こんにちは、サオリです
12歳の頃から吹き出物に10年以上悩まされ続けていたのもあり、昔から美容には興味がありました。
いろんな本や、ヘアメイクの専門学校で出会った美容の意識が高い友達と関わる中で思ったのが「美容は宗教」ということ。
美容は信じるが先
世の中には信じられないくらいの美容法がたくさんあり、どれを信じたらいいか分からない。
美容法だけでもたくさんあるのにそれプラス、無限にアイテムがあるから自分が得たい効果を得られなかったとき
美容法が悪かったのか、それとも使ったアイテムが悪かったのか、原因を特定するのも困難。
効果がでるまでに時間がかかるから、無限に近い選択肢の中からとりあえず自分の選んだ美容法とアイテムを信じてみるしかない。
私が長い間選んできた美容法は日本では一般的なクレンジング→化粧水→乳液→クリーム→美容液というプロセスを踏んだスキンケア方法。
一般的であるという事はこの方法で多くの人が“救われている”という事。
だから、わたしもこの方法で救われるに違いないと思った。
しかもこの方法は多くの人がやっているからまず人に「あなたの信じることは間違っている」と否定されることはない。
何を信じているかが大事な人もいる
私は美容法や使っているアイテムを否定されるのがかなり怖い事だった。
人一倍肌について深刻に悩んでいたから、「それ良くないんだよ」などと人から言われたり、美容雑誌に自分の信仰している美容法と真逆の事が書いてあったら
「信じるものが間違っているからそんな肌なんだよ」と言われているみたいだったから。
正直、肌がきれいになるよりも自分の美容法が一般的に支持されていること(何を信じているか)の方が重要だったかも。
何を信じているかが重要って、私以外にも結構いるんじゃないかと思っている。
人の美容法に対して「えー老けるよー!」「それ肌に良くないんだよ」と口出ししてくる人がいる。
私も昔友達にクレンジングオイルを使っていると言ったら「オイルって良くないんだよー、やめなよー!」と言われた。
一人ひとり体質が違うんだから美容法は人と違って当たり前。
自分がどういう体質なのか自分が一番分かっているのにわざわざ人にアドバイスしてくるとは余計なお世話だと思ったし、
なんでそんなことを言ってくるんだ?と思った。
肌が汚いから美容に無頓着な奴だと思われているのか?とも思ったけど、そういってくる人たちの雰囲気を察するになんだかそうでもない。
考えてみた結果、自分の美容法を押し付けてくるあたり、「あなたの事を想って教えてあげている」というよりは「私の信じているものが正しいのだからあなたも信じよ」
と考えた方が私的にはしっくり来た。
この人たちもわたしと一緒で、何を信じているかが重要な人たち。
そしてその人たちもまた肌で何かしら悩んでいる。
美容法を間違っていると言われ傷つくのが怖いから、その前に自分と同等の肌かそれ以下の肌の人の美容法にケチ付ける。
ちなみにクレンジングオイルを否定してきた友達は、後日「オイルってやっぱいいらしいねー」とコロッとクレンジングオイル教に改宗した。
SNSでインフルエンサーが「クレンジングオイルは良い」と言っていたらしい。
遺伝という抗えない壁から信仰心は生まれる
なんで「何を信じているかが重要」だったのかというと、遺伝という大きな壁を感じていたから。
吹き出物が改善されても、私の毛穴ポツポツ肌は完全に遺伝なので一生毛穴レスのツルスベ肌になることはない。
その遺伝を極限までカバーしようとなるとストイックな食事制限が必要になってくるんだろうけど、私にはそんなモチベーションはない。
仮にそれが出来たとしてもせいぜい毛穴が少し目立たなくなる程度でやっぱり毛穴レス肌にはならない。
このどうしようもない遺伝の問題を特定の美容法を信仰することによって精神的に救われようとしていた。
せめて一般的に支持されている、肌がきれいな人がやっている、または皮膚科医が勧めている美容法をやることによって一生報われない自分の肌を肯定しようとしていた。
評判のいい1万円の美容液をつけて「やれることはやっているんだからこれで大丈夫」と言い聞かせていた。
肌だけじゃなく、ヘアケア、ダイエット、健康法もそうなんだと思う。
ちなみに今は改宗して「基礎化粧品は使わない」という宗教を信仰している。
はじめて劇的に効果のあった方法で、つい基礎化粧品を使っている人に勧めたくなってしまうが、基礎化粧品信者もまた強い信仰心を持っているのでそこはぐっと我慢してる。(ブログには書くけど!)
美容は宗教みたいなものだから、相手の信仰するものを否定することになりかねない。
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