好きな服と似合う服が違いすぎてモヤモヤするのはファッションテクニックではどうにもできない。なぜその服が似合う女性になりたいのか考える。

金持ちになりたいんじゃなくて、本当に欲しいものは安心感

こんにちは、サオリです

よくネットで好きな服と似合う服が違いすぎてモヤモヤしている…という悩みをよく見かけるのですが、

そういったお悩み質問に対して「こうすれば似合う」と似合わない服でも似合わせるテクニックを紹介したり、

似合う似合わないにかかわらず好きな服着よう!といったアドバイスをされる方のなんと多い事か。

そういったアドバイスで満足する人もいるでしょう。

でも私からすれば

そうじゃねえ。


いくら似合わせ方法を知ったとしてもそうじゃないんだよ。

私がなりたいのはフレアスカートの似合う華奢な清楚美人でかわいい女の子なんだよ!!!

と何万回思った事か。

これさ、もう見た目の問題じゃないのよ。

メンタルの問題。

考えるのはファッションテクニックじゃなくて

「なぜその服が似合う女性像になりたいのか」

なのよ。

 

私の場合は潜在的「かわいくないと愛されないのではないか」と思っていたからだと思ってます。

かわいくないと愛されないんじゃないか?と思ってしまった原因

過去記事にも書いているのですが、過去の私みたいに「かわいくないと愛されないのではないか」と潜在的に思ってる人って少なくないんじゃないかなって思うんです。

だって子供のころに楽しんだアニメや少女漫画の主人公ってみんなかわいらしい女の子でしょ?

ボーイッシュでガサツ設定の主人公もいたけどやっぱ見た目はおめめクリクリでキラキラでかわいわけ。

そういうかわいい主人公は最終的にかっこいい男の子に愛されて、結ばれる。

そして主人公に「あんたの事、ずっと大嫌いだったのよ!!!」とお決まりの捨て台詞を吐くいじめっ子悪役キャラは決まって黒髪の目つきの鋭い子。


アニメや漫画以外にも、アイドルだってその時小学生に人気だったミニモニもみんなかわいい系。

クール系がアイドルにいても絶対センターは可愛い系だった。


そういう情報に触れているうちに「こういう容姿が愛される」と思ってしまったんじゃないかと思います。

かわいくなれなくても叶えたいことは叶うのかも

で、なりたい自分になるために髪型を研究したり、雑誌に掲載されてる服買ったりしてさ、ものすっごい頑張ってた時があったんだけど、

やっぱり自分の持ってるものとはあまりにも違うテイストだったので超えられない壁を感じてしまって、イメコンをきっかけに路線変更。

似合う服を着るようになったら褒めてもらえることも増えて、そのとき自分の理想とする姿じゃなくても褒めてもらえるんだなあと思ったり…。

別に褒めてもらうためのファッションではないけど、褒めてもらえるのは素直に気持ちいい。

そういう経験を何回もするとはっきりと自覚はしないものの、

自分のなりたいかわいい像になれなくても叶えたい事って叶うのかもって。

かわいくなりたいんじゃなくて素敵になりたかったんじゃないかな私は。


エレガントなものも、かっこいいものも、なんでもかんでもかわいいかわいい言ってたから自分の願望、なりたい姿を正しく認知できてなかった。

ツイッターで、

「自分はずっとコーヒーが好きだと思ってたんだけど、そうじゃなくてコーヒーが取り巻く世界が好きなんだと気が付いた。自分の好きな物を正しく認知するって難しい。」

というツイートがバズってたんだけど、これどんなことにもあるあるだと思うんですよね。

だからこそバズった。


もし好きな服と似合う服があまりにも乖離していて悩んでいるのなら、

なんでその服が似合う女性になりたいのか、

その服が似合う女性になったら叶えたいことってなんだろう?

その願いって理想の女性にならないと本当に叶えられない事なの?


と考えてみると、なにか発見があるかも。