消費が娯楽の自分ダサいって思った事と、人生つまらないのは受け身だったからってことと、淡々と生きる

こんにちは、サオリです

昔、異様にお金が無くなるのが早い事に困って何でか考えた時、はじめて自分の娯楽が消費する事だからだと気が付いた時がありました。

当たり前じゃん…と思うかもしれませんがこれ自分にとっては結構衝撃的な気づきでしてね、というのも小さいころからそれが当たり前の環境で育ってきたからです。


小学校低学年くらいまでは外で走り回ったりするのが好きだったんですけど、

そういう外遊びに興味がなくなると母やおばさんたちと土日に行くモールでの買い物や食事が最大の娯楽。

田舎に住んでたんで、車で1時間ほど走らせた先にあるモールはとても刺激的な場所。

服を買ってもらうのがとても嬉しくて、服を買ってもらえなくてもファンシーショップでチャーム付きのシャープペンとかポーチとか、雑貨を買ってもらえるだけでもよかった。

とりあえず何か買ってくれればなんでも良かった。

こんなことが繰り返されてすっかり娯楽が消費になってしまったんです。

上京してからもそれは同じ。


でも25歳で再びうつ病をぶり返してしまい留学先から戻ってきたときに、異様に自分の生活がつまらない事に気が付きました。

それは消費することに慣れ切ってしまい、生活に楽しみを見出せなくなったから。


田舎にいた時モールに行かないときは雑誌やネットで「今度モールに行ったら何を買おうか」

そんなことばかり考えていたし、それが楽しみで毎日を生きていたんだけど、

東京に慣れてしまってすぐそこに買い物するところはたくさんあるから、消費することはそれほど珍しい事でもなんでもない。

消費って娯楽施設がほとんどない田舎に住んでたからこそ楽しかったんだなーと思ったんです。

東京は住んでるだけでどんどん新しいお店が出来るし、ウィンドウショッピングして本屋でブラブラするだけで満足してしまう。


また消費に走ろうとしてみても、つまらない。

買ってみてもなんだか虚しい。

でも消費する事以外での生活の楽しみ方がまるで分らない。


なんか自分ダサい…


消費する事こそが豊かだと信じて疑わなかったけれど、ものすごく貧しいん生き方してきたんじゃないか?


ひたすら毎日がつまらなくて、頭の中には常につまらないでいっぱいだったんだけど、ある日妹が部屋に来た時、

スマホを眺めながらはぁ…とため息をついて「なんか楽しいことないかなー」って言うんです。

それを聞いて人生受け身だからつまらないんだなってハッとした。


今まで楽しいって思ってきたことは全部誰かが楽しませてくれたことばかり。

季節が変われば店に目新しい商品が並ぶ。

コスメカウンターに行けば店員さんがにこやかに接客してくれる。

ディズニーランドに行けばそこにいるだけで世界観に引き込まれる仕掛けがしてあって勝手に楽しくなる。


いつだって誰か自分を楽しませてくれやしないか待ってる状態。

誰か私を楽しませてごらんなさい状態。

いや何様よ。


ここ数年体験型消費が流行ってるみたいだけど、そういうのをテレビで見るたびに私と同じこと思ってる人たくさんいたんじゃないかなーなんて思います。


それからは日常生活に楽しみを見出そうとするんだけどなんかしっくりこなくて、今は「楽しくなくてもよくね?」って思ってます。

それがこっちの記事とつながります↓

なんだろう。

あんなにつまらないって思ったのはもう刺激追及型の人生そろそろやめたら?ってことだったのかもしれない。


人生はどこまでいっても日常。

ただ淡々と生きる。