【パーソナルカラー】服の色には人生を変えてしまう力がある、というのは決して大げさではない【服の色で、損する人、飛躍する人】

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こんにちは、サオリです


今日は一味違うパーソナルカラーの本で、読んで衝撃を受けた「服の色で、損する人、飛躍する人」後藤妙子(著)という本を紹介します。


パーソナルカラーの本、と言えばシーズンごとの見た目の特性とスタイリングの写真が掲載されているのが一般的ですが、

この本はパーソナルカラーを身に着ける事がどれだけ人生において大切な事かを知ることが出来る本です。


著者の色に対しての熱量が感じる本なのですが、それはブログにも表れています。とにかく情報量が多く、びっくりします。ブログも夢中になって読んでしまいました↓

Taeko Goto Blog | T's color (ts-color.net)

 

その好きな色は勘違い?

 

パーソナルカラーは今や多くの人に知られており、ネット上にもたくさんのコンテンツがありますが、似合う色と好きな色が違うという人は少なくなく、

パーソナルカラーにこだわるのはナンセンス、好きな色を着よう!と書いてある記事を多く目にします。


しかしこの本の著者はその「好きな色」も「勘違いの好き」である可能性があり、読者にひたすらパーソナルカラーの色を身に着ける重要性を訴えかけています。



例えば私の場合だったら、ネイビーやグレーの服が好きで着ていた時期がありました。

でもその好きは「しっかりしなきゃ」「きちんとしなきゃ」という不足感からくる勘違いの好きだったのです。

 

自分の不足感を満たそうと服を選んでいたので、ずっと自分の服に満足できなかったし買い物しても満足できず、

でも自分の好きを勘違いしているので次々と同じような服を買っていました。



「好き」は不足感の埋め合わせに使われやすく、満たされた自分を味わうものではない場合が多いと著者は言います。



私は自分のパーソナルカラーを活用できるようになり、自分らしさが表現できるようになってからこの本に出会ったのですが、

ここまでの経緯が著者の経験と重なる部分が多く、読んでいて共感できることだらけでした。


著者はカラリストでありながらカウンセラーでもあるのですが、

著者のメンタル分析は過去の似合わない色を着ていた自分、パーソナルカラーを活用できていなかった自分に当てはまることだらけだったので、そこもこの本にハマってしまった理由かもしれません。

 

 

パーソナルカラーが活用できないメンタルブロックのある人はぜひ読んでほしい

 

私はパーソナルカラー診断を受けた後すっかりパーソナルカラーにハマり、いろんなコンテンツを観たり読んだりしてきたのですが、

それは自分が美しく見える色や魅力を知った嬉しさと同時にいまいち活用しきれない自分にモヤモヤしていたからです。

その色の服を着たら自分の印象がグッと強くなるのは分かっている。コーデの方法も分かった。

でも恥ずかしくて着る勇気が出ない。


だからいろんなコンテンツで「ウィンターにはこんな魅力がありますよ」という同じような情報を何回も見て自分を説得していたんだと思います。



この本は何年か前の私のようにパーソナルカラーを活用できない人が抱えている問題にも触れているので、

この本を読めばその問題もクリアになりパーソナルカラーの服が活用できるようになると思います。

 

 

パーソナルカラーから自分の本質を知って点と点がつながった

 

著者はパーソナルカラーの各シーズンと心の特徴がそれぞれ一致しており、カラーから自身の本質が見えてくると言います。

例えばウィンターの心の特徴は次の通り。

中途半端な状況は好まず、熱いか寒いか関心無いかの極論で、人に合わせで妥協する心理は持ち合わせていません。
曖昧な状況が一番キライで苦手です。


ホームページや記事にも紹介されていますのでぜひご覧ください↓

色と心の相関性 | T's color (ts-color.net)

こちらの寄稿している記事は特に分かりやすいです↓
心の色「トゥルーズカラー」は、あなたの心の土台を教えてくれる スプリング編 
心の色「トゥルーズカラー」は、あなたの心の土台を教えてくれる 〈サマー編〉
心の色「トゥルーズカラー」は、あなたの心の土台を教えてくれる  〈オータム編〉
心の色「トゥルーズカラー」は、あなたの心の土台を教えてくれる ウィンター編

 


私は過去にパーソナルカラー診断を受けてビビッドウィンターと分かったとき「とてもこんな色は着られない」「頭のおかしい人だと思われる」「黒、白、グレー、ネイビーくらいしか着れないじゃない」と思いました。

 

鮮やかな色が並ぶウィンターのカラーの印象は、自己主張が激しい、目立ちたがり屋で感情的でわがままな人が着る色という感じ。

まさにウィンターの心の特徴のネガティブな部分を感じていたし、わたしはこれらの人が大っ嫌いでした。

 


でもこの本の「パーソナルカラーはその人の本質を表している」という考えに触れて鏡の法則を思い出しました。

鏡の法則というのは自分の周囲の人の行動や発言はすべて自分を映し出した投影である、つまり周りにいる嫌いな人と同じ要素が実は自分の中にもある、というものです。



私の場合で言うと、私は本当は自己主張が激しく、目立ちたがり屋で感情的でわがままな要素があるという事。

でもそんな自分が嫌で抑圧していました。


だからあのときウィンターの色に自分の嫌な部分を感じ嫌悪していたんだなと気づきました。


でもうつ病をきっかけに自分を変えたい気持ちからビビッドな色を着るようになってからどんどん心の開放が起こり、今では多色コーデが楽しくて仕方がなくなりました。

今まで感じたことのなかった「自分らしさ」を感じられるようになったのです。

 

心の開放が起こったのは服の色を通して自分の嫌っていた部分(本質)を受け入れられるようになったからだと気が付きました。


この本を読んで点と点がつながった瞬間でした。

答え合わせするかのようにこの本に出会ったのはびっくりです。

 

特に人とのコミュニケーションがとりやすくなったと感じたのですが、それは自分の本質が外見を通して表現されて相手に気持ちが伝わりやすくなったからかなと思っています。


☆関連記事☆
私が明るくきれいな色の服を着る理由 
明るい綺麗な色の服を着るようになってからのメンタルの変化。心理的効果とか

 

 

パワハラが起きたのは服の色のせい!?


さらに本を読んで思い出したのが、過去に起きたパワハラ


私は専門学生の頃、担任から不当な扱いを受けて病気になり寝たきりになったことがありました。(ここでも鏡の法則が投影されとる…)

そのころよく着ていた服はグレーのニット。


私はパーソナルカラーがビビッドウィンターなので、他の鮮やかな色に比べて意思の強さを感じない、物足りない印象の顔映りになってしまいます。

なのでグレーの持つ落ち着いた上品なイメージを引き出すことが出来ず、逆にネガティブな面、無気力で地味、を外に表現してしまうのです。


当時よく「やる気あんの?」と言われていたのですが、不眠不休で必死にやっているにも関わらず全く相手に伝わらない、高熱を出して休んだら疑われる始末でした。

私にばかり威圧的な態度なので不思議でしょうがなかったのですが、本や著者のブログを読めば読むほど着ていた服の色が関係していた気がしてなりません。


私が似合う色の服を着たときの印象は、強いインパクトと個性、瞳に宿る意思の強さです。

もしパーソナルカラーの服を着ていたら個性に嫉妬されても「やる気あんの?」なんて言わせなかったと思います。


ずっと自分の本質を否定し続けていた

 

私はとくに高校生の頃、自分がなんだか浮いているように感じ周囲に馴染もうと努力してきました。

でも努力すればするほど苦しくなっていき、高校2年の頃にうつ病になってしまいました。


当時は自分が何でこんな目に合わないといけないのかさっぱり理解できなかったのですが、

著者の記事にビビッドウィンターの心理に強烈な個性の存在感と書かれてあるのを見て、

自分の個性を抑圧してきたから今まで生きづらさを感じてうつ病になったんだなと思いました。心の色「トゥルーズカラー」は、あなたの心の土台を教えてくれる ウィンター編 - トリニティ



ちなみにこの頃好きで着ていた色はパステルカラー。

浮きたくない、周囲に溶け込みたい願望の表れだったなと思います。


「変な子」と思われないようにとにかく普通に普通にしようとするほどなぜか「サオリさんっておもしろいよね」と言われ(←大抵どこでも言われる)そのたびに不思議でしょうがなかったのですが

今思えば本質は隠そうとしてもバレバレだったのでしょう。


パーソナルカラーから見た私の人生はずっと自分の色を否定している人生でした。

 

これから歩む道が見えてきた

 

私はうつ病の頃にカウンセリングをして自分は組織に属するには向いていない人間だと悟ったのですが、

今の原色ばかりのクローゼットや多色コーデが大好きな自分からもそのことが感じられてどこにも属さず生きていく自分の道は合っているのだと感じました。

私も著者と同じく色は嗜好の対象でしかなかったのですが、パーソナルカラーからこれほど自分を読み解くことができ、大変興味深い体験でした。

 

学校不登校、中退に悩んでいる人に伝えたいこと

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こんにちは、サオリです


私は17歳の高校2年生の秋ごろにうつ病で体が動かなくなってしまい、そのまま高校を中退しました。

今日は学校不登校の方や学校を中退して悩んでいる方(当時の自分)に向けてあれこれ書きたいと思います。

 

 

不登校、中退を責めなくていい。学校に馴染めない方が普通

 

当時学校に通えなくなった私は「みんなが普通にできる事をなんで私は出来ないんだろう」と自分の事を責め続けていました。

一般的なレールから外れてしまった私は今後どういう人生を歩んでいけばいいか分からず、毎日どう死のうかを考えていました。



でも考えてみてください。

同じ建物に同じ年齢の、同じ地域に生まれ育った人が同じ制服を着て、持ち物も規制されて、長い人だったら毎日10時間くらい共に過ごす。

こんな環境ってまず大人になったらあり得ないことです。

周りは「それが学校というものだから」と当たり前のように思っていましたが、私にはとてもしんどい事でした。


私が中退したことを受け入れられるようになったのは大人になってから。

知り合った同年代の人が「スーツ着たくないんだよね」「毎日決められた時間に出社するのが無理」と私が中高校生の頃に悩んでいたことと同じような事を言ってきた人がいました。

そのとき私は「学校に通えなくなったのは自分の個性が早い段階で強く出て限界を迎えただけだった」と気が付くことが出来ました。



社会人が「会社が合わなかったから転職した」「会社を辞めた」って珍しくもなんともないじゃないですか。

学校を中退することもそれと同じで珍しくもなんともないんです。

 

自分の価値を外のものさしで決めない



私は高校中退したときにそれまで学校がすべてだったため、中退=落第生と自分の事を思っていましたが、この考えこそが一番自分を苦しめていました。

在学中も勉強ができなかったので、勉強ができない自分は劣っている存在だと思っていました。


自分の価値を学校の勉強ができるかどうか、どこの学校に通っているか、外の物差しで決めてしまうと人生は一気に不幸になってしまいます。


もし高校では成績優秀で有名な大学に入学したけど、大学では周りより勉強ができなかったとします。

外の物差しで自分の価値を決めていたら、高校では価値のある自分、でも大学では価値がない、となってしまいますよね。


環境は常に変わっていくので、周りと比べて自分の価値を決めていてはいつまでたっても自分を肯定することが出来ません。



ではどうしたら「自分には価値がある」と思えるのか、というとまずは

「今自分は外の物差しで自分の価値観を決めてしまっている」

まず気づくこと。


「自分ダメだな」と思ったらそのたびに「外の物差しで自分の価値を決めていないか?」と自分を客観視するようにしてください。

 

 

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人と比べてしまう本当の理由と解決方法

【元うつ病】承認欲求を満たし、自己肯定感が高くなった方法

学歴コンプレックスと成功への執着を手放せた方法

 

 

次のステップに進むために高校卒業(高卒認定)は絶対しておいた方がいい

 

私が学校に通えなくなった頃、進学は考えていたため高校は卒業しておこうと通信制高校にすぐ資料請求しました。

そのあと通信制高校に通う事になったのですが、今でもあの時行動しておいてよかったと思っています。

なぜなら高校を卒業しているのとしていないのとでは選択肢の幅が全く違うからです。


私は結局進学せずにアルバイトをしたりしていたのですが、高卒認定をとっておいたおかげで4年後にヘアメイクの専門学校に通いたくなり、その翌年に入学する事になりました。

もし高卒認定をとっていなかったら専門学校に入学するために高卒認定の取得から始めないといけなかったのでかなり厄介でした。


もし「進学する予定なんてない」と思っていたとしても数年後にはどうなっているか分からないので高校認定は取っておいた方がいいです。



そしてもし今高校に在学している人で中退を考えている人は、中退ではなく通信制高校に転入すれば今まで取った単位を引き継げる可能性があるので通信制高校に相談してみてください。

(なにも考えず中退してしまったら今まで頑張って授業を受けた分が無駄になる可能性があります)


ここらへんの仕組みはこのサイトが分かりやすかったので下にリンクを載せておきます↓

転入・編入した場合の単位の引継ぎと卒業に必要な単位数|GO通信制高校|通信制高校・サポート校情報 (go-highschool.com

 

 

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高校中退から通信制高校、卒業までの話と通信制高校の話

 

 

悩んでいることがあるならカウンセリングに行こう


私は25歳の時にカウンセリングに通い始めてずっと悩んでいたうつ症状や自己肯定感の低さが治っていきました。

うつ病が治ってから思うのは「もっと早くカウンセリングに通っていればよかった」という事。


私はカウンセリングに通うまでメンタルの本を読んだりして一人でずっと悩んできたのですが、何十冊の本を読むより一回のカウンセリングの方が効果がありました。

本を読んで自分のメンタルについて分かったつもりでも、実際に人に話してみたり、カウンセラーに客観的に自分の事を見てもらう事でしか分からないことってあります。


10代の頃にカウンセリングに行こうか迷ったことは何回かありますが、値段も安くはないし自分の事をカウンセラーに話すもの恥ずかしい、

バイト代は服や化粧品に使いたいと思っていたので25歳に本当にメンタルがひどくなるまで行きませんでした。



が、これが間違いでした。

私は17の時にうつ病になってからストレスのない環境にいてだんだんとメンタルが回復していきました。

しかし、その後専門学校に通ったときにストレスの対処方法が分からないまま社会生活に戻ってしまったのでメンタルがどんどん落ち込んでしまい、最終的には本気で死にたいと思うまでになってしまいました。


そしてカウンセリングに通い始めて、私はそもそも今までの生き方が自分の持っている性質と大きくずれていたから行動してもいろんなことが上手くいかなくてうつ病になったんだと気づきました。

カウンセリングはただ単に問題を解決するだけでなく、その問題を通して自分はどんな人間なのか、どういう生き方がフィットするのかも見えてきます。


なのでお金は惜しまずカウンセリングに投資しましょう。


ちなみにカウンセリングは対面の方がいいです。

チャットやメールカウンセリング、質問掲示板のようなところでは自分がどれくらい悩んでいるのかカウンセラーに伝わりずらく、とんちんかんな回答が来ることが多々あるからです。


自分の事を話すのはとても勇気のいる事ですが、カウンセラーはどんな気持ちも否定しないのでぜひカウンセリングに行ってみてください。

 

 

☆関連記事☆

カウンセリングはうつ病に効果あるのか、カウンセリング体験談

 

 

自分に合った環境探しはめちゃくちゃ大事

 

最初の方の項目で「自分の価値を外の物差しで決めない」と書きましたが、合わない環境ではこの考え方にも限界があります。

自分の個性に合っていない環境で自分の価値を感じろなんて無理ゲーです。

なので環境探しはとても大切です。

 


私は環境が合うってこういう事か、とヘアメイクの専門学校の時に感じる事ができました。

 

私は高校生の頃、自分がみんなから浮いている感覚があってとても気にしていたのですが、

通っていた専門学校は個性的であればあるほど評価されていたので、個性を作品に込めるほど評価されるのがとても気持ち良かったし、

私の事も「いいね」と言ってくれる人がいてとても嬉しかったです。


結局メイクの世界での働き方は自分の気質と合わなかったので辞めてしまいましたが、それまでは「どんな環境だろうが自分が合わせればいいだけ」「我慢すればいいだけ」と思っていたので

専門学校で自分の個性をのびのび表現できた事は「環境って大切だな」と思えた出来事でした。

 

自分の事は行動してみる事でしかわからない

 

私は中退した頃、今まで他人の価値観で生きてきたためにこれから何をしたらいいか、どういう人生を歩んだらいいのか分からず、とにかく自分の事が分かりませんでした。


私は高校中退後、しばらくたってから「とりあえずお金が欲しい」と思いアルバイトを始めたのですが、バイト先の大学生に触発されて大学に行こうかなと思ったり、

自分のコンプレックスをどうにかしようとメイクを研究していました。

メイクについては雑誌やネットの情報だけじゃ物足りなくなってしまい、専門学校に通うほどになり、その後留学するまでに発展しました。


行動したおかげでクリエイティブ系は合うけど外で働くのは合わないとか、そもそも自分が一生懸命稼がなくても稼いでいる人をサポートしつつ自分は少し稼ぐくらいが性に合っているのかも、とか

自分似合っている世界や好きな事、働き方、生き方が見えてきました。


自分の事って何かをしたり、人と会ってみたり話してみたり、行動する事でしか分からないものです。


行動というのは、何かの学校に入るとかそういう大きなことじゃなくて、好きなジャンルの本や雑誌を読んでみたり、気になるお店に入ってみたり、そういうちょっとしたことも自分を知る行動になるんです。


その時は「これをしたからって何になるっていうんだ?」と思うかもしれませんが、その時は分からなくても後々点と点がつながるときが来て

「あの時のあの行動は無駄じゃなかったんだなあ」と思える時が来るんですよね。

私は今アラサーになってあれは無駄じゃなかったんだな、と思う事が来ている真っ最中です。


無駄じゃなかった、と思えるためには「今自分がしたいことをする」ただこれだけです。


中学の頃のいじめが原因のPTSD経過。1年ぶりのカウンセリングで分かったいじめっ子の気持ち

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こんにちは、サオリです。

今月初めくらいに1年ぶりにカウンセリングを受けました。


私は中3の頃に1年間いじめられていたのですが、それがPTSDになっていてうつ病だったこともあり

一番ひどいときは私をいじめたA子を思い出してしまうたびに目の前の事に手が付かなくなってしまう有様でした。

(ちなみにうつ病になった原因はいじめ以外にも原因がありました。)


約3年前からカウンセリングを受け始めてPTSDの症状も和らいでいき、日常生活には支障はなくなってきたのですが

趣味のピアノを触るたびにA子の事を思い出してしまい、好きなピアノがA子の事を思い出してしまうトリガーとなってしまっているのが辛く、今回カウンセリングを受けました。

(吹奏楽部同士だったので楽器だったらなんでもトリガーになっていたのかも)


今回はカウンセリングで起こった心の変化、気づきなどを記録したいと思います。

 

今回の症状

 

今回のカウンセリングで治したいと思った症状は、ピアノを弾くたびにA子を思い出してしまいピアノに集中しきれないこと。

そして「A子が許せない」という気持ちをいい加減手放してピアノを楽しみたいと思いました。


今までのカウンセリングでだいぶ心が軽くなっているので、数年前みたいに「A子に復讐したい」のような強い気持ちはなかったのですが

「やっぱり許せないよなあ…」という気持ちが霧のようにいつもうっすら心に残っていました。


なのでいつも心が後ろに引っ張られていて、前に進んでいても前に進み切れない感じ。

なので心が軽くなってもちゃんと過去は清算しきらないと、と思いました。


☆関連記事☆
過去のいじめに苦しむ人へ。いじめへの向き合い方

 

カウンセリングでやったこと

 

カウンセリングはスカイプでやったのですが、やったことは


・A子に言いたいことを、目の前にA子がいるつもりで言う

・言ったら今度は自分がA子になりきって自分のした発言に反応する


という事。


椅子を2つ用意して向き合わせ、A子を演じるときは椅子を座り変えます。

部屋には椅子がなかったため、今回は体の向きだけ変えてやりました。

 

これをやることで不思議とA子の気持ちが分かるので、自分の中にいるA子と和解しようというわけです。



カウンセリングで分かった。A子は私に謝る気はない

 

●私はA子に(自分の前にいるつもりで)

「あのときいじめられて1年間辛かったし、大人になってもずっと引きずっていてずっと傷ついている。あなたが許せない。

卒業間近に謝罪の手紙をくれたけど、自分だけいじめたことを清算しようとしてとても都合がいいように感じた。

謝らない私が悪者のようになって罪悪感まで感じてしまった。」

と言いました。



●そのあと私は体の向きを変えてA子の立場になってみます。


カウンセラーが

「サオリちゃんは大人になってもいじめられた事に傷ついてるよ、Aちゃん。サオリちゃんに謝ったらどう?」

とA子になりきった私に言います。



そしたらA子(を演じている自分)は全く謝罪の気持ちが湧いてこなかったのです。

それどころか「なんで謝らないといけないの?」という冷めた気持ちが自分(サオリ)に対して湧いてきました。



そのあとカウンセラーに

「あなたは1年間もサオリちゃんの事をいじめてきたのだから、謝罪の言葉を言ったら?」


と言われたのでとりあえず「あの時は本当にすみませんでした」と言ってみるものの、反省する気持ちがまったく湧いてこなかったんですよね。


そのとき「わたしも傷ついたのになんで謝らないといけないの?」という気持ちになりました。


A子は私と同じくらい傷ついていたようです。


なんてこった。

 

なぜいじめたA子は傷ついていたのか

 

A子の立場になってみて何で加害者のA子が傷ついていたのかというと、


A子と私は当時吹奏楽部でサックスをやっていたのですが、1年の頃からA子は先生に褒められることが多く、優越感を感じていました。


しかし2年目の冬にA子は本当はやりたかったパートリーダーも、ソプラノサックスで大会に出る事もできなかった事、

しかも自分が一番うまいと思っていたのに、私が目立ったパートをやって結果を残してしまった。


A子のなりたい、やりたいことをすべて私がやっていたので嫉妬心を抑える事ができなかったんだと思います。


といってもA子も部長で3年生の時はソリストをやったりして目立っていたのだけれど、A子にとっては部長は重荷で、演奏会でソリストをやるより私の立場が一番羨ましかった。


A子は1年間、私をいじめつつも被害者意識があったんです。


A子からしてみれば、私(サオリ)はA子の欲しいものをさらっていった加害者で、自分は被害者だから私から奪うために反撃した、という事になります。



だから私に「なんで謝らないといけないの?」という気持ちが湧いてくるのは当然だったんです。

 

 

謝罪の手紙で気持ちが冷めてしまったわけはA子の被害者意識から?

 

A子は卒業するまで私に4通の謝罪の手紙を受け取ったのですが、私は1通目を読んだ時にまったく反省している気持ちを感じませんでした。

 

私は1通目の手紙を読んで冷めてしまい、2通目は読まずに捨ててしまいました。



そして3通目をもらったときに友達に「A子がちゃんと読んでほしいって」と言われたのでしぶしぶ読んだのですが、最初に

「せっかく手紙を書いたのに、捨てるなんてどうかしていると思う」

と書かれており逆ギレ(今思い出すと草すぎるww)されたのですが、逆ギレするのは加害者意識が薄いからです。

ちなみに4通目は読まずに捨ててしまいました。



その後A子は、進学した先の高校の部活中に、同じ中学の先輩から私の事を話題に出され、泣いてしまったことがあったそうです。

そしてA子は私をいじめていた事を話したらしいのです。

当時私は先輩からのメールでそのことを知りました。


今このことを思い出してみると「罪悪感を感じて泣いたのだとすれば、なぜあの時もらった手紙から反省している気持ちが伝わらなかったのだろう」と思ったのですが、


A子が泣いてしまったのは私をいじめた加害者意識から泣いたというよりも、

「傷ついた自分の気持ちをどうにかするためにいじめるしかなかった自分がかわいそう」

「あの時はいじめるしかなかったの」(被害者意識)という気持ちから泣いたんじゃないかなと思いました。



貰った手紙からもそんな気持ちが表れていて、読んでいて気持ちが冷めてしまったんだと思います。

 

周りも被害者意識を感じていたのかもしれない


私はいじめられた事と同じくらい傷ついたことが、先生、親、友達に訴えても誰も何もしてくれなかったという事。

14歳の私にとってはとても辛かったです。


当時なぜだれも対処してくれなかったのだろうというと、誰かがトラブルを起こすとみんなでミーティング、連帯責任で活動停止して奉仕活動をする、というのが決まりだったのですが、

私が勇気を振り絞って訴えたのが引退間近の頃だったからです。

演奏会の予定もあって、みんなこんな時期に活動停止になりたくなかったんです。


それに部長がいじめをしているなんて大問題。

みんなで解決しようとすればあっという間に引退してしまいます。


きっと私に「A子にいじめられている」と言われた先生、親、友達はなんでこんな時期に行ってくるんだ、勘弁してくれ、引退した後に2人で解決してくれ、という被害者意識があったからだと思います。

 

A子の事を思い出してしまうと、私の見方をしてくれなかった人たちの事も思い出して「許せない」気持ちが湧いてきたのですが、

被害者意識を感じていたんだと思うとそりゃあ対処してくれないよね…という気持ちになりどうでも良くなりました。

 

 

お互い仲の良いままでいたかった

 

私がカウンセリングでA子に(A子が前にいるつもりで)

「小学生の頃から仲が良かったのに、中学の最後の年でこんなことになってしまうなんてとても残念」

と言ったのですが、その時になぜかぶわっと涙があふれてきました。


あからさまに体が反応したので、わたしは「A子に対する本当の気持ちってこれだな」とはっきりと分かりました。


それに対して私の中のA子は

「私も残念に思うし、仲のいいままでいたかった」

と答えました。(ここでも私は泣いたのかも)


ここら辺は私が気持ちが高ぶって泣いてしまってこともあり、あまり覚えていないのですが、「今日はお互いに話せてよかった」という気持ちを確認して私はA子との対話を終えました。

 

私はいままでA子に対する憎しみ、いじめられた事に対する悲しみを感じていて、A子が私をいじめたことに対して罪悪感を感じながら生きていくことを願っていました。


でもその気持ちは表面的なもので、本当の気持ちはただただシンプルに「こんなことになってしまってとても残念」ということ。

 

今までにも高校でハブられたりと人間関係でいろんなことがあったにも関わらず、A子にいじめられた事に執着していたのは、

小学生の頃から仲良くしていたA子にいじめられた事がとてもショックだったからだと確認できました。


そして私はA子は私の事が嫌いでいじめていたんだと思っていたのですが、A子の「仲のいいままでいたかった」という言葉から、

私の事が嫌いでいじめたのではなく、A子自身の心の弱さからいじめてしまったのだと分かりました。

ここら辺は前から分かっていたのですが、今回のカウンセリングで体感まで落とし込めた感じがしました。

 

A子への執着が無駄だと体感で分かった

 

私はA子を憎んでいました。

もし機会があるのなら心の底から謝罪してほしい、もしくは罪悪感を感じながら生きていて欲しいと思っていました。


でも今回のカウンセリングを通してA子は私に謝る気なんて全くなかったし、それどころかいじめた罪悪感なんて感じていなくて自分はたくさん傷ついた被害者と思っている事が分かりました。


なので私がA子の事を憎んでいるとA子が知ったとしてもA子は謝ったり、私の望んでいる行動はしないんだ、

私がどれだけ傷ついてきたかA子に分からせようとしてもと無駄、分かってくれないと思ったらA子に執着するのが馬鹿馬鹿しく思えてきました。

 

カウンセリングのその後


わたしはピアノを弾くたびにA子を思い出してしまいピアノに集中しきれないことに悩んでいました。

今回のカウンセリングのその後、A子の事は思い出さなくなったので前よりピアノに集中できるようになりました。


私はいじめられた事のほかに中学の大会の後、部長のA子の方が目立った活躍をしたこと、その後高校でスランプになりそのまま音楽をやめてしまって悔しい思いをしました。

それがとても心残りだったのですが、そのことをカウンセラーに話したら「その気持ちをピアノに昇華させるのよ!」と言いました。


私は今までこのことが足かせに思っていたし、いろんなことをネガティブに考えていたのですが、考え方次第で「力」になるんだなと気づくことが出来ました。


もし今後ピアノを弾いているときに昔の事を思い出すようなことがあっても力に変えて今まで以上に音楽に集中することが出来ると思います。


自分のネガティブな面と向き合うのはとてもしんどいですが、カウンセリングの後はとてもすっきりするので今回また過去を整理出来て良かったです。

 

ヒートテックがかゆくて着られない人にお勧め!綿の発熱インナー「ホットコット」

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こんにちは、サオリです


今日は2年前に私の冬の生活を快適に変えてくれた、ホットコットという発熱インナーを紹介します。

綿でできているので肌に優しいインナーで、化繊の発熱インナーでかゆくなってしまう人にぜひおすすめしたいです。

レディース、メンズ、キッズ、マタニティ用があり、サイズに関してはレディースはSサイズから5Lまであります。

冬の吸湿発熱綿混インナー ホットコット特集|通販のベルメゾンネット (bellemaison.jp)


Amazon,楽天,Yahoo!ショッピングでも購入できます↓
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ヒートテックを着るとかゆみが止まらなくなって着られなくなった

 

私はユニクロ大好きで毎年冬はずっとヒートテックを愛用していました。

が、5年前の23歳の時に着ている間、上半身のかゆみが止まらなくなり、最初は「乾燥しているからかも」と思い保湿クリームを塗ってみたのですがそれでもかゆみが止まらずネットで調べてみたところ、

ヒートテックがあたたかい仕組みは、体の水分を吸収し繊維が発熱することで暖かくなるそうなのです。


でも私の場合は保湿クリームを塗ってもかゆみが止まらず、仕方なしに手持ちのヒートテックを全部処分し、それからというものの綿のカットソーをインナーとして着ていました。

(ちなみにヒートテックレギンスはなぜかかゆくならず、今でも愛用中)


しかしながらカットソーってすごく着ぶくれするので困っていました。(そして重いしたいして温かくない)


私はなぜか発熱インナーは他社も化繊のものしかないだろうと勝手に決めつけ、何年かインナーはカットソーで過ごしていたのですが

2年前に「もしかしたら綿でできてる発熱インナーってあるのでは?」と初めてネットで調べてみたのです。


そしたらあった。綿でできてる発熱インナー、ホットコット

 

 

ホットコットはかゆくならなかった

 

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↑数ヶ月前に買ったホットコット


試しに買ってみたところかゆくならず、しかも薄手で伸縮性もあり、着ぶくれしないところが気に入りました。

綿でできている、といっても95%が綿で5%がポリウレタンなので少し心配だったのですが大丈夫でした。

しかもちゃんとあたたかい。


そして個人的押しポイントは着始めに「ヒヤッ」としないところ。

今は関東に住んでいるので気にならないのですが、東北に住んでいた頃は朝の着替えって服が冷たすぎて軽く拷問なんですよね。

ヒートテックって生地がテロっとしているので(今は違っていたらごめんなさい)着始めはひやっとして嫌だったのですが、ホットコットは綿だからなのかそれほどヒヤッとせずに着る事ができます。

 

ホットコットは何年着れる?サイズ感は?

 

私は2年前にホットコットの白とパープルをそれぞれ4枚ずつ買ったのですが、乾燥機にかけていたのと、特に白はたくさん着ていたこともあり

1年目のシーズン終わりには生地のぼそぼそ感が目立ったのと、脇の汗染みが出来てしまったので2年着て捨てました。


パープルはまだまだ着れそうで今年3年目ですが、ぼそぼそが目立ってきたので今シーズンで終わりかなと思っています。


サイズ感は私は普段ユニクロでMサイズを着ているのですがこちらもMでジャストサイズ。

けど次に購入するときはもう少しゆとりが欲しいのでLサイズにしようと思います。


生地の劣化に関しては今年は数枚購入したのですが、新品のものと比べると何回も着ているものは若干伸びた感じがしますが、ほとんど気になりませんでした。


無印にもある「綿であったかインナー」


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ベルメゾンホットコットを紹介しましたが、実は無印にも綿でできた発熱インナーがあります。(綿94%、ポリウレタン6% 2021年12月時点)

綿であったかインナー | 婦人 | 無印良品 (muji.com)

無印良品 綿であったかインナー(LOHACO)

 

私は試したことがないのですが無印の良いところは実店舗があり、商品を直接手に取ってみる事ができるという事です。

実際に手に取れた方が素材感等チェック出来て安心ですよね。

それに無印良品MUJIマイルが貯まるのが魅力的です。


無印とベルメゾンの比較


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着心地に関しては無印を試したことがないので比較出来ませんが、値段に関しては長袖の丸首で無印が790円、ベルメゾンが836円で無印の方が安いです。

ベルメゾンは色によって値段が違い、黒は990円なので小さなこだわりがなければ無印の方がお得。

でも無印はベーシックカラーしかないのに対し、ベルメゾンはカラーバリエーションが多いのが魅力です。

個人的には冬は気持ちが塞ぎこみがちなので、特に無彩色の服を着がちな人はインナーの色を有彩色にしてで気持ちを高めるのもおススメです。

 

 

20代のほとんどを黒髪で過ごして感じたこと、メリットデメリットなど

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こんにちは、サオリです


私は17歳の頃に髪の毛を染め始めて、自分の髪色がいろんな色になるのが楽しく約1ヵ月毎に髪色を変えていたのですが21歳くらいの頃にふと

「このまま染め続けたら死ぬまでもう自分の地毛の色を拝めないのか?」

「もし前世が金髪の人で『来世は黒髪に生まれてみたいな』と思って生まれてきたんだとしたら私は黒髪をもっと堪能するべきなのではないのだろうか」


と思って茶髪をぱったりやめ、現在28ですが今のところ黒髪のまま20代を終わらせるつもりです。

私が20代前半の頃って、高校卒業したら髪の毛染めるの当たり前、黒髪=ダサいみたいな空気があったので20代で自らの意思で黒髪で過ごしたのは結構レアケースです。

今日は20代のほとんどを黒髪で過ごしてみて感じたこと、メリットデメリットを書いてみようと思います。

 

黒髪にしてしばらくは自分に自信が持てなかった


読んでいる雑誌のモデルとか同世代の人はみんな茶髪に染めていて、黒髪なのは就活生くらいだったので黒髪に戻したときは自分に自信がなかったです。

しかも周りに「黒髪嫌だー」という人が多かったので、黒髪に対してネガティブな印象がありました。

やっぱり周りと同じってすごく安心するんですよね。


それに髪を染めているって、多少ちぐはぐになっても「見た目に気を使っています」という意識が外見に表れていて、それが多少垢ぬけさせてくれる感じがありました。

なので黒に戻してからは自分がダサくなった様に感じたし、やっぱり茶髪じゃなきゃ垢ぬけないのかな、と茶髪に戻すか迷ったこともありました。


でも地毛の色と染めた黒って全然印象が違うので、地毛が伸びきったら黒髪が好きになるかもしれない、とそこはグッと我慢しました。


黒髪に戻したら服と髪型に困った


黒髪に戻して困ったのは服と髪型。

それまで好きで着ていた服はぶりぶりした甘めの服。(昔のスナイデルのワンピース好きだったな。)

今思えば全く似合っていなかったのですが、メイクや髪を工夫することによって無理やり似合わせていて、

それが黒髪に戻した途端、一気にバランスが崩れてぎりぎり似合っている所から全く似合わなくなってしまい、服の路線を変えざるを得なくなってしまいました。

でもまあこの頃はそろそろぶりぶりした服やめたいと思っていたのでそれほどダメージはなかったのですが、方向性に困りました。


髪は今まで茶髪の時にやっていた巻き方が似合わなくなってしまい、黒髪率が圧倒的に多い中国の女優さんの髪の巻き方やスタイリングなど参考にしてきました。(なのでヨシンモリとかワンホンヘアとか日本にやってきた頃今さら感あった)

黒髪は茶髪に比べ平面的に見えるので、何も考えずミックス巻きにしてしまうとただぼざっとしているようにしか見えないのです。

黒髪は髪のつやを楽しむ髪色と思っています。

黒髪はエレガントな雰囲気のスタイリングと相性が良いですね。


黒髪の抜け毛の存在感がすごい


25歳の時に一度だけ気持ちを明るくしたい、と思いふたたび茶髪に染めたことがあったのですが、染料の臭いがダメになってしまったのと、色が抜けやすいのがストレスで黒に戻した時にびっくりしたのが抜け毛の存在感。


茶髪になれてしまうと黒に戻したときの抜け毛を見た時に自分の髪の毛がすごく抜けているように感じるんですよね。

「脱毛症!?」ってレベルで不安になったのを覚えてます。

 

 

「何で染めないの?」「染めたら?」と言われることが多かった

 

これは私がヘアメイクの学校に通っていたというのもあるかもしれませんが、周りから何で染めないの?染めたら?と言われることが多かったです。ヘアの先生にも言われました。

ちなみに同じクラスで染めていなかったのは2人しかいませんでした。(男子を覗く)

それくらい髪の毛染めて当然な雰囲気はありましたし、黒髪だとこんなに周りから珍しがられる(?)んだなーと思いました。

その時服も簡素だったため、もしかしたら「もっと見た目に気を遣ったら?」の意味で言われていたのかもしれません。


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3年間同じ服装をしてみた時の話

 

カラー代が浮くので表参道の人気サロンに通っていた


黒髪で良かったと思ったのは、カラー代が浮くという事。


私はカラーをしていた時は5週間毎に通っていたので1年間で10回のカラー。カラー代が約6000円だったので1年間で60,000円かかっていたことになります。

その6万円が浮いた分で勉強がてら表参道の人気サロンに通っていました。

カットだけで7000円くらいしたのですが、受付専用のスタッフがいたり、美容師さんはみんなオシャレだし、接客やサービスはかなりいい刺激になりました。(お茶菓子もオサレだった気がする)


人気サロンのためいつ行っても混んでいて、ざわざわしていてゆっくりできないのと、今はそれほど髪にこだわりはないため、今は自宅近くの小さくてゆっくりできるサロンに通っています。(しかも安い)


黒髪はお金が浮く、時間ができる


染めていた頃は、カラーに加えパーマをしていたこともあり、枝毛が常にある状態だったのでトリートメントやらヘアオイルにお金をかけていました。

しかも「どのトリートメントがいいのかな~」とネットでダラダラとリサーチしていたのですが、黒髪にしてからは枝毛もできないのでトリートメントもいらなくなり、時間とお金が浮きました。


時間と言えば、髪を染めていると地毛の伸びた部分や染めた色が抜けてきたりすると「そろそろ美容室行かないとなー」と髪に気に掛ける事が多かったのですが、

黒髪だとそんなこともなくなったので考える事が減った結果、精神的プチ負担が減ったのと、カットだけだと美容室にいる時間も短く済むのでこれまた精神的プチ負担が減りました。

 

アラサーになって健康的な黒髪を楽しめる時間はそう長くはないと感じた


美容師さんから聞いたのですが、若い人だと35歳から白髪が映え始めるそうです。

そう考えると地毛色オンリーのつややかな黒髪を楽しめるのって意外と短い事に気が付きました。今28なのであと7年。

染めた黒は嫌なのでもし私に白髪が映えて染めるとしたらブラウンに染めると思います。

なのでブラウンに染めたヘアは白髪が出来た時に楽しむとして、今は黒い髪を楽しもうと思います。

 

 

コンプレックス「自分の顔が嫌い!」と思ったときに考えたいこと

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こんにちは、サオリです

自分の顔が嫌い!と思ったことはありますか?

私は高校生の頃整形したいと本気で思っていました。

小学生くらいの頃から自分の見た目を気にしていたのと、メイクの勉強をしていたこともあって美醜について考える事が多かったのですが、

今日はずーっと考えてきたことを「自分の顔が嫌い」と思っている方に向けて書きたいと思います。

SNSや雑誌は一旦やめる


「自分の顔が嫌い!」と思っている人にはしばらくの間、ファッション、美容雑誌やSNSをやめる事をすすめたいです。


私が「自分ブスだな」と強く感じていた時って、雑誌を読んでるときが多かったです

雑誌に写っているモデルさんの顔と自分の顔を見比べては「何で私はこんな顔なんだろう」と落ち込んでいたし、悲しくなっていました。

この時の私に何が起きていたかというと、ずーっと雑誌のモデルの写真を見続ける事によって「この顔の整い方が普通」と思うようになっていたんです。

顔だけじゃなくて体型とかも。


この現象、きっと私だけではないと思います。

なのでしばらく雑誌やSNSから離れて冷静になることが大事です。

冷静になって街を歩いてみると人気モデルやSNSのかわいい子みたいなきれいな整い方をしている人ってそういないことに気が付きます。

 

自分がブスに感じるのはブスなところを一番知っているから


当たり前ですが雑誌やSNSにいまいちな顔の写り方をしている写真って載せるわけがないんですよ。


何が言いたいのかというと、例えばインスタでAちゃんのかわいく映っている写真しか見ていないからAちゃんがかわいく感じるのです。

対して自分の場合は寝起きで目が死んでる顔とか、生理前でやたらむくんでいる顔とか、ファンデーションを落としたときに表れる毛穴とか、

おブスなところをたくさん知っているから「自分ってたいしてかわいくないわー」と感じるのです。


自分のプライベートなおブスの時の顔と、他人のそとづらの顔を無意識に比べてはいないでしょうか。

どんなに美人、かわいいと言われる人にだって24時間の中でおブスな時は必ずあります。

 

 

別系統の顔になろうとするとどんな人もおブスになる


私が自分の顔を受け入れ始められたきっかけはイメージコンサルティングを受けたことです。

それまでは美人百花みたいな服やメイクが好きで真似していたのですが、とにかく野暮ったく「野暮ったいのは自分がブスだからだ」「太っているからだ」と思っていました。(そして摂取障害にもなった)

でもイメージコンサルティングを受けて自分が良く見える服やメイクを試したところ、体型は変わっていないのにスタイル良く見えたり、顔の印象が増したりして

「目指す方向性を間違っていたからブスに感じてたんだ」と気づきました。


これに気が付いてからはブス扱いされていたり、ブスだと思っている人って「魅せ方がわかっていないだけなんだな」と思ったんですよね。

別系統の顔を目指して50点の印象になるよりも、自分の顔を受け入れて80点の印象になる似合うメイクをした方が洗練されて見えるし、だんだんと自分の顔が好きになってくるので生きやすくなります。


昔はキュートな顔に憧れていましたが、エレガントな色っぽいメイクをした時にびっくりするくらい映えるので今ではそんなメイクが似合う自分の顔が好きです。

 

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体重信仰の摂取障害だった私がダイエットをやめられた話

 

「美人とはこういう顔」と決めつけて自分で自分の首を絞めていないか

 

昔、元モデルが書いた美人になるための自己啓発本を読んだことがあるのですが、その本のレビューに

「こんな本を書いているくらいだから著者の顔がどんなもんかと思ってネットで調べたらブスだった」と書いてあるのを見ました。

でもその著者、私が見る限りとてもきれいな方でした。


そのレビューを書いた人は、著者をなんでブスだと感じたのかというと「美人とはこういう顔」と決めつけていたからだと思うんですよね。

著者の顔立ちは目が小粒で、他の顔のパーツの印象も控えめの優しい印象を受ける方だったので、レビューでブスだと書いた人は

「美人とはお目めぱっちりの派手な顔」と思っていたのだと思います。(目がぱっちりしているから派手ってわけでもないけど)


私も昔は「美人とはこういう顔」と決めつけていたので分かるのですが、こう決めつけてしまうとそれに自分の顔が当てはまっていない場合、自分で自分の首を絞めていることになるんですよね。

それにそう思っているという事は、人の顔に対しても条件に当てはまっていないと「ブスだな」「かわいくない顔」と思っているという事です。

顔に執着しているときって、自分の顔だけではなく人の顔についてもいろいろ思っているもんです。

自分に厳しい人は人にも厳しいですからね。


わたし、これに気が付いたときに自分めちゃくちゃ性格悪いなと思ったし、専門学校時代になにかと顔に執着する子がいて

「この子は目がかわいいけど鼻が微妙」「この子このアングルから取ると微妙だよね」

としょっちゅう人のインスタを見ては人の顔の査定をしていたのですが、自分も心の中ではこの子みたいに人の顔査定してるな…と気がついて「いろんな系統の顔を素敵な顔と思いたい」と思いました。


やっぱり「こういう顔が美人」と思ってしまうのってTVや雑誌、SNSの影響がかなり大きいです。

なのでメディアから一旦離れて、自分の顔と真正面から向き合うのが大切です。

 

顔に執着していると顔で傷つくことが多くなる


過去に自分の顔に執着していて思ったのは、執着すればするほどなぜか人に容姿の事を言われる事が多くなり、傷つくことが多くなるという事。


先ほどの項目で書いた、やたら顔に執着する友達に出会ってその友達にメイクの授業でメイクをしてもらったときに

「まぶたのしわが多くてアイシャドウが塗りにくい、もうやだ」「唇が小さくてリップが上手く塗れない」

とメイクが上手くできないのを私の顔にされたこととか、

学校外で友達を作りたいなと思っていろんな集まりに参加したときに、出会った男性に「クラブのママみたいですね」と言われたり、

高校生の頃は友達に「その鼻と目、整形?」と言われて、当時整形はかなりネガティブな印象だったので傷ついたり。


顔に執着しているという事は、自分の顔にコンプレックスを感じているということなので、それに合わせて現実もさらに自分の顔にコンプレックスを感じるような出来事が起こるんですね。


「日本は見た目を気にしすぎて生きづらい」「ブスは損する」とネットで見たことがあるのですが、そう思っているから現実がそうなるのであって。

見た目ばかり気にしていると同じく見た目を気にしている人が集まってきて、ルッキズムの世界しか見えなくなってしまっているんですよ。

逆に執着がなくなると容姿の事で人から何か言われることがなくなるし、言われても褒められることが多くなるんですよ、不思議なのですが。


それに見た目の事を気にしていない人って案外多い事に気が付きます。

私が見た目に執着してた頃は「世の女性はみんなメイクに服に、見た目に磨きをかけているんだ!」と思っていたのですが(そして周りがそうだった)、

見た目は清潔にしていればそれ以上はどうでもいいって人、本当にたくさんいます。


じゃあどうすれば顔に執着しなくなるんだよーというと、鏡をを何回も何回も見るのをやめるのと、何度も言いますが雑誌やSNSを見るのをやめる事。

ほんとに一旦、やめてみてください。

やめてみる事で効果を実感することができます。

 

なんでもかんでも顔のせいにしない


何でもかんでも顔のせいにしていませんか。特に恋愛。

「この顔だからモテないんだ」「美人になれば人生上手くいくんだ」とか。


私は過去に合コンしたときに受けが悪く「自分の顔は老け顔だからモテないんだ」「もっと幼くてかわいい顔だったらモテるんだ」と本気で思っていました。(ちやほやされていた子がキュートな感じの子だったから)

それに顔が可愛ければ人から優しくされるし、人間関係も良くなると思っていたのですが、これは大間違いでした。


わたしは人に頼るのが苦手で、いつも自分でなんとかしなきゃ、しっかりしなきゃと思っていたし、

競争心ゴリゴリで男に負けたくない、と思っていたので平気で男のプライドをズタズタにしてきたんですよね。

この性格のかわいげのなさが雰囲気に表れていたので合コンでウケが悪かったし、いい感じの人ができても恋人にはならなかったり、何かと人から攻撃されることが多かったんです。


たしかにモテに関しては一般ウケしやすい顔は「きっかけ」が多いのは事実ですが、きっかけが多いってだけでそのあとパートナーシップが上手くいくとは限らないんですよね。

もし「美人であればなんでもうまくいく」のであれば、不幸な美人は存在しないことになります。

でもそうではないのは分かりますよね。


なので何でもかんでも顔のせいにしないことです。

(ちなみにモテに関してちょっというと、自分はどの層にウケやすいかを考えるとご縁が出来やすいですよ)


男性をもっと信じよう


私はとにかく顔さえ良けりゃモテると思っていたのですが、今思えばこの考えは男性をバカにしすぎていたなと思います。

たしかに10代、20代は顔で選ばれがちですが、それなりに恋愛経験を積んでくるとこのタイプとは相性がいい、悪いと分かってきて、顔以外の要素の大切さがだんだん大きくなっていくし、

結婚も視野に入れるとさらに顔以外の条件(趣味とか性格とかライフスタイルとか)の割合が大きくなってくるんですよね。


なのでもしこの顔だからモテない、と思い込んでいる人はもっと男性の事を信じてみてください。

男性も顔だけで選ぶほど馬鹿じゃないです。

 

表情暗くなってませんか?


で、また合コンの時の話なのですが、終わった後とある男性から「全然笑ってなかったね」「表情が暗い」と指摘されたことがありました。(心配して言っているというよりは、もう少し楽しそうにしたらどうなんだ?みたいなニュアンスで)


言われたときはカチンと来て「てめーらがおもしろくないいじりしてくるからだろーが」とイラついたのですが、

振り返ってみればたしかに私は見た目ばかりを気にしていて、あまり自分の表情を気にしていなかったんですよね。

それに先ほども書きましたがとにかく「きちんとしなきゃ」という思いがあったがためにとにかく表情が硬く、こわばっていました。


今思えば私は顔の造形ではなく、表情を良くしたかったんじゃないかなあと思うんです。

私は昔、人見知りだったので暗い表情をしていたと思うんですよね。

その暗い表情を自分の顔の造形のせいにしてあんなに悩んでいたのかな、なんて思います。


当たり前ですがムスッとしているよりニコッとしている人の方が魅力的ですよね。

もし顔の造形ばかりにとらわれていたら表情が暗くなっていないか、振り返ってみてください。

顔に悩んでいるときって、ムスッとした表情になっているときが多いです。


自分の顔を褒める、褒められたら受け取る

 

過去に人から顔の事を言われたことがあっても、結局たくさん自分の顔をけなしているのって自分自身なんですよね。


それに「自分はブス」と思っているとどんなにきれいになったって、人から褒められたって「まだ自分はブスだ」「お世辞を言っているんだ」と自分の良さや人の好意を受け取れないままです。

結局、自分自身が自分を肯定できないと何をやっても意味がないんですよ。

自己肯定感の低さが自分をブスに感じさせているんですよね。


なのでまずは

・自分の顔を褒める

・人に褒められたら素直に受け取る

という事をお勧めしたいです。

最初は顔のパーツを褒めるところからでもよくて、とにかく自分の容姿を褒めることに意味があるんです。


今までかわいくない、自分の顔が嫌い、と思っていた人はそういうネガティブ思考回路が出来てしまっているんですね。

思考は習慣なので、自分の顔を好きになるには少しずつ褒めて「かわいい」「美人」回路を作っていくことが大切です。


自分には褒められるところなんてない、という人は過去に人から褒められたことを思い出したり、おススメなのはデパートのコスメカウンターでメイクをしてもらう事。

BAさんは素敵なところを見つけて褒めてくれる方が多いので、褒めてもらったところをそのまま素直に受け取ってください。

顔の造形を褒められなくても、このリップ似合いますね!とか素敵です!と言われたら「このリップ似合うんだ!」「私素敵なんだ!」と思うようにしてみてください。


こういうちょっとした習慣で自分のコンプレックスに感じているところが不思議と気にならなくなっていきます。

私の変化で言うと、前はメイクをし終わった後でもコンプレックスを感じているところに目が行きため息をついていたのですが、

いまは「私の目、すきだなあ」と感じるまでになっています。


自分の顔を好きになるために魅せ方の研究も大切ですが、まず自分の魅力を受け入れることが大切です。

 

【買い物依存?】たくさん服を買っても満足できない理由と解決方法

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こんにちは、サオリです

服を買っても買っても、まだ買いたい!と思う事はありませんか。

前に「服を買うのが止められないのは、なぜ?原因7つ! 」という記事を書いたのですが、今回は別の視点で書いてみたいと思います。

 

他人軸で服を買っているから


自分軸で買っているようで実は他人軸で買っている、なんてことは良くあります。

雑誌やSNSの影響で買ってしまったり、他人の目を気にして自分の好きな服を買わないなどがそうです。


私は雑誌の情報や他人にどう見られるかを気にしすぎた結果、自分を抑圧しすぎて自分の好きな服、色が何なのか、どういう服装をしたいのか分からなくなってしまったことがあります。

しかも厄介なことにその時は他人軸になっていることに気が付かず、自分の好きな服を着ていると思っていました。

でも他人軸であったため、本当に着たい服とは違うのでいつまでたっても満たされず、服を買い続けていました。


その服はインスタで○○ちゃんが着てなくても買う?

雑誌に掲載されてなくても買う?

自分の好きな服を着たら本当に人から何か言われる?


もし服を買っても買っても満たされないのなら、他人軸になっていないかどうか振り返ってみてください。


☆関連記事☆
したいのは「自分らしい」服装。オシャレのその先

 

承認欲求が強いから


オシャレをする目的は人それぞれで、自分に自信を持ちたい、服で自分を表現したい、オシャレだと思われたい、モテたいなどがあると思います。

この中でも厄介なのがオシャレだと思われたい、モテたいなどの他人からの評価が必要な目的です。

雑誌のオシャレ情報に流されて「○○がオシャレ!」と書いてあれば考えなしにすぐに飛びついたり、好きでもないのに「モテそうだから」と服を買ったりしている場合は承認欲求に振り回されている可能性があります。


私は元々プライド高めの見栄っ張りで承認欲求ゴリゴリの人間なのですが、私がおススメしたいのはあらゆるファッション情報から一旦離れてみる事です。

承認欲求が高いとファッションも他人軸になりがちなので、一旦情報から離れてみると自分軸がいかにブレていたかに気づき事ができます。

過去の私で言うと、似合わないのにその時トレンドだったマウンテンパーカーを買ったりセクシーなボディコンワンピースを買ったり…まったく自分らしくない服ばかり買っていました。


前の項目でも書きましたが他人軸で選んだ服は満足感が得られにくいです。

かならずしもその服を着て自分の得たい評価を得られるわけではないし、他人軸で買った服は時間が経つと「なんでこんな服買ったんだろう」と買った理由をすぐ忘れてしまい、断捨離コース一直線です。

なので情報から離れて冷静になることが必要です。


強すぎる承認欲求をどうにかしたい、と思っている人はこちらの記事を参考にしてみてください↓

【元うつ病】承認欲求を満たし、自己肯定感が高くなった方法
人と比べてしまう本当の理由と解決方法

 

メンタル面での不足感から買っているから


私は4年前までモノトーンでコンサバな服装をしていました。

専門学生の時なんて、お客様に学校の事務員と間違えられるほど。

最初は服選びが楽になるからという理由でモノトーンでまとめていたのですが、そこには「きちんとしなきゃ」「しっかりしなきゃ」という気持ちも隠れていました。


その証拠に、色のない服で埋め尽くされたクローゼットを見てストレスを感じていたにも関わらず、それでもモノトーンにこだわっていた事と、

きれい色の服や揺れるスカートを履いている人をみて「男に媚びたようなバカっぽい恰好はできない」と思っていたからです。

でもうつ病が悪化してメンタルが崩壊したときに「こんなネズミ色の服着たくない」という気持ちが湧いてきて、自分は一番着たくないと思っていたきれいな色を着たいんだと気が付きました。


ついつい暗い色の服をを買ってしまう人は、昔の私のように自分はダメだから「しっかりしなきゃ」「強くなければ」というメンタル面の不足感から選んでいないでしょうか。

特に黒い服は、長い間頻繁に着ていると自分を抑圧することにつながるので注意が必要です。


もし暗い服ばかり選んでいるのだとしたら、

毎日が楽しいと思っている自分はどんな服を着ている?

幸せそうな人が着ている服ってどんな服?


という事を考えてみてください。

ここで出た答えがあなたの着たい服です。

本心から着たい服を着れば買い物も満足度が上がるはずです。


☆関連記事☆
自分らしいファッションとは?私が“自分らしいファッション”ができるようになるまで

 

自分よりオシャレな人と比べているから


これは私あるあるなのですが、新宿などの繁華街に出かけてとびきりオシャレな人を見ると「私ももっとおしゃれになりたい!」とよく思います。

そして帰ってネット通販を眺める、そしてどんどん服が欲しくなっていたのですが、オシャレな人と私のライフスタイルは違っているので、そのオシャレな人の服をまるまる真似したところで満足感なんて得られないんですよね。

ヒールは歩いていて苦痛だし、ポリエステルのブラウスはストレスを感じるので私は毎日着る事ができません。


今もオシャレな人見ると「いいな、素敵だな」と思うのですが、「いや待て私はあんな高いヒール買っても履かないでしょ」「フリフリのブラウス着てもお家でリラックスできないでしょ」と思い冷静になることが出来ます。


ライフスタイルによって必要なオシャレはそれぞれ違うし、どれくらいオシャレにパワー(時間や金銭面)を注ぎ込めるかもひとそれぞれです。

なのでオシャレな人と比べて「私もああなりたい」と思ったら「あの人と自分のライフスタイルは違う」と思い出してみてください。

 

服を買うデメリットが見えていないから


服を買うにもデメリットがあります。


例えば新しい服を買うとその代わりに着ない服が発生します。

着ない服がどんどん増えていけば断捨離が必要になってきて服を大量処分することに。

服の単価って高いので処分した服の合計金額が普通にブランドバッグか買える値段だったりします。


自分的には60点のまあまあな服を何着も買うより、欲しいブランドバッグを買う方が達成感もあるし満足感も得られやすいので、服が欲しくなったら

「その服を1着買うと欲しいブランドバッグから遠のくけど、それでも買う?」と考えると欲もセーブしやすいです。

ブランドに興味がなかったら旅行とか家電でもいいかもしれません。


他には手間や時間。

洗えないコートやニット、ジャケットはクリーニング代がかかったり、量があれば衣替えが大変です。

それにネット通販での買い物は特にダラダラと見てしまいがちなので家事がおろそかになりがちです。(私の場合はね)

家事と言えば、昔住んでいた部屋のクローゼットが広かった分、服の量も結構持っていたのですが、引っ越してクローゼットが小さくなった分、服の量も減らしたら洗濯物をため込むことが少なくなりました。

まめに洗濯しないと着るものがなくなってしまうんですよ。

服の量はセーブした方が生活しやすいと思いました。


服を買う前に服を買うデメリットを考えてみると良いかもしれません。

 

生活が充実していないのを服で満たそうとしているから


買い物が止まらない人は毎日の充実感が感じられずにその不足感を服で埋めようとしていないでしょうか。

私が服を無駄に買ってしまうときって決まって生活がつまらないと感じているときです。

特に感染症の影響で趣味で通っていたピアノ教室がお休みになったり、ジムに行くのを自粛していた時は服を買っても着ていくところなんてないのに無駄に買っていましたね、反省。

このとき趣味って大事だなと思いました。

なので趣味がない人はなにか新しい事を始めてみるのも良いかもしれません。服から意識が逸らせます。

 

オシャレになれば幸せになれると思っているから

 

雑誌やネット通販でオシャレな恰好をしたモデルが幸せそうに笑っている写真を見ると、私たちは無意識に「わたしも同じ服を着ればこんな風に幸せになれるに違いない」と思ってしまうものです。


車のCMでよくある、家族がその車に乗ってしあわせ家族を演出するのは「この車を買えば幸せな家族になれる」と無意識に思わせるためであると昔本で読んだことがあります。

本で読んだ時に私は心当たりがありまくりで、欲しいものがあって買おうか迷っているときは決まって欲しい服を着たモデルと自分を重ねて「その服を着た幸せそうな自分」を想像していました。(今もそうだけど)

でももう小綺麗な恰好をしていたらそれ以上服で幸せになる!人生が変わる!なんてことはなくて、一時的な高揚感はあってもまた平凡な日常に元通りです。


じゃあどうしたら幸せを感じられるかというとまずはクローゼットの整理をして「すでに持ってる!」を感じる事。

それをして自分の手持ちの服を確認すると「あーそういえばこんなの持ってたわー」「服いっぱいあるじゃん」なんて思うのは私あるあるです(笑)

買ったそのときはたくさん着ようと思った服が数回しか着ていなかったことに気が付けて、欲しいと思っている服から意識を逸らすことができるし、

自分はたくさん服を持っていることに気が付いて、満たされることが出来ます。


それから「欲しい服から自分の望みを知る」という事。

欲しい服を着ている自分は何をしているか想像してみてください。


例えばかわいいルームウェアを着てお家でゆっくりしている自分を想像したら、あなたの望みはルームウェアを買う事ではなくて「お家でゆっくりしている自分」です。

きっと今疲れていてお家でもあまりリラックスできていないのかもしれません。


かわいい服を着て楽しく彼氏とデートするところを想像したら彼氏との関係がマンネリしているのかもしれません。

そうだとしたらやるべきことはかわいい服を買う事ではなくて、マンネリ打破のための行動です。


このように「欲しいのは服じゃなくて別の事」と気が付くことが出来れば、本当に幸せになるための行動をすることが出来ます。