こんにちは、サオリです
今日はネットでふと目にした誰かが書き込んだのか分からない、個人的に刺さったファッションに関しての書き込みや、ファッション名言をまとめてみようと思います。
自分の世界観みたいなのを持ってる。
普通の人は可愛い、これ着てこんなふうになりたいって服の引力に引き寄せられて服着てるお洒落な人は服がその人の引力(魅力)に引き寄せられてその人に纏われてるって感じ
服を主役として考えちゃダメ
服に選ばれようとしてもダメ自分の魅力を最大限に引き出してくれる服を
こっちが選んでやるんだよ
みんなが「お洒落」だと思っている人たちにとってのお洒落の定義とみんなにとっての定義が別物
みんなと同じようでちょっとだけ違うのが中級
自分の世界観を素敵に表現するのが上級(奇抜という意味ではない)
おそらく上級は初級に近くなる、わかる人はわかる、わからない人には初級に見える、みたいな
中級こそ、一般性があって、田吾作にも低層にもわかりやすい
上級はファッションが表現(自分本位)というより表象(関係依存、状況依存)になる
ネットに貼られるとオシャレに見えなくなってしまう装い
分かるわー
本当の上級って普通だけどその普通がスタイリッシュって感じ
中級だとオシャレしてます!って分かりやすいみたいな
服だけじゃなくていろんなものを好きになって、好きを貫く
音楽とか美術とかアニメとか、釣りとかでもなんでもいい
好きがいくつもあるとそれが服にも反映されて、その人の生きた跡(スタイル)表現されるあとおしゃれな音楽を聴くのもすごく大事だと思うし、
有名な美容室のオーナーさんもかっこいい音楽を聴かないと駄目みたいなこと言ってた
ジャンルはなんでもいいから、パリやミラノとかのコレクションで使われる曲で好きな音楽を探すといいかも
醜いのは自分自身の美的感覚なんだよね
雑誌は夢
真に受けない方がいい
ブランド物を着てオシャレに見えても、それはブランドのアイテムがオシャレでセンスがいいだけであって、着ている本人がオシャレでイケてるわけではないということかと
ブランドに傾倒している方はその辺りの自覚が弱いんだろうなと思います
オシャレって確かに言われると嫌なんだけど、これたぶん年齢もあるんじゃないかなと。
学生まではオシャレの重要度がやたら高いから。
それもあって社会人になるといつまでも個性派とか自分を服や髪型で表現しているのが幼稚に思えるんよな。
生き方とリンクしてないと大人としてはサブい趣味になる気がする
全然顔がカッコよくなくても背が低くても自分特有の雰囲気やファッションで全然プラスに持っていける。
そこで諦めないでどう自分を表現して同じ価値観の人との出会いを増やすかが大切だと思う。
自分の感覚的な話だけど、百貨店などのメンズの服を置いてる店の販売員とかはみんなスーツで顔カッコよくて背高いイメージやけど、セレショは顔がカッコよくない人も背が低い人も十人十色だと思う。
それがつまり"個性"が評価される瞬間だと思います。
顔が悪いとおしゃれをしても無駄っていう発想は、おしゃれは他人の目を楽しませるものとして考えてるからではないでしょうか?
好きなものを着ることに、他人の目は関係ありません。
おしゃれは、自分自身の気持ちの満足のためのもの。自信をつけるもの。
だから、顔が良かろうと悪かろうと、おしゃれに無駄などありません。
もし自分が顔もスタイルも完璧、どんな服でも似合う超人だったら、服を選択する意味もなくなるし、ファッションそのものの醍醐味がなくなってしまうと思う。
人それぞれちょっとずつ身体的な特徴が異なって、それぞれが独自のスタイリングをするからこそおもしろい。
自分はメンズにしては低身長な方ですが、だからこそファッションと出会って明るくなれたし、楽しめています。
仮に顔もファッションの一つの要素と考えれば顔の形が他のファッションの要素に影響を与える事はもちろんあるだろうけど、整ったオシャレな服もあれば、不整いで崩れたオシャレな服もあるように、必ずしも整った顔(イケメン)だけがオシャレをつくるわけではないとおもう
私は自他ともに認めるファッションフリークで、よく「お洒落」と言ってもらえるけど、そんな自分を作っているものは何かと言うと「黒歴史」に尽きる。
たくさんトライして、その結果たくさん失敗したり、時には間抜けに調子に乗って恥かいたり、服を買いすぎて次の給料日まで食事もままならない事態に陥ってみたり、、人の10倍、いや100倍くらいの「黒歴史」を積み重ねて、むしろ今でも黒歴史を更新しながらトライを続けているから、「お洒落番長」と呼んでもらえていると思う。
多分死ぬまで「黒歴史」は更新され続けると思うし、死んだ後も、あの世で「いやー、あの死装束は『黒歴史』だったわ、、」って言っていたい。
もともと美人でスタイルもいい女優やモデルにだって、このヘアメイクはなんかいまいち、この服はあかん!って写真もあるのに、一般人なんてストライクゾーンはもっと狭いのに、常に似合うのを探し求めてないとダメだわ。
よく紹介している海外のスナップは、シンプルでかっこいいものが多いが、これにもし憧れた日本人のあまり背の高くない男の子が真似をして、その姿を写真で撮っても、スナップのようにはならず、「やっぱり大事なのって顔、スタイルじゃん」ってなるのは仕方ないと思う。
だからこそ、自分自身を理解して、「どうすればカッコよくできるだろうか」っていう問いを考えることにファッションの本質があると思う。
顔や体型、どんな服を着てるかよりも余裕とか服を楽しんでる人の方がオシャレに見えるんだなって最近実感した
海外のストリートスナップで紹介されるような人をオシャレに感じる自分としては、「ファッションに気を遣いすぎていない」ことが大切に思えます。
自分の周りで昔からオシャレに思う友人も、「シンプル」で「着ている本人がリラックスできている」洋服を着ていて、ファッションブランドはあまり詳しくないので、その感じは素敵だなと思います。
年取ると顔面なんてそんなに関係ない
50歳らいからは顔、スタイルよりもセンスがものいうし、おしゃれ楽しめる人は人生豊だと思う。
今は辛いかもだけど頑張れ!周りなんか気にせずセンス磨くのよ!後々効いてくるから
お気に入りは着れるうちに着る方がいい
大事に大事に着る回数が少ないまま年齢的に似合わなくなったり体型が変わって着れなくなったり、、
大体処分できない服って「あんまり着てないからもったいない」って感覚があるからだけど、たくさん着たら処分するときも「これだけ着たから」って思えるよ
こう思えるようになるまで長い年月がかかったけどね
マジでそう思う。てゆうか自分がオシャレじゃないのはモデルみたいな顔とスタイルじゃないからしょうがないっていうただの言い訳にしか聞こえない。
マジで顔も年齢もスタイルも関係ない。絶対的にセンスの問題だし、それに加えてやはりオシャレに値する存在感や説得力みたいなものが必要で、これは長年蓄積した経験値がものを言うので、あまり若い人でオシャレだと思う人って少ないのは経験値の差だとおもう。あと現実的には財力。財力がある方が圧倒的に有利な世界
天性のおしゃれな人と見様見真似でおしゃれになりたがってるひとの間には大きな壁がある
おしゃれな人にはいつだって無理がなく均整が取れていて誰から見てもしっくりくる
なぜ今日あんな恰好しているのか?という疑問を持たれることはなく、ただただオシャレな人に見える
服がオシャレな人って本当に凄いわ
流行り
サイズ
服の色合い
肌と色との服の色の相性
その人のスタイルの良さを生かした形
その人の雰囲気に合わせたテーマ
季節感
素材感
TPO
同性受け異性受け
謎のマッチ感
清潔感
髪型
眉毛
骨格
オシャレな人ってこんくらいを一瞬で見極めてるわけやろ、考えてる事多すぎる