お洒落な人のオシャレの定義はオシャレになりたい人の定義と違う事に気が付くと一気におしゃれになる

単純そうで複雑なファッション、でも実は単純なのかも


こんにちは、サオリです

今日はずっと紹介したいなーと思っていたnoteの記事を紹介します。

それがこちらの記事なのですが、名言でありふれている記事なので読んで欲しいです↓

私は20歳くらいのときに、それまで読んでいたViviを卒業してから読むファッション雑誌に迷走していた事がありました。

その時何となく手に取ったのがモードファッション誌のVOGUE。

Viviによくコレクションの写真が載っているのを見て興味を持ったのがきっかけだったと思います。

モード誌をなんとなく見ていて思ったのがオシャレな人が思うオシャレが、自分が思うオシャレとはどうやら違うらしいってこと。


紹介してる記事にも

みんなが「お洒落」だと思っている人たちにとってのお洒落の定義とみんなにとっての定義が別物

と書かれていますが、(これ名言だよね)

でもそれが何なのか分からないし、海外のスナップっぽくオシャレになりたいと思っていたけど、当時好きだった日本的なカワイイファッションとの折り合いのつけ方が分からなくて大混乱してました。

そこからセンスがないなりにいろんな本やブログを読み漁ることになるのですが、気が付くと20歳の頃に感じるオシャレと、今感じるオシャレはまったく別物。


昔は何を身に着けているか、どこのブランドの服を着ているか、トレンドのアイテムを身に着けているかしか考えていなかったのですが、

今は自分のライフスタイルに調和しているか、着ていて心地よいか、自分の良さを引き立たせているか、その服がもつストーリーに共感できるか、

こう変化したら今まで悩んでいた好きか似合うかの問題や、人と比べて感じていたオシャレのコンプレックスなんかがテトリスみたいにカチッときれいにハマってパッと消えたんです。

今オシャレの悩みは特にありません。


おもしろいのが記事で言う、お洒落な人の考えをしているから20歳の頃に目指したオシャレな人になれているのかというと、そもそも定義が変わってしまったのでファッショナブルでもなんでもなく

ものすごく普通だしもしかしたらファッションに興味のなさそうな人にも見えるかもしれないです。



オシャレになりたいと思ったとき、単に着飾ることだけに目が行きがちで、そうなってしまうのも無理はないし、そもそもオシャレになりたい動機はほとんどの人が見た目からだと思うのですが、

見た目の事だけ考えるほどかっこよさからは遠のき、ライフスタイルに調和しているかと言う点でファッションに興味のない人が実は一番デザイナーやスタイリストといったオシャレな人に近い考え方をしているという…


オシャレになった状態って、ファッションと自分との関係が程よく心地いい事であって、いくら大多数の人にオシャレと言われても本人がその恰好に納得しておらず、ファッションに悩んでいるのならそれは少し違うのかなとも思ったりします。

可愛い服が似合わないのはブスだから…?


こんにちは、サオリです

昔かわいい服が似合わない事がコンプレックスだったことがあります。


このとき問題だったのは「かわいいとはこういうもの」と特定のかわいいのイメージに執着していた事。

流行りのデザインのブラウスが、こういうフレアスカートが似合わないとダメ、

それらが似合わない自分はブス

という思考回路になっていました。


今となってはそれは骨格がストレートだからとか、顔タイプがクールだからとすぐ分かるのですが、

当時はパーソナル診断は今ほど普及していなかったので似合わない原因は全部自分の見た目が劣っているからだと思っていました。


このときの自分に言いたいことはかわいいもそれぞれの自分の特性を考慮することで作れるってこと。

“かわいい”にはいろんな種類がある。


ブラウス一つとってもデザインがたくさんあるのでかわいいを作るにはたくさんあるデザインの中から厳選していくことが必要です↓

自分に似合うものを見極めるのが大事


そもそも昔の自分がしていた「かわいい服が似合わないのはブスだから」って発想は2つの理由から来ていて、一つは服に自分を合わせるって考え。


服の経験値が低いばかりにブラウスなら何でも同じようなデザインに見えるから、たった1,2種類のブラウスを着てみてそれらが似合わないと

→私ってブラウスが似合わない人間なんだ
→似合わないのは自分がブスだから、太ってるからと決めつけていました。


細かいディテールの違いが分からないから見極めて自分に合わせて服を選ぶって発想がなかったんです。


2つ目はかわいいモデルや芸能人が何でも着こなしているのを見て可愛ければなんでも似合うと思ってしまう→逆に似合わないのはブスだから

という考え。

モデルってはたから見ればただにこにこ笑って写真撮られてるだけって感じですが、雑誌のイメージに合わせて表情の作り方やポージングとかいろいろ考えてますし、

ただでさえかわいいのにプロのスタイリストやヘアメイクが付いているのに加え、何枚も写真を撮って厳選されたものが雑誌に載ってるわけなので素敵に見えるのは当たり前なんですよね。

かわいいから似合うんじゃなくて、似合ってなくても似合うように見せてるんですよ。


どんなにかわいいモデルでも似合わない服は存在するんですよね。


まあ私の場合は服のセンスがなかったこともそうですが、それ以上にメンタルの問題が大きかったのですが。

そこら辺の話はこちらで↓

saochan.net

 

大人になってからもスクールカースト引きずってたけど、冷静に考えてみれば本当に嫌な奴って少ししかいなかった件

それでももう二度と学校生活は送りたくない


こんにちは、サオリです


スクールカーストにはいろいろと思う事があって、理解できない理由でハブられたり、逆に「あいつハブろう」と誘われたりと、高校生活の事を思い出すとストレスでしかなく、

地元に帰ると高校の事も思い出すので地元にも帰りたくないくらいなのですが、

冷静に考えてみると本能で警戒するレベルの嫌な奴って学年全体で5,6人くらいしかいませんでしたね。

1軍ってだけでこわかったけど本当に人としてやばいやつは少ない

本能で警戒するレベルの嫌な奴っていうのは、排他的で平気で人に聞こえるように「キモい」「ブス」って言ったり、些細な事でハブったりする情緒不安定あたおかいじめキャラ。


でも当時の私は1軍女子すべての存在に怯えてたんですよね。


その排他的な子と仲良くしている子も同じく排他的な考え方をしていて、きっと裏では自分の悪口を言ってるに違いないとか考えてました。

もう完全にあたおかいじめっ子キャラのイメージが1軍女子のイメージになってしまったんです。


このせいで自分で勝手に敵を増やして怯えて学校生活をストレスにしていたのはもったいなかったなとは思いますね。

 

恐れている1軍女子もただの女の子

まあこう冷静に思えるようになったのも専門学校に行ってたまたま仲良くなった子がどう考えても高校の時1軍だったであろうなって感じの子だったからです。

入学したとき、もう雰囲気からしてリーダー格って感じでこのことは仲良しになることはないだろうな…と思っていたのですが、

好きなものが似ていたりとかで一緒に旅行に行くくらいの仲になりました。


2年間その子と仲良くして思ったのは、いかに自分が1軍女子をイメージだけで決めつけていたかってこと。

仲良くしていたその子はもうほんとにただの20歳の女の子でしかなかったんですよ。

彼氏が出来てキャーキャーしたり、旅行でキャーキャーしたり、些細な事で傷ついたり、ほんと普通。普通にいい人。


高校生の頃の私はこういうただの女の子を1軍ってだけで別の世界に住んでる得体のしれない恐ろしい何かにしか感じなかったのですが、

それはコミュニケーションを取る機会がなくて素性を知らなかったことから断片的な「○○むかつくー」みたいな発言からどんどん妄想が膨らんでしまった事にあると思います。

昭和の時って「アイドルはうんこしない」なんて言われていたって聞いたことがあるんですが、1軍女子に対する気持ちは昭和アイドルのファンのそれと同じ感じでした。


こう書いているとあたおかいじめキャラが見た目だけで趣味嗜好が合わなそうだと思う人を悪口を言うなどして差別するように

わたしも1軍と言うだけで差別していたという点で、嫌いなその子らと同じだったんだと思いますね。

 

1軍女子も所詮だれかの子供

私は高校をうつ病で中退しているのですが、その後コンビニでバイトしているときに、同じ学校だった1軍女子が来店したことがあったんです。

その子を見た時すごく怖かったのですが、お母さんとコンビニに来店して梅昆布を買ってもらっているのを見てその子の存在が急に小さくなったんですよね。

学校では彼氏と一緒にいてすごい大人に見えて、あんなに大きい存在で怖いと感じていたのに何でだろう…とそのとき思ったのですが、それだけ学校独特の雰囲気や文化に飲まれていたんだと思います。


もし今学生で1軍の人を恐れているならその子らもお母さんにスナック菓子買ってもらい、自分の部屋を掃除してもらい、パンツを洗濯してもらい、ご飯を食べさせてもらっている子供に過ぎないって思うと多少マシかもしれないです。

オシャレをする罪悪感を感じていた原因…母親の嫉妬やコンプレックスとの深い関わり

オシャレが1番楽しいときに純粋にオシャレを楽しめたらいいよね


こんにちは、サオリです

今日はオシャレをする罪悪感について。


私がファッションに興味を持ち始めたのと同時に持ってしまった罪悪感。

母に服を買ってもらって新しい服に高揚感を感じつつも罪悪感を感じていました。


嬉しいはずなのに何で心が重く感じるのか謎だったのですが、今なら分かります。

それは母親のコンプレックスを感じていたから。

オシャレをしたときの母のリアクションで罪悪感が生まれた

「服が欲しい」と言ったり、服を買ってもらうたびに、母が「人は見た目じゃない」と何回も何回も言うんですよ。

それから新しい服を着ると好奇の目で頭のてっぺんからつま先まで目線でスキャンするみたいにじろじろ見て着たり。

ほんと嫌だった。


高校生の時初めてメイクをした時もそう。

私が母の運転で車の後部座席に乗っているとき、バッグミラーでじろじろ見てきて「あまり塗りすぎはだめよ」と言ったのがなんだか持ち悪かったです。


「人は見た目じゃない」って言われるたびに遠回しに「おしゃれをする奴は見た目だけの中身ペラペラのやつ」って言われているみたいだったし、

「自分のファッションが好きなのはただ見栄を張りたいだけなのかな…?」と好きな気持ちを素直に肯定出来ませんでした。

好きな気持ちに疑いを持つってめっちゃ辛い。


母の前だと自分がなにかおかしなことをしているピエロみたいな感覚だったんですよね。

「あたしなんかおかしいの?」って感じ。

母親のコンプレックスとそれを刺激する私

私の母親は母子家庭育ちで4人きょうだいの3女だったから、いつもおさがりの穴の開いた服を着ていて友達に馬鹿にされていたってエピソードを聞かされていたんだけど、

そんな経験から自分の娘には惨めな思いをさせたくないって気持ちがあって、最低限の服は買ってもらえたんだけど

(でも服を買ってもらうたびに貧乏エピソード聞かされていたから、気持ちよく着れない…)

でもそれ以上の“おしゃれ”を求めると途端に母がイラ立つんですよ。


雑貨屋さんでネックレスを欲しがったり、雑誌に掲載されているちょっと高い服を欲しがると気持ちを踏みにじられるの。

今でも忘れない。


雑誌掲載の服が欲しいと雑誌を見せると、「ターコイズブルーが爽やかなパーカーは春のお出かけにぴったり☆」と雑誌の説明文を読み上げて「はぁ!?」ってすっごいバカにした感じで言うの。


これやられるとね、自分が雑誌のうたい文句にまんまと載せられているアホに感じられさせて羞恥心を掻き立てられるから本当に嫌だった。

 

欲しがるたびに不機嫌。


母は「お金が~」とか「子供服はすぐに着れなくなっちゃうから」とごもっともなことを言っていたけれど、それ以上に母のコンプレックスが刺激されているのが子供から見ても分かるくらいに。


あれだけ自分の子供時代のコンプレックスの事話すんだからそりゃあね。


多分母は子供の頃、欲しいものがあっても買ってもらえないのは分かりきっているから「欲しい」すら言えなかったんだと思う。

それに比べ私が「欲しい、欲しい」と素直に言っていたのが羨ましかったんだと思う。


イオンくらいの服なら母の子供時代の満たされなかった心を自分の子供に着せてあげる事で満たされていたんだけど

それ以上は母にとってとんでもない事だった。


母は自分におしゃれを許可できなかったんだと思う。

私の想像だけど、友達から穴の開いた服をバカにされて高校の時は自分で上手く整えられない癖毛をバカにされていたらしい。ぼさぼさ頭で学校に行っていたそうな。

そんな自分がオシャレしていいの?みたいな。(私の妄想だけど)

よくネットでも胴長短足だけど、ブスだけどおしゃれしていいの?みたいなの見るじゃん?たぶんそんな感じ。

人のコンプレックスに付き合ってわざわざ不幸にならなくていい

罪悪感がなくなったのは、私が20歳くらいの頃からセレクトショップに行くようになってからだと思う。

母に似合いそうな服がたくさんあって、私がいろんな服を勧めるたびに少しずつおしゃれに目覚めた母はようやくオシャレを許可できるようになった。

そうして私のオシャレへの罪悪感もなくなっていった。

 

 

それまでは自分がオシャレをすると母のコンプレックスが刺激されて辛い…ってなってた。(自覚はなかったけど)

 

でもこれって母の個人的なコンプレックスに付き合って自分の気持ちを抑えている状態。

いや、ないないないないないないないない。


なんで母親の気持ちに付き合って自分の好きな事で心重くならないといけないのよ。

なんで自ら不幸を感じないといけないのよ。


母親のコンプレックスを何で自分も背負わないといけないんだ。

それってあなたの問題ですよねえ?


幸せな人が一人でも多くいた方が世界が平和になるに決まっている。

自分の気持ちを抑えて生き続けている人は結局他人を攻撃していろんな人を不幸にしているのだから。

と当時の自分に言いたい。

スタバの小麦・乳不使用のチョコレート米粉マフィン!スタバ神かよ!ってことでレポする【グルテンフリー・カゼインフリー】


こんにちは、サオリです

今朝スタバに行ったら小麦・乳不使用の米粉マフィンがあったのでレポします。


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チョコレートの米粉マフィン 295円

チョコレートの米粉マフィン|ペストリー|スターバックス コーヒー ジャパン


アレルゲンはアーモンドと大豆です。(2024年1月現在)

 

小麦を使った製品と一緒にショーケースに陳列されておりますのでアレルギーの方はお気を付けください。

 

小ぶりですがけっこうお腹にずっしりくるのは以前食べた米粉のバナナマフィンと同じ。

生地自体は甘さ控えめで、好感が持てました。(甘すぎなの苦手だから)

食事系としていけそう…と思いましたが、混ざっているチョコレートのかたまりがしっかり甘いです。

シーンとしてはグルテンフリーに疲れてしまったときに食べたいです。(生理前ときどきそうなる)



このマフィンにはアーモンドミルクが使われているらしく、チョコレート系ってほぼ必ず牛乳が入ってるからこれは嬉しいです。

企業努力が素晴らしすぎます。

もしかして意図的に小麦・乳不使用の商品作ってるんだろうか。

私はアレルギーではありませんが、小麦を摂取すると吹き出物&体調不良になるのでこういった商品はとてもありがたいです。


グルテンフリーしてるとカフェでは食べるものが皆無なので貴重です。

今年グルテンフリーしてるらしいはじめしゃちょーに教えてあげたいんだけど。


ソイラテと一緒に頂いで満腹です。

ごちそうさまでした。

 

以前は小麦・乳不使用のバナナの米粉マフィンがあったのですが、今は販売されてないみたいです。


その記事はこちら↓


もしかしてこちらも期間限定なのかもしれないです。

 

ピアノ5年目突入。続いている理由とか練習のモチベーションとか

練習時間は短くても続けるのが大事


こんにちは、サオリです


何気に今のピアノ教室に通い始めてから4年が過ぎ、5年目に突入している事に気が付きました。

入会したときは3か月続いたらいいな…と思っていたので、こんなに続いてるなんてびっくりです。

今回は継続出来ている理由や練習のモチベーションなどを書いてみたいと思います。

 

ピアノ教室で大事なのは先生の人柄

こんなに続いている理由としてはまず先生の人柄がいいからだと思ってます。

 

私の先生がとにかく褒めるのが上手で、どんなに下手くそでもいいところを見つけてくれるし、

毎回前向きな事を言ってくれるのでレッスンは毎回楽しいし、レッスンが終わった後は充実感でいっぱいです。


こんなに褒められるの小学1年生ぶりなんじゃねーかってくらい褒めてくれるんですよ。

それでいて改善した方がいいところは怒るでも注意するでもなく、ただ淡々と指導。

 


私ずっと「人は褒められると満足してそれ以上は成長しない」と昔から思っていたのですが全然そんなことはなくて、

しかも“褒めのレッスン”で練習がはるかに楽になっていることに気が付きましたね。

学生で吹奏楽部時代だった頃、練習のモチベが「怒られないように」「公開処刑されないように」で、

怒られた部分を練習すると怒られた記憶も一緒に湧いてくるので精神的負担がすごかったのですが

ピアノレッスンで嫌な気持ちになった事がないから、先生由来のストレスがゼロ。

ストレスがあるとすれば自分が勝手に追い込んでるだけのケースがほとんどです。


“褒めのレッスン”のおかげで練習するとき変な精神的ストレスがないのはいいですし、満足して成長がとまるなんてことはなく、むしろ上手い事のせられて「練習がんばるぞー」ってなってます。

つい先日も「サオリさんにとって今年は飛躍の年になると思うんです!」と言ってくれて調子こいて練習してますww


レッスンに行くときは“レッスンに行く”というよりは“先生に会いに行く“みたいな気持ちです。

去年レッスンに1ヵ月いかなかったことがあったのですが、そのとき思ったのは「レッスンにいかないと…」じゃなくて「そろそろ行かないと先生が心配するなあ」でした。

私のピアノと私自身に向き合ってくれるいい先生です。


今のピアノ教室に決めた理由は初めての体験レッスンで「いろいろ体験レッスンいくのめんどくさいし、先生もいい人そうだからここでいいや」とノリで決めた部分もあったのですが、

先生の人柄のよさってピアノを継続していくうえで大事だなーと思います。

 

練習&レッスンは無理してしない、行かない

続いての理由は無理しないようにしているって事。


ピアノ教室に通い始めた頃、早く上達したい一心で疲れてるのに無理して練習したり、月謝が無駄にならないように月4回きちんと通わないと…

と思っていたのですが、そのせいでしんどくなってしまった事があったんです。

学生時代ブラックな吹奏楽部で音楽が嫌いになってしまった事があったのですが(クラシック音楽を聴くと体が緊張してた…)そうなりそうな兆候があったので

「これはやばい」と思い、それからはなるべくマイペースに気持ちいい範囲でするようにしてます。

 

レッスンは楽しいんだけど、私の場合練習時間がそこまでとれないので週1だと充分練習できてないままレッスンを受ける事になるし(そこそこ練習してからレッスン受けたい)

「次のレッスンまでここまで弾けるようにならないと」と無意識に追い込んで練習が苦痛になったので

いまは多くても月3くらいのペースで通ってます。


月謝はもったいないですが、継続しないと意味ないので別にいいやと思ってます。

 

モチベ。死ぬまでに難しい曲が弾けるようになりたい

次にモチベーションの事。

去年体調を崩すことが多く、ピアノの練習を2週間もしてない時期が何回もあったり、レッスンも一か月行かなかったりしたことが多々あった年でした。


久しぶりに練習してみたらまったく弾けなくなっている自分にびっくりしたことが何回もあって

「こんなに弾けなくなるもんなんだー」ってほんと切なくなったし継続の大切さを思い知らされました。

 

いつか上級レベルの曲を弾けるようになれたらいいなとふわっと思っているのですが、「あの時コツコツ練習してればよかった」と思わないようにだけはしたいなと思いましたね。


年々1年が過ぎるのが早くなっていって、このままあっという間におばあちゃんになって死ぬんだろうなとふと思ったときがあって、

そのときしないで後悔しそうなことってなんだろって考えてみたのですが、なんとなく思い浮かんだのがピアノ。

コツコツ練習してなかったらおばあちゃんになったときに後悔しそう。


旅行とかならお金さえあればすぐに叶えられるけど、上級レベルの○○の曲が弾けるようになりたいはコツコツ続けないと無理ですからね。


今は初心者向けに書かれた名曲の楽譜もあるのですが、やっぱり原曲を弾けるようになりたいです。

今のピアノ教室に通い始めてドビュッシーの月の光とか、ショパンのワルツとか名曲が弾けるようになったときは、なんだか不思議な気持ちになりましたね。

この名曲を下手ではあるけどわたしも一応弾けるんだーって。


正直練習するのがだるいときはありますが、そんなときは「将来後悔しないように練習するかー」としょうがなくやってます。

 

 

古着の何がそんなにいいのかという話。古着屋では「これは!!!」という服に出会える。

そこらへんに売ってそうなデザインなのにどこを探してもなかった6つボタンのチャコールグレーのダブルウールコート。古着屋で捕獲!!!


こんにちは、サオリです


今日は古着のこと。

私は昔、古着ってどこぞの誰が着ていたのかわからないただのお古としか思っていなくて、それなら対して値段が変わらない新品のプチプラでよくない?と思っていました。

しかもそのとき私の周りにいた古着好きなひとが、個性の強いスタイリングをしていたので古着=変わってる人が着ているというイメージで

自分には古着は一生縁がないだろうなと思っていました。

(ちなみにここでいう古着は90年代以前のヴィンテージ古着の事を指します)

 

欲しい服が見つからない!を解決してくれるのが古着

立体的なパールボタンが素敵なクラシカルなレースブラウス

 

しかしだんだんオシャレの事が分かるようになってきて、パンツやジャケットの丈や、ボタンを変える事が当たり前になってきたころから

服も「こういうシルエットの、こういう色の服が欲しい」と具体的になってきたんです。


それまでは「なにかいいものないかな~」と店やブランドの提案に乗っかるだけの服選びで受け身だったのですが、

 

「こういう服が欲しい」と思うようになったとき、ネットを使っても見つける事が出来なくなったんです。


でも古着で探してみると見つかる率が高くてそこから少しずつ古着にも手を出すようになりました。


例えば今年だと、グレーのダブルブレストのウールコートが欲しいと思いました。(6つボタンのやつ)

定番の形だし、去年からダブルのコートを見かける頻度も高くなったから、普通に売ってるかなーと思ったんですよ。


でも最近のコートは裏地がなかったり(裏地ありが好き)、ビッグシルエットで身幅が大きかったり(コートはジャストサイズが好き)

「見つけた!」と思っても素材がコレジャナイ感があったり、ボタンが2つタイプだったり…(←ダブルコートはたくさん出てたのに6つボタンが少ない!)

と、気に入るものが新品で1枚も見つける事が出来なかったんです。


これは古着に頼るしかないなーと思って古着屋を巡る旅に出たところ、1件目でドンピシャのコートに出会い、購入。


今回はたまたまでしたが、「これは!」というアイテムに出会えることがあるのが古着です。


一般的な服屋はトレンドや日本市場に合わせてデザインされた服しか置いてないので、

私のように「思い描いた服がみつからない!」と言う方はもしかしたらヴィンテージ古着にあるかもしれません。

 

同じようなスタイリングで差別化できるのが古着

他に古着の良いところはトレンドのスタイルを簡単に差別化できるからオシャレ見えしやすいってことです。

古着ってトレンドの元ネタであふれてるんですよ。

例えばここ数年肩幅広めのジャケットが出ていますが、これって80,90年代が元ネタ。


80,90年代が元ネタでも「わざわざ当時の服見つけて着なくてもよくね?」と思うかもしれませんが、

ヴィンテージの服のほうが同じ値段の新品の服より質が良い&デザインとしてのクオリティが高い事が多いので簡単に差別化できるんですよ。


特に生地やボタンなんかは今の時代では見かけないようなものでできた服がたくさんあるので、似たようなスタイリングでも雰囲気に差が出やすいです。

 

↑例えば最初に載せたコートは、国内のボタン屋さんでは見ないボタンだったり、生地もグレー地に白い毛が混じっており、立体感のある生地。

同じような生地&ボタンは最近の新品のもので見かけない。


だから同じ80,90年代を意識した、同じ予算内で作ったスタイリングでもヴィンテージの方が奥行きのあるスタイリングになりやすいです。

(ちなみに80年代のジャケットには大抵分厚い肩パッドが入ってるので抜いて着るのがいいよ!)

 

「あの服素敵!」を低予算で叶えるのが古着

フリマサイトで見つけた80'sと思われる毒っぽいカラーのツイード調ジャケット(こういう色得意)毛65%なのになんと3,000円。

街中や電車で「あの服素敵だな!」「どこで買ったんだろう…」って思ったこと、ありません?

こう思われる服ってだいたい2パターンで、1つはトレンドの超クオリティの高い服。

上質な生地、シルエットが異様に洗練されているデザイン性の高い服で、明らかに高そうな値段もそれなりにする服。

トレンドど真ん中デザインの最上質パターン。


もう1つがヴィンテージ。

明らかにトレンドとはずれてる個性的なデザインだったり、

無地の服でもよく見たら普通の服屋に売ってそうで売ってない、見たことのない生地感やシルエット、

お古だから異様にこなれ感が出ていて素敵と思われるパターンです。


今売っている新品の服で差別化するには前者のようにお金をかけるしかありませんが、ヴィンテージだったら低予算で簡単に差別化できるのが特徴です。


専門学生の時にアメリカンヴィンテージが好きな人たちがあふれるスタイリスト学科の中で1人、モダンで洗練された雰囲気の子がいたのですが、

その子の服がいつも「そんな素敵な服、どこで買うの?」と思うような服ばかりだったんですが、今思えばあれは古着でしたね。

当時は古着=アメリカンヴィンテージの印象が強すぎて新品の服だと思ってたけど。

 

ここまで古着の良いところを書きましたが、もちろんデメリットもあります。

例えば倉庫の臭いとか気に入ったデザインの服に汚れがあったりとか、安いとはいえ服なので単価は高いですし。

でもまあ駅ビルや大型商業施設にしか行ったことがない人は1度行ってみると今のトレンドの流れとはずれた異世界にいる気分になるので面白いですよ。

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オシャレな人はなぜ古着を着るのか。なぜわざわざ古着を買う人がいるのか