピアノのレッスンを受けて、自分の癖や練習のコツが分かっても、上達にはやっぱり毎日の地味な練習は欠かせないものです。


私がうつ病で初めてカウンセリングを受けた時にカウンセラーに「カウンセリングは習い事と一緒で継続することが大切」と言われました。

正直カウンセリングに行けば1回でガラッと変わると思っていたのでがっかりしましたが、そう言われたことで自分が一瞬で変わる魔法みたいな“なにか”を探すことをやめて現実を見る事が出来た気がします。

何事も一歩一歩やるしかないんですよね。

めんどくさいけど。

 

 

で、自己肯定感を上げる訓練は何をやったのかと言うと、カウンセリングの他に

ノートに今日頑張った事、自分えらかったなって思えることを書いたり、前より成長したこと、自分の思ったことを書きまくったりしてました。

地味でしょ?

でもこんな地味なことの積み重ねが大切なんです。

 


今日頑張った事、えらかった事は、本当にささやかな事をたくさん書きました。

例えば歯磨きを丁寧にしたとか、自炊したとか、部屋の掃除をしたとか。


自己肯定感が低いと他人から見てすごい事でしか自分を評価できないんですよね。

みんなから「すごい」と思われないとダメ。みたいな。

だからいつも人と比べて勝手に劣等感感じるし、人間関係を上下でしか見れないから無自覚にマウントとってたり、人のささやかな発言に対してマウントを感じちゃうんですよね。

そんなんくっそストレス感じるわ。

ノートに書くと変わること

で、ノートで自分の事を褒めていくと自分基準で自分の事をだんだん評価できるようになっていきます。

昔、「あたし今日目覚ましかけた時間に起きれたの~エラくない?☆」って言ってくる友達に対して「そんなん全然えらくねーよそんなこと言ってて恥ずかしくないんか!!?」って普通に思っていたんですが

今はその友達みたいな発言する側になってるから不思議。

 

自分の思ったことをノートに書く効果は、それまで自分の感情を抑圧しすぎて「こう思っちゃいけない」と思う事がよくあったのですが、思ったことを書くことによって

自分の感情を素直に受け止める事が出来るようになりました。



たとえば私は人の事を悪く思っちゃいけないと思っていたのですが、そのせいで人間関係に無駄にストレスを感じて消耗していました。

よく人の意見に対して過敏に反応して怒りを感じる事が多かったのですが、(そして怒っちゃだめだー抑えろーってなってた)

それは自分が「○○と思っちゃいけない」と思っていて、それを無自覚に「私がそう思っているんだからあなたもそうしなさいよ」と人に強要していたからです。


「何を思おうが自由!」と思えたことで人の発言にも同じようなことを思う事が出来て人の発言に傷つくことが減りました。

 

 

あとずっとノートに自分の気持ちを書き続けていると、不思議なことに「私こんなこと思ってたの!?」と無意識に思ってもない事を書いていてびっくりすることが結構あります。

私はこれを自動筆記と呼んでいるのですが、自動筆記で書かれることは潜在意識で思っていることなのかなと思っています。

一時期、何回も似たような事ばかり書かれていて、自動筆記で自分の気持ちを確かめる事が出来ました。


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自己啓発本ジプシーも無駄じゃなかった

自己啓発本ジプシーだったときは「何読んでも何も変わんねーじゃん」って思ってたんですが、

でもやっぱりいろんな自己啓発本を読むのも考えを変えるための訓練になってたかなって思います。


特に一時期心屋仁之助さんのブログやポッドキャストを繰り返し読んだり聞いたりしていたのですが、少しずつ物事の考え方が変わっていったような気がします。

「何も変わんねーじゃん」と思っていたのは当時の自分があまりにもいろんなことを抱え込みすぎていてプロの手を借りないとどうしようもないくらいだったから。


いろんな自己啓発本を読みまくったことでカウンセリングに行ったときにインナーチャイルドを癒すセラピーもさらっと受け入れる事が出来ましたし。

読んでなかったらまず「インナーチャイルド?はあ?」だったかもしれないです。


カウンセリングでは自己啓発本で頭じゃ分かってるけどいまいち体感として感じられないことを落とし込める事が出来ました。

考え方とか結構変わってきてるんだけどいまいち落とし込めてないわってくすぶってる人は私みたくカウンセリングに行ってみるといいかもしれないです。

【汚肌】ずっとニキビに悩んできたけど潜在意識では治したくなかったんじゃないかって話【まさかのまさか】

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そんなことってある?


こんにちは、サオリです

今日は潜在意識と汚肌のはなし。


今までブログで何回か書いているのですが、私はニキビ肌に悩み、ずっとコンプレックスを感じていました。


12歳からニキビができ始め、大人になってもそれらは治ることはなく常に顔にい続けました。

顔に出来ているたくさんの赤いボツボツのせいで鏡を前にして何回泣いたか分からないし、何も食べなかったらできないだろうと摂取障害にもなりました。


とにかく治したくて積極的に野菜を食べ、お菓子は食べないようにしたり、

化粧品はネットで「この化粧水でニキビが治った」という情報があれば片っ端から試したし(でも実はプロ〇クティブは試したことがない)、サプリメントもたくさん試しました。


他にも美容皮膚科で毎週ピーリングしてもらったり、皮膚科で高濃度のビタミン剤を処方してもらったり…

それでも治らなくて一生私は死ぬまで汚い肌のままなんだ、とやけくそになりお菓子のドカ食いしていた事が結構ありました。


ところが20代の中盤にひどい体調不良から遅延型アレルギー検査を受ける事になって、乳と小麦を抜く食生活にしたところみるみる改善。


現在は変わらず吹き出物出来やすいなと感じるものの、ちゃんとしたものを食べて、きちんと運動して、寝ていれば吹き出物ゼロです。(小麦と乳製品は今でも控えてます)


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吹き出物が出来てホッとした謎心理

で、ここからが本題。


食事制限が辛く、パンのドカ食いをしてせっかく治ってきた吹き出物がまた増えてしまったときになんか安心したことが結構あったんですよね。

おかしくないですか?

吹き出物のせいでずっと辛い思いしてきたのに。

あんなに悩んできたのに吹き出物が出来てホッとするってだいぶおかしいでしょ?


ずっとこれなんなのかなあって考えたのですが、潜在意識では汚い肌を治したくなかったんじゃないかなあなんて思いました。


完全には治らなくてもやっぱりお菓子を食べるのをやめるとニキビは減っていたんだし、本当にきれいになりたい気持ちがあったのならお菓子のドカ食いなんてしてなかったと思うんです。

完全に治らなくても数が少ないに越したことはないじゃないですか。


仮に潜在意識で汚肌を治したくないと思っていたとして、じゃあそれはどこから来たんだと考えてみたのですが、出てきたのは

・綺麗でいると同性に嫉妬されるかもしれないから

・母に反省してもらいたかったから

の2つ。

 

綺麗でいると同性に嫉妬されるかもしれないから

ひとつ目の「綺麗でいると同性に嫉妬されるかもしれないから」は、私はとにかく同性に苦手意識がありました。

中学に入学したときに、部活である先輩からやけに容姿を気に入られ、かわいいかわいいと言われていたのですが

それを隣で見ていた子からおもしろくない顔をされたときに「嫉妬されたら人間関係が上手くいかなくなる」と思ったんですよね。

だから友達に容姿を褒められることがあっても周りに人がいたら「やめて!褒めないで」って感じでした。


高校生の時も、この時ケータイでホームページを作って日記を書くことが流行っていたのですが、

ある日部活の先輩(男)から私の日記にコメントをもらったのでコメ返したら、先輩の事が好きな友達が私のコメ返で嫉妬したらしく

翌朝その友達とその周辺にハブられるという事件がありました。

そんなことがあって自分も女なのに女めんどくせー苦手だわってなりました。


ニキビがたくさんあれば「でもあいつ肌汚いじゃん」ってなって嫉妬度が下がりそうじゃないですか。

だからずっと治したくなかったのかな、なんて思います。

 


嫉妬については、中学の時に嫉妬でいじめられた事がありPTSDになっていたので(この時の嫉妬は容姿についてではない)カウンセリングで相談したことがあったのですが

カウンセラーは何回も嫉妬は嫉妬する人の問題であってあなたは関係ないんだよと言ってくれ、考え方が少しずつ変わっていきました。

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母に反省してもらいたかったから

次に2つめ「母に反省してもらいたかったから」は「美容瞑想」という本にきれいになると困るという深層意識は親への恨みが原因と書いてあるのを読んで自分に当てはまっていると思ったからです。

(美容瞑想の本へのリンクは記事最後に載せておきます。)


なんでも小さいころに怒られたことや、また兄弟や友達との比較がきっかけで「お母さんは私がかわいくないんだ」「私だけがかわいがられていない」と思い込み、

えこひいきした親を反省させるために「不幸になって親を謝らせてやろう」という思いを持つようになってしまうのだそうです。

そうするときれいになることにストッパーをかけてしまうのだとか。


私は小さいころ妹の方がかわいがられていると感じ、母を恨んでいたんだと思います。

さいころから物欲が強かったのですが、それは自分がかわいがられているかどうかを買ってもらえるかどうかで確認したかったから。

そして買ってもらえないたびに「やっぱり私はかわいくないからなんだ」「そうだ、不幸になって反省させてやろう」と思ったんだと思います。


その証拠にいろんなことを親のせいにしていました。


例えば中学の時のいじめもなんとかしてくれなかった親を恨んだし、でもまあこの時は中学生だったからしょうがないとして、

専門学校でパワハラされたときも何もフォローしてくれなかった親を恨んでました。完全に自分の問題でもう成人してるのに。


10代でニキビがたくさんでき始めた頃、自分の体の事なのに完全に母に問題ぶん投げて「なんとかしろよ」的なスタンスだったのでやっぱり汚肌でいる事で母を困らせたかったんだと思います。

 

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とある出来事で意識が変わった

で現在は吹き出物が出来てもホッとする事はなくなったのですが、それは吹き出物があるデメリットがメリットより上回ったからだと思います。


彼氏にファンデーションなしの肌を見せられないことによって「もし結婚したとしたらすっぴんは免れない」と思ったし

人に生活習慣が悪かったり、不潔だと思われたり、信用にかかわってくると思ったからです。(吹き出物がある人を傷つけているつもりはないです。生活習慣の他にストレスなどいろんな原因がありますしね)

 

特に印象的だった出来事は、大人になって歯医者と眼科に行ったときに「その吹き出物、アレルギーですか?」とかなり心配そうに立て続けに言われたこと。(すごく荒れてたから)

吹き出物があるのはずっと当たり前のことだったので分からなかったのですが「吹き出物があると人に心配かけてしまうのか!」と気づいて意識が変わりました。

 

医者じゃなくても大切な人に吹き出物がたくさんできてたらストレス抱えてるんじゃないかって心配だよね。


それからというものの、前は吹き出物ができても「また出来た!最悪!」としか思っていなかったのが「ああ、心配かけちゃうなあ」と思うようになりました。

(通っているカイロプラクティックの先生が、吹き出物ができるとどうしたー?って言ってくるのもあって)


吹き出物の治らない原因が分かってもパンのドカ食いをしてしまっていたのは小麦の中毒性もあると思いますが、自分の事しか考えてなかったからというのもあると思います。

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【顔面ニキビ】元汚肌が汚肌を卒業するまでやったこと

自分にきれいでいる許可を出すために

私は潜在意識できれいでいることにデメリットを感じてきて、顕在意識(表面的な意識)でもきれいでいることはただの自己満だと思っていたのですが、

今ではきれいでいることは人にポジティブな影響を与える事ができると思ってます。


私は自分の気持ちが上がるようにきれいな色の服を着るようにしているのですが、ある日趣味で習っているピアノの先生に、

「いつもきれいな色の服を着てるので、毎回フルーツをいただいているような気持になって元気が出ます!」

と言われたことがあって(先生の感性すこ笑)自分の着ている服が人にもポジティブな影響を与える事があるんだと嬉しい気持ちになりました。

言われたのは服の色ですが、これだけじゃなく肌とか髪とか整ってるとやっぱり「きれいだな♪」って思うじゃないですか。


もし私のように潜在意識で自分にきれいでいる許可を出してないかもしれないと思ったら「きれいでいる事は人のためにもなる」と考えると意識が変わっていくかもしれません。

 

【元うつ病高校中退】苦しい青春コンプレックスを克服するには?

 

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青春は幻想


こんにちは、サオリです

この時期になると毎年自分が強い青春コンプレックスを抱えていたことを思い出します。

このコンプレックスは結構長くて26歳くらいまで続きました。

 

学生が出てくるアニメすら観れない「青春コンプレックス」


私は高2の秋ごろにうつ病で高校中退しているのですが、その時はまさか自分が中退するなんて思わなかったのでとにかく辛く

友達のケータイホームページの楽しそうな学校生活日記を見るたびに動悸が起こっていました。


それよりもつらかったのは通っていた学校の卒業式の日。

うつ病にさえならなければ私もその場所にいるはずだったのに」と部屋で一人で泣いていたのを覚えています。

 

高校だけでなくて成人式も、当時何もしていない自分が情けなくって、友達にも会いたくないし顔の吹き出物もひどいしで

本当はきれいな着物を着て出席したかったのに出来ませんでした。

大学に行くことも叶わず、卒業式で袴を履くことも出来ませんでした。


学生が出てくる映画やアニメはとにかく気分が悪く見る事ができなかったし、毎年この時期は大学生が袴を履いている姿を見て悲しくなっていました。

この頃は本当にひどかったです。

 

「青春」には誰もが夢見がちになる

 

今思うのは「青春」にあまりにも夢をみすぎていたということ。

日本のアニメや映画や漫画、ドラマって学生生活を書いたものがとにかく多いし、

そのせいか私はずっと高校生になったらこんなドラマチックな青春が待ってるんだと思ってました。

なので高校に入学するときは期待値MAX。

恋愛に関しても彼氏ができたら自動的に恋愛漫画みたいなロマンチックな体験ができると思ってました。


でも実際はスクールカースト上位に目を付けられないように自分らしく振舞う事ができず、ニキビだらけの肌に落ち込み、

部活も「楽しければいいじゃん」という雰囲気で上昇志向の私にとってはかなりつらく、学校生活でのストレスを家で発散するので親との関係は最悪。


運よく私の事を好きになってくれる人がいて彼氏はできたものの、恋愛漫画に憧れすぎていたせいで思うような振る舞いをしてくれない彼氏にがっかり。

そして喧嘩もたびたび起こっていました。

そして高校中退と共に別れを切り出され、もう死のうかなと思う毎日でした。

 

「青春コンプレックス」は足りない思考が原因


青春コンプレックスは足りない思考が原因だと思ってます。


仮に私が思う青春、勉強も部活も一生懸命、信頼できる仲間に囲まれて彼氏との関係も順調だとしても

足りない思考が、もっとかわいい顔だったら、もっと体が細かったら、もっとスポーツが得意だったら、彼氏がみんなが羨むような人だったら…

とさらに青春に完璧を求めていたかもしれません。


ネットで青春コンプレックスの事を調べると「部活をやらなかったことに後悔してます」と質問サイトで質問している人がいたのですが

私の場合は逆に自由な時間がたっぷりある帰宅部が羨ましくて羨ましくてしょうがなかったです。


おそらく部活をやらなかったことに後悔している人は部活をやっていたとしても「足りない思考」のせいでどちらにせよ後悔していたと思います。

 

楽しかった事はだれにでも必ずあったはず


じゃあその「足りない思考」から脱するにはどうすればいいのかというと「あったことに目を向ける」事です。

学生時代に楽しかった事って本当に、本当に一つもなかったでしょうか。

よく思い出してみてください。(学校以外の事も)


私はうつ病になったとき、私の中高時代365日×5年は一日たりとも楽しい事が何一つなかったと思っていました。

でもそれはあまりにもネガティブになっているせいで楽しかったことを忘れていただけだったんですよね。

学生時代に嫌なことがあったり、なにか大きな後悔をしているとそのことばかり考えがちになりますが、小さな幸せって誰にでもあったと思うんです。


中高の頃、面白くて優しい友達がたしかにいました。

私が学校に行けなくなってしまったときも最後まで心配してくれる存在がいたのですが、私はその友達の存在すら長い間忘れてしまっていたんです。

なぜずっと忘れていたのかというと「どうせわたしの事なんて心配してくれるやつなんていない。心配のメールも表面的なものに違いない」と思い、自分で友達の存在をなかったことにしていたからです。


思考って習慣で、ネガティブな事ばかり考えていると悲しかった事や辛かった事を思い出すのが得意になっていくんですね。

なので過去自分に足りなかったことに目を向けている人は「あった事」に目をむける訓練をしてみてください。


時間はかかりますが、ノートに書き続けていれば「自分にも少しは楽しい事があったみたい」と少しずつ気づけるようになれます。


そもそもその「理想の青春」は本当にあなたが望んでいたこと?


そもそもあなたが理想とする青春って、本当にあなたがそうしたいと思ったことでしょうか。


中高生が描かれた漫画やドラマ、映画、CMなどの影響で知らない間に「青春」は「こういうことをやらないと青春じゃないんだ!」と思っていないでしょうか。


私は中高生は恋愛して仲間に囲まれて何かに一生懸命に打ち込むものだと思っていました。

だからとても苦しかったんです。


中学生の頃は本当に何かに一生懸命になりたいと思って部活を頑張っていましたが、高校生になると燃え尽きてしまい、正直本心ではダラダラと高校生活を過ごしたかったです。

でもダラダラ過ごすより頑張っていた方が青春している気がするし、何より周りに認めてもらえる気がして頑張りたくないのに頑張っていました。


世間のイメージの「青春」にあまりにも振り回されていないでしょうか。


そういう価値観に振り回されていると今後も

30までには結婚しないといけない、

結婚したら子供をうまないといけない、

いい大人なんだからブランドバッグの一つは持っていないといけない、

家を買わないといけない、


などの価値観に振り回され続けて人生が終わってしまいます。


こういった価値観に振り回されないためにはまずそういったメディアを控えることと、自分の思ったことをノートに書くことを習慣にしてみてください。

これをするだけでも他人の価値観に振り回されていることに気が付けるはずです。


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物事には裏と表が必ずある


「青春コンプレックス」を感じている人は何かにうらやんでいるはずです。

学生時代に彼氏彼女がいた人、部活を一生懸命やって成果を残した事、外向的で友達がたくさんいた人…


物事には必ず裏と表があります。

そういった人たちが羨ましいのは表の楽しそうな面しか見えていないからです。

考えてみてください。

彼氏彼女がいても、部活を一生懸命やったとしても、友達がたくさんいたとしても幸せだとは限りません。


私は高校生の頃にクラスのちゃらちゃらしている女の子たちを見て「気楽でいいよな」なんて思っていたのですが、とんでもない。

人間関係にトラブルが起きていて知らない間に喧嘩が勃発してたり、ある子は妊娠して中退してたり。

彼氏彼女がいたとしても大抵3か月で別れてしまうカップルが多かったです。

所詮高校生の恋愛なんかそんなもん。


そして私は部活を頑張っていましたが、人間関係のトラブルに板挟み状態になってしまい毎日ストレスを感じていた日々を思い出します。


どんなことにもいい面と悪い面があります。

それを考えずに物事の良い面ばかりを見てうらやむのはやめましょう


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人生の絶頂は学生時代に訪れるとは限らない

 

もし高校生時代に戻って自分が思い描くような青春をすることができたら幸せだったのかと思うと、私は過去に執着してしまい、これまた人生の足枷になっていたような気がします。

 

人生には波があって、生まれた時から死ぬまで好調な人は誰もいません。

そして何かしら問題にぶち当たります。

ある人はお金、ある人は人間関係、健康、恋愛、受験、就職活動 ...

 

それらの問題はいつぶち当たるのか誰にも分かりません。

人生の最初の方なのか、それとも後半のほうなのか…


学生生活が絶頂だとするとあとは下がっていくしかなので、それだとどうしても「あの頃はよかった」と過去を懐かしむばかりで前に進める気がしないです。


私は高校生の事にうつ病になった事に心の底から自分の人生を呪いました。

そこから長い間どん底だったのですが、今ではうつ病になったのが高校生の頃で良かったと思っています。

もしうつ病になっていなかったらいまの幸せはありませんでした。


青春出来なかったと思い悩んでいる人は人生の絶頂がその時ではなかったという事。

ただそれだけです。


青春コンプレックスに悩んでばかりではこれから訪れる幸運を自らつぶしているようなもんです。

昔の幸せより今の幸せの方が大切ですよね。


思考は習慣なので今ある幸せに目を向ける事から始めましょう。


親が許せない。そんな時は両親をひとりの女性、男性として考えてみる。

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ちっちゃいころは大好きだったのにね



こんにちは、サオリです


私がうつ病の時にカウンセリングを受けて気が付いたのは、あらゆる問題の根本は親との関係にある、ということ。


例えば私は自己肯定感がとにかく低く、常に周りの目を気にして人と比べながら生きてきました。

それは親に「そんなことしたら周りから○○だと思われるよ」「それってお世辞なんじゃない?」「そんなこと出来ても勉強できないじゃない」「だからお前はバカなんだ」と言われ

ありのままの自分を受け入れてもらえなかったからです。


私は特に母の発言に傷ついてきたのですが、自分の人生が上手くいかないのはこのことに原因があると気が付いてからは母の事が許せない気持ちになりました。


でも母を一人の女性として考えてみると、ああいう傷つくことを言ってしまったのもしょうがなかったんだな、と思う事ができました。 

 

親は親である前に一人の男性、女性

 

小さい頃は親は完璧な存在として見ていましたが、大人になって親は親である前に一人の女性、男性であることは考えれば分かることなのについつい忘れがちです。


私は母が許せないと強く思っていたとき「母親とはこうあらねばならない」というような考えがありました。


でも実際自分が子供がいてもおかしくない年齢になり「自分に子供がいたら?」と考えると自分が考えていた母親像には到底なれるとは思えないし、

子供を傷つけずに育てる事なんて無理。


親子とはいえ、子供には子供の個性があって親とかならずしも相性が合うとは言えないですしね。


それに私にとっては傷ついた言葉も母なりの愛情で言ったのかもしれません。


母はよく「そんなことしたら○○だと思われるよ」と言っていて、おかげさまで周りの目を異常に気にするように育ちましたが、

母の育った時代は周りと歩調を合わせて右へならえの時代でしたからね。


このままだったら自分の娘は社会で生活していけなくなる!と思ってそういうことを言ったのかもしれません。

 

親が傷つくことを言ってしまうのは自分の嫌なところを子供に投影しているから



そんなこと言っても許せねーと言う人に向けて、こんな考え方もあります。

親が子供に対して傷つく言葉を言ってしまうのは、子供に自分の嫌なところを投影してしまうから。

冒頭で親に「そんなことしたら周りから○○だと思われるよ」「それってお世辞なんじゃない?」「そんなこと出来ても勉強できないじゃない」「だからお前はバカなんだ」と言われたと書きましたが、


親自身が周りの目を気にして生きてきて、

人の誉め言葉を素直に受け取れないほど自己肯定感が低く、

周りから認められるような成果がないとダメだと思っていて、

バカな自分にコンプレックスを感じているんです。


親に言われて傷ついてきた言葉は全部親が自分自身に対して思っていることなんですよね。

あの言葉はあなたに言ったんじゃなくて、あなたを通して自分自身(親)に言った言葉なんですよね。


親の弱さが分かると、なんだかしょーがねーなーって気持ちになってきます。

 

愛情の表現の仕方は人それぞれ違う

 

親に感謝できる部分を見つける、というのは親を許すために大切な事です。


私は長い事親の愛情を感じずに育ったと感じていたのですが、でもそれは親の思う愛情と私の思う愛情に違いがあったからです。

私の思う愛情は、どんな個性も認めてくれること。

でも母の愛情は私がお金に不自由することなく育つこと。


母は母子家庭育ちで、私が小学生の頃はよく貧乏話を聞かされていました。

母はとにかく貧乏が嫌で結婚したら退職するのが普通の時代でもバリバリ働きキャリアを積み、

おかげで私は今までお金のせいで希望の学校にいけなかったとか、留学したいのにできなかったとか、そういう事がありませんでした。


私は母が周りと比べたり、勉強ができないことにとやかく言う事で傷ついた事、いつも母の帰りが遅くて寂しかった事ばかりに焦点を当てていたので気づくことが出来ませんでしたが、

愛情の表現の仕方には人それぞれ違うと気づいたことで、感謝できる部分を見つける事ができました。


良かれと思ってやったことが相手の求めている物とは違うなんて普段の人間関係にもありますからね。


あなたの親はどんな愛情の表現を選んだのか…一度考えてみてください。