こんにちは、サオリです
昔服にコンプレックスを持っていたからいつも服の事ばかり気にしていたし、人のオシャレと比べては惨めに感じて落ち込み、
家に帰ると「どうしたらおしゃれになれるんだろう」とファッション雑誌を舐めるように見ていました。
でもおしゃれについて考えれば考えるほど、人とオシャレを比べる事が無駄だと気づかされます。
なんでかというと服ってオシャレのためだけに存在してるわけじゃないから。
服はオシャレのためだけにあらず
25で体を壊すまで気力も体力もあったから、着心地が多少悪くても、機能的じゃなくても気にならなかったんですよね。
それに学生の時はみんな同じようなライフスタイルだったからなおさらおしゃれかどうか、服の表面的なところしか見えてませんでいた。
でも体を壊してオシャレよりも快適さを第一に優先させなければいけなくなったとき気づいたんです。
そんなことオシャレに興味のない人からすれば当たり前の事なんだけど、これに私はずーっと気が付くことができなかった。
服はオシャレのためだけにあるわけじゃないと気づいてからは自分がオシャレかどうか、あの人は自分よりオシャレかどうかなんてことまったく気にならなくなったし、
ネットでよく見かける「○○はダサい」みたいなのもまったく気にならなくなったんです。
体が回復して着られる服が増えても昔みたいに見た目100%でコーデすることはなくなりました。
服はライフスタイルあってこそ
こうなってさらによかったのは、やっと自分のスタイルを見つけられて自分のコーデに満足することが出来るようになったこと。
何年か前に「機能も自分らしさになる」という記事を読んで↓
「自分らしいファッション」とは何か、考えに考えたら意外と答えはシンプルでした。 - 山田耕史のファッションブログ (yamadakoji.com)
今まで服に迷走していたのは見た目の事しか考えてなかったからだったんだと気が付きました。
私は自分が思うよりも快適性を優先しないと嫌な人間。
着ていて快適に過ごせるかどうかもスタイルを見つけるうえで大事。
そういったことを考慮して自然とスタイルは出来上がっていく。
スタイルは意図して作られるものじゃなくて、自然と作られる。
こういう服を着てこういう生活をしたい、じゃなくて、こういう生活だからこういう服を着る。
生活が土台にあっての、服。
人とオシャレをくらべてもそもそもライフスタイルが違うのだから、自分にぴったりのおしゃれは違って当然。
だから人とおしゃれを比べる事は、どちらのライフスタイルが優れているか比べるようなもん。
それが無意味な事は誰だって分かると思います。