こんにちは、サオリです
昨日の記事「【心が豊か】やっぱインテリアに課金するの大事だわ【元インテリア興味なし】」がはてなトピックに掲載されました!
やったああああ!!!!!
随分と久しぶりに書いた記事が掲載されてとんでもなく嬉しいです!
ありがとうございます!
こんにちは、サオリです
昨日の記事「【心が豊か】やっぱインテリアに課金するの大事だわ【元インテリア興味なし】」がはてなトピックに掲載されました!
やったああああ!!!!!
随分と久しぶりに書いた記事が掲載されてとんでもなく嬉しいです!
ありがとうございます!
こんにちは、サオリです
先月はインテリアに結構課金しました。
まず、ずっと買おうか悩んでいた太陽モチーフのミラーを買いました。
朝目が覚めるとき、ベッドから見えるところに掛けてあるのでとてもポジティブな気持ちになります。
それからベランダに観葉植物を置きました。(日当たりが悪いのでフェイクグリーンです)
窓を開けると風で揺れる枝葉の音がざわざわと聞こえてまるで森にいるかのよう…
もちろん視覚効果もばっちりで、風を目でも感じられるようになったので家の中でも自然との距離が近くなりました。
今回2か所を変えたことによって改めてインテリアについて振り返ったのですが、やっぱりインテリアって心が豊かになる実感があります。
元々私はインテリアにまったく興味がなくて、インテリアに金かけるなら服!服!という人間で、殺風景部屋にしか住んだことがありませんでした。
でもインテリアにお金をかけて部屋をガラッと変えたら前より服が欲しくなくなったのと、あと外食が減ったんですよ。
殺風景部屋にいた時は出かけたがりでカフェやレストランでダラダラ過ごすことが多かったです。
そのころ自分の部屋のインテリアに対して何も思ったことがなかったのですが、無意識に居心地の悪さを感じていたのかもしれません。
インテリアを変えてからは自分のお気に入りのポスターや雑貨が飾ってあるので自分の部屋が最高に居心地が良く、
どんなおしゃれカフェよりも快適に過ごせるのでめったにカフェに行かなくなりました。
服については、なんでそれほど服が欲しくなくなったんだろうと考えたのですが、服は着てしまうと鏡を見ない限り見えないからだと思います。
着ないときはクローゼットにしまうから、買った服を見て「素敵な服!」とテンションが上がるのは着るときと一日数回全身鏡を見るときぐらい。
でもインテリアは部屋にいるときはずっと視界の中に入っているから買った満足度が服に比べてはるかに高いです。
今回買ったミラーも眺めるたびに「素敵だな~買ってよかった!」といちいちにんまりしてしまうし、少しずつ買い足したポスターも見るたびに気持ちが華やかになります。
絵画のポスターについては日によって見え方が違い、新しい発見があるので面白いです。
「これが絵を鑑賞するということか!」と思って美術に前より興味を持ったりしています。
で、服に関してもう一つ。
服がそれほど欲しくなくなったことの他に、服のコーディネートについてもあまり気にならなくなったんですよ。
前はスウェットパンツで外に出るなんてありえないと思っていたのですが、今は平気です。(でもさすがに近所だけだけど)
年を重ねて昔より恥じらいが減ったのかもしれないですが、私はインテリアも結構関係しているんじゃないかなと思ってます。
自分が素敵だと思えるインテリアの部屋に住んでいると謎に自信がつくんですよ。
殺風景部屋だった頃はどこか後ろめたさを感じていたんじゃないかって思います。
自分の部屋に自信が持てないから、こういう部屋に住んでるって想像されたくないから服でごまかしてる感じでしょうか。
片付けは得意だったので部屋は綺麗だったものの、やっぱり友達が部屋に来るときはなんだか恥ずかしかったし、なんというか自分のセンスのなさがばれてしまう感じがして嫌でした。
実家に住んでいた時なんて特にそうかもしれないです。
実家が田舎によくある無駄にでかい和風の古い家で、それが思春期の頃ものすごくコンプレックスだったんです。(核家族で洋風の家というのに憧れていた)
古臭い家に住んでるってばれたくないから「服だけは!」と異様にトレンドに執着していたのかなあなんて思ったり。
インテリアがその人の価値を決めるわけではありません。
でもお洋服のコーデが決まった日にはそうでない日に比べ堂々と振舞えるようになったりするのと同じで、インテリアも整っているとちょっとだけ自尊心が高まったりするもんです。
最後にセンスなくてもおしゃれな雰囲気の部屋にしたい人におススメのチャンネルを載せておきます。
インテリアに興味のある方はすでにご存じかもしれませんが、崇島さんの動画は家具の配置のバランスや統一感について分かりやすく解説しているので、安価な家具でも自分好みのテイストの素敵な部屋作りができるようになります。
特に視聴者アドバイスシリーズは日本の住宅にありがち(?)な無個性部屋が様変わりしていく様子がおもしろいし、そのままそっくり真似できるテクニックが満載なのでよく観ていました。
これから新生活で1から部屋作りする人にもお勧めです↓
☆関連記事☆
インテリアはメンタルや生活の質にすごく影響するのでこだわってみて欲しい - きほん5色コーデ (saochan.net)
こんにちは、サオリです
10年前くらいにイメコンを受けた時にそれまで好き好んできていたViviっぽい甘い系の服が似合わないと知って撃沈しました。
自分でもフレアスカートとかに違和感を感じながら着ていたから結果の半分は受け入れられたけど、
でも色もシルエットもデザインも何もかもダメだったからさすがに落ち込んだけどね。
それからは自分のセンスが信じられなくてしばらく自分の好きな服を着る事が出来ませんでした。
でもそれまで選んできた服って本当にすべてがダメだったのかというとそうでもない。
確かに色はパステルカラーで顔映りがぼやけていたし、シルエットも骨格ウェーブ向きのものばかりでストレートの私が着ると無理してる感があった。
デザインも顔の印象に対してフェミニンすぎていた。
でも装飾的なデザインとか柄とか色とか何かしらインパクトがないと映えないから、そういった意味ではブリブリした服を選んでいた自分のセンスはあながち間違いではなかったのかもしれない。
カーディガンとかなにげに似合うロング丈良く着ていたし。
自分は全くセンスがないと思っている人でもどこかしら外見、または内面に似合う要素が入っている服を無意識に選んでいるのかも。
こんにちは、サオリです
決してトレンド服を着ているわけではないのにおしゃれな人、素敵な人、いませんか?
そしてすごく不思議に思いませんか?
自分がそのままそっくり真似したらダサくなる。でもあの人が着ると素敵…
ずっと思ってきた事の答えがたまたま本屋で手にした本に書いてありました。
それは「世界観ファッション講座」谷内瞳 著という本です。(リンクは記事の最後に載せておきます。)
この本を読んで思い出したのがヘアメイクの専門学生だったとき。
私はMBさんが好きでYoutubeを始める前からブログやメルマガを愛読していたんだけど、学校にはMBさんの理論に反した着こなしなのに素敵な人がたくさんいました。
別にトレンドに先乗りしているわけでもない、ブランドの服を着ているわけでもない。
服だけ見れば別にファッショナブルでもなんでもない。
でも着こなしがすごくナチュラルで素敵。
そう感じたのはその人の世界観と服が調和していたからだったんですよね。
この頃かなり服に迷走していて毎日オシャレ情報を食い漁っていたんだけれど、そのとき何回か見た「好きな服着たらいいんだよ」っていう言葉がずっと引っかかっていました。
「好きな服着てくそダサいから悩んでんだよ」って思ったけど(ファッションテクニックがなかったというのもあるが)それも世界観の確立の問題。
クラスメイトの事を思い出すとみんな方向性がはっきりしていてブレていませんでいた。
もちろん全員がそうってわけじゃなくてあたしと同じく方向性に迷ってんだろうなって子もいたけど。
今まで好きな服か、似合う服かなんてファッションの悩みは尽きなかったけど、それはすべて世界観がはっきりすれば解決する事だったんだと思いました。
じゃあ世界観を作るには「○○系」というような方向性を決めればいいのかというとそうではなくて。
その頃の私はミニマリストに影響されて服をワンパターン化していました。
していた服装は色を黒、白、グレー、ネイビーに制限していて服のデザインもベーシックなものを着ており、ひたすらシンプル。
服の方向性がはっきりしていて、コーデもまあまあ。
でも自分のコーデに納得することが出来なかったんですよね。
ただ単に自分はこういう系で行こう!と思ってもそれは誰かが作った世界観のファッション。
本に「自分の世界観」が反映されたファッションでないとしっくりこないので、長続きしません。と買いてあるのだけれど
本に書かれている通り、私は何回も誰かの世界観のファッション(海外セレブ系とか女子アナ系とか)をしては「なんか違う」を繰り返していました。
やっぱり自分にフィットするファッションってどこにも載っていなくてひたすら自分で考えるしかないんですよね。
好きな色、事、仕事、趣味、性格、個性、住んでる場所、将来なりたい自分…
自分にしっくりくるファッションって○○系の一言で言えるものでもない。
長い間服に迷走しまくっていて、ようやく服にほとんど悩むことはなくなった今はファッショナブルってわけじゃない。
それは世界観が反映されたファッションが一番心地いいってことを証明しているんだと思います。
こんにちは、サオリです
今日はこの前行ってきたカウンセリングの事を書こうと思います。
カウンセリングにはうつ病が治った今でも半年に1回は受けています。
というのも消化しきれていない事がまだあるし、カウンセリングを受ける事によって自分を客観視できるからです。
この前のカウンセリングでは高校時代の事を話しました。
これまでのカウンセリングではうつ病を治すために専門学生の時に受けたパワハラとか中学の時のいじめとか、強烈に許せない事を主に相談してきました。
それが解決すると今度は高校時代に経験した許せない事がこみ上がってきてモヤモヤ。
高校時代では仲良くしていた友達に理不尽な理由でハブられたり、授業崩壊が起こっていました。
そして周りの大人に相談したけど対処してもらえなかったこと、
それどころかその後ストレスで体が動かなくなってしまい学校に行けなくなった時、周りの大人に責められた事が本当に悔しくて許せませんでした。
それに加え、許せなかったことが。
フェイスブックで私の事をハブった、授業崩壊に加担していた子のページを見つけてしまったとき、希望通りの進路を歩んでいたことが分かった事。
最近では「病気で後一歩治療が遅れていたら死んでいた、目が覚めたら旦那さんがすごく心配してくれた、命があることに感謝☆」的な、
結婚して子供もいてもうすっかり改心しましたって感じの投稿が癪に障ったよね。うん。
このことをカウンセラーに話したら
「その子が改心したとは限らないよ?そういうのっていくらでも演じる事が出来るし。あなたは意地悪してきた子たちにどうしてもらいたいの?」
って言われて、中学の時に私をいじめたA子には「PTSDにもなったし、治すまでにかかった治療費とか慰謝料ふんだくったらスッキリするかも」って思った事はあるんだけど
高校時代に意地悪してきたヤツはA子とは違い、ひどい事をやったっていう自覚がない。(少なくともA子は自分がひどい事をやった自覚はあった)
だから仮に謝らせても表面的な感じになるだろうし、慰謝料を払わせることが可能だとしても被害者ヅラされるだろうから、その子たちに「こうして欲しい」と思ったことがなかった。
カウンセラーは「あと一歩で死んでたかもしれないその子にちゃんと天罰下ってるじゃん」って言ってくれたけど、
「悪い事をした自覚がなく、その後もへらへら生きて、病気も天罰だとは思わずただの悲劇として旦那に心配されていいもんだと思う。」
なんて言ったら
「じゃああなたはその子みたいに人をいじめる側になりたいの?」って言われた。
「そんなのとんでもない。でも人の気持ちが分からず理不尽にハブる事が平気でできる、自分に都合のいいように生きていることが羨ましいと思う。」
って言ったら
「本当はその子たちと仲良くしたかったんだね~」ってびっくりするような事言われて。
そしたら勝手に涙が出てきた。
涙が出てきたことによってカウンセラーの言っていることに納得することが出来た。
体の反応は正直。
わたしはその子らと本当は仲良くしたかったらしい。
いじめる側になりたいってわけじゃないけど、でも疎外感は感じていたからそれがすごく悲しかったんだと思う。
許せない、憎いって感情はそれくらい相手の事が好きって事は何回も心理学系の本で読んだことはあるけど実際本当の意味で理解する事ってなかなか難しい。
今回もカウンセリングを通して自分の気持ちに気が付けたし、気持ちがすっきりして良かった。
こんにちは、サオリです
私は長い事自分のファッションに対してモヤモヤしてきました。
小学生の頃から25くらいまで自分のファッションに納得することが出来ませんでした。
ファッション雑誌を読み込んでも、いろんなセレブのスタイルブックを読んでも、おしゃれのハウツー本を読んでも満たされない。
着こなしの知識が増えていくばかりで満たされない気持ちに絶望していた時もありました。
なぜこんなにもモヤモヤしていたのかというとそれは私が「内向型おしゃれ」の人だったからです。
内向型おしゃれというのはその服を選んだ理由、そのスタイリングをする理由がはっきりしていて(または理由を求める)こだわりがある事。
私がこんなにもおしゃれ迷子だったのにパーソナルスタイリストにスタイリングを依頼しなかったのは、ただおしゃれになっても満足できないことが分かっているし、見た目追求型のおしゃれが気持ち悪いから。
それとこだわりが強すぎてスタイリストが欲求に答えられないのが目に見えているから。
私に必要だったのはファッションテクニックを知ることでも、流行のアイテムの着こなし方を知ることでもなく、おしゃれへの「考え方」だったんです。
私が衝撃を受けたブログ記事があります↓
山田耕史さんの「なぜオシャレはダサいのか?ブルータスを読んだら理由がわかりました。」という記事です。
「おしゃれなのに素敵に感じない人と、服はすごく普通、もしくはそれほどおしゃれじゃないのに素敵に感じる人って何なんだろう?」とずっと思っていたのですが、その理由がこの記事でわかり、目からうろこでした。
あとずっと自分のファッションに満足できなかった理由も。
それまでの私の服装は見た目の事しか考えていなくて、ライフスタイルが欠落していたんです。
だから着ていてもどこかストレスを感じていたし、心がそわそわしていました。
その時はどこか自分でも「自分は見た目だけの奴」だと分かっていたのかもしれません。
山田さんが言うように、その服を着る必然性がなかったし、体の上に服が乗っかっているだけで自分らしさがまるでない状態でした。
ライフスタイルと服ついてはこちら↓
「内向型おしゃれ」という言葉を思いついて思ったのが、おしゃれに苦手意識を持っている人の事。
おしゃれが恥ずかしい、嫌い、苦手な人ってのは見た目のカッコよさや可愛さ、ファッショナブルさを追求した「見た目追求型」に共感できないから苦手意識を感じているのではないでしょうか。
どちらが悪くてどちらがいいとかはないんですが、内向型おしゃれの人にとって見た目追求型の人はミーハーでトレンド好きな人が多いため、時に表面的で軽率に感じる事があると思います。
とくに量産型の服装や流行っているブランドの服を身に着けている人たちに対して疑問や違和感を感じる人は「内向型おしゃれ」だと思います。
「見た目追求型」はおしゃれ素人が見てわかりやすいおしゃれをしているということと、目立ちやすいのでどうしても「おしゃれ=見た目のカッコよさを追求すること」と思うのも無理はないと思います。
対して「内向型おしゃれ」は機能性や文脈を重視した結果地味か、逆に変わった服を着ている個性派かファッションオタクなので、おしゃれがまったく分からない人にとって内向型おしゃれの人はたいしておしゃれに見えないんですよね。
地味か普通かハイレベルすぎて「それっておしゃれなの?」みたいな。
内向型おしゃれのひとにもわかりやすいおしゃれをしている人はいますが、見た目追求型との違いは、その人のこだわりがあるという事と、文脈で楽しんでいるという事。
言いたいことは、トレンドの、多くの人から褒められるような服装だけがおしゃれってわけではないってこと。
機能性や服のバックグラウンドを重視することもまたおしゃれをするという事なんです。
私にはおしゃれが嫌いな妹がいます。
妹は中性的な雰囲気で肩幅も広めなため、そもそもどこで服を買ったらいいか分からなかったというのもありますが、私がファッションの話をするとつまらなそうな顔をするくらい興味がありません。
服なんて大学に入学するまで基本ジャージ。(シャカシャカするやつ)
友達に会うときはイヤイヤTシャツとデニムを履く程度。
でもおしゃれが嫌いでも服のうんちくや歴史の話を聞くのは嫌いではないらしく、着こなしやトレンドの話はまったく聞こうとしないのに服のうんちくは面白いのか聞いてくれました。
そこで私は妹に似合うそうなアイテムのうんちくを話して興味を持ってもらう作戦に。
例えば、ローファーはスニーカーと比べて見た目はきちんとしているけど、紐靴よりカジュアルなアイテムだからフォーマルな場面では履いちゃいけないんだよ。
昔はアメリカの大学生が履いていたんだよ。とか。
そのあとに「絶対似合うから履いてみなよ」とスムーズにお店に誘導。
今している服装にそのまま合わせるだけでいい、ローファーは高校生が制服として履くものだけではなく、私服にも合わせる事が出来ると分かると購入。
今ではスニーカーと同じくらい妹のマストアイテムになっています。
妹にとって機能性や似合う事と同じくらい、そのアイテムの持つストーリーを自分に取り入れたいかどうかは大切な事だったんです。
そんな妹は一切自分で服を選べなかったのに去年、履いているチノパンが似合っていたから「このパンツいいね」なんて言ったら「zozoタウンで買った」なんて言うではありませんか。
おしゃれ嫌いな妹がなんとファッション通販サイトで服を買った!!
ローファーから約6,7年経っておしゃれの苦手意識も確実に薄くなったのかと思います。
眼鏡もこだわりのおしゃれなメガネしてるし。
「内向型おしゃれ」の人は服やブランド、スタイルの背景や歴史を知ると着てみたいと思える服が見つかるかもしれないし、それがきっかけでおしゃれが楽しくなるかもしれません。
こんにちは、サオリです
パリジェンヌのファッションについて。
パリジェンヌのスナップ写真のファッションって独特のこなれ感がある。
この独特のこなれ感ってなんだろうなあと思ってた。
(ちなみに日本のファッション誌に掲載されているスナップ写真のファッションの事であって実際のパリジェンヌのファッションの事ではない。)
日本のファッション誌って、定期的にパリジェンヌ風のスタイリングが紹介されていたりするけどなんか違う。
SNSでもパリジェンヌ風のスタイリングをしている人をよく見かけるけど、パリジェンヌスナップ写真でよく見かけるトレンチコート、ジーンズ、バレエシューズを着てるにも関わらずなんか違う。
胴長短足の日本人なんだから違って当然だろって思うかもしれないけど、そうじゃない。
どこかにヒントはないものかと思って本を買ってみたらすぐにピンときた。
大人のパリ イネスのおしゃれガイド 私のルールと行きつけアドレス
「大人のパリ イネスのおしゃれガイド」という本にはパリジェンヌのファッションについて解説されているんだけど
「古い」「アンティーク」「ヴィンテージ」「着古した」「昔から」というワードにパリジェンヌのこなれ感の秘訣を感じた。
・トレンチコートの着こなしポイントは「ずっと昔から着ているような印象を与える事」
・革のジャケットは古ければ古いほど美しいもの。ヴィンテージのものを買いましょう。
・着古したデニムジャケットにシルクブラウスを合わせてみましょう。
・男物のヴィンテージスカーフを発掘していろんなものに合わせてみましょう。
・失敗しらずのアクセサリーはアンティークのイヤリング。
パリジェンヌのファッションと日本人のパリジェンヌ風のファッションの決定的な違いはスタイリングの中に“古さ”があるかどうかなんじゃないかと思った。
まあパリジェンヌと言っても一人ひとり考え方は違うからみんながみんな古着を着ているわけではないと思う。
でもフランスで人気らしいRoujeやSEZANEの服でさえ、どれも古着屋さんに売ってそうな感じのデザインばかり。花柄のニットなんて特にそう!
ヴィンテージって超有名ブランドでないかぎり同じモデルで同じ状態のものって手に入りにくい。
アンティークなんて1点もの。
だからみんなジーンズやトレンチコートなどの同じアイテムを着ていても独自性を感時るんじゃないかと思った。
改めてパリジェンヌのスナップ写真のファッションと日本人のパリジェンヌ風を比べてみると、日本人の場合、頭のてっぺんから足の先まですべてのアイテムが買いたてみたいにきれいすぎる事が多い。
だから真似しようと思えば同じような服がたくさん売っているからそのままそっくり真似できる。
それが“パリジェンヌ風量産型”に感じて素敵に感じなかったのかなんて思った。
いくらアイテムの組み合わせでこなれ感を出そうとしても、すべてが新しいと“あの”こなれ感は出せないんだと思う。
パリで素敵に見える服装と日本(東京)で素敵に見える服装はちがうから、どちらが良くて悪いかそこに優劣はないけれど、私は古さを上手に取り入れている方がスタイリングに奥行を感じて素敵に思う。
着古した服や使い込まれたバッグにはストーリーを感じるから。
とはいえ古さを取り入れるのはなかなか難しい。
日本は新しい建物ばかりだからあまりにも古い物が多いと街並みに対して古さのコントラストが強くなってしまうので、ファッションエリートでない私たち凡人はただの古い人になってしまう。(とくに大人は)
パリジェンヌの素敵さはあの街並みあってこそ。
古さの取入れ具合は小物だけとか、トップスだけとか、全体の1~2割くらいがいいんじゃないかと思う。
特に高級ブランドバッグに関しては中古品やヴィンテージ物の方がモダンな服に対して嫌味なく馴染んでくれる。
ブランドバッグってのは高価であるがゆえに存在感が強く、嫉妬の対象になりやすかったり、成金とか見栄とかネガティブなイメージと結びつきやすい。
しかし中古品やヴィンテージ物はそのバッグが歩んできたストーリーがネガティブなイメージを和らげてくれる。
小物で取り入れるくらいが大人の日本人女性にはちょうどいいと思うし、古着に抵抗感を感じる人でも取り入れやすいんじゃないかと思う。