こんにちは、サオリです
昔とあるモデルが書いた「きれいになる本」的な自己啓発本を読み終わったときに、他の人はこの本にどんな感想を持ったのか気になってアマゾンのレビューを読んだ時の事。
「どんな顔なのかと思って著者を検索してみたらブスだった」という失礼極まりないレビューがあったんですよ。
それで私も気になって検索してみたらモデルの肩書に恥じない美人な方でした。
たぶん失礼なレビューを書いた人には「こういう顔が美人だ」という美人の固定観念があって、
著者はそれから離れた顔立ちをしていたのでブスだと感じたのだと思います。
でもまあ、このレビュアーさんの気持ちも分からんこともないんですよ。
というのは10代の頃、ミスユニバースに出場している日本人をテレビで見たとき美人とは思えなかったからです。
理解できない“美”が理解できるようになった
それまで大衆向けのファッション雑誌に出ているモデルしか見たことがなかったので、世界基準の“美”を受け入れる事が出来ませんでした。
これでもかってくらい濃いコテコテのスモーキーアイに長すぎる黒髪…、いわゆるアジアンビューティーが私が思うかわいい、美人の感覚からとても離れていて…まあびっくりよ…。
でも不思議なもので専門学校に行ってモード誌に出ているモデルやコレクションの写真をよく見るようになると
私が昔思っていた“美”からかけ離れた、世界で活躍するアジア人モデルを美しいと思えてくるから不思議なものです。
モデルだけじゃなくその変化はファッションも。
ときどきネットでネタにされるオートクチュールの変なドレスやヘアメイク。
それさえもずーっと見てるとかっこいいと思えてくるんですよ。
その世界のノリが分かってくる。
専門学校入学したての時って当たり前ですがヘアメイクが好きで入学してきたとはいえ、そういうモードの世界を知らない子がほとんど。
そういうオートクチュールのおもしろファッションやヘアメイクを最初はなかなか理解できないんですよ。
もうそりゃあ「こんな世界理解できるようになるんだろうか」とみんな思ったに違いありません。
でも作品作りの参考にいろいろみてると気が付いたらヘアメイク含め面白ファッションも「これかっこよくない?」とカッコよさを共有できるようになってくるんです。
この変化を体験して思ったのですが、「ブス」「ダサい」と感じるのって美の器が小さいから感じる事もあるんじゃないかと思ったんです。
美の器をひろげて美しいものがあふれる世界に住む
パリコレの世界も、日本独自のかわいいの世界もそこに優劣はないのに、美の器が小さいゆえにいろんな世界に美を見出せない…
単に好き嫌いでその世界をまとめて「ダサい」「かっこいい」と判断するのと、
好きじゃないジャンルでも、美を見出しクオリティの高さで判断するのとでは天と地ほど違います。
ネットでこんな言葉を見かけたのですが↓
醜いのは自分自身の美的感覚なんだよね
マジでこれなんですよね。
特定のジャンルにしか美を見出せなくて自分の首を絞めてる人って少なくないと思う。
前に心理カウンセラーがYouTubeで「あなたの世界を好きな物事でたくさんにしましょう」と言っていたのですが、
いろんな世界に美を見出し、自分の世界に“美”があふれると少なくとも「ブス」「ダサい」がたくさんある世界よりは楽しくなるんじゃないかと思います。
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