In The Details of Crush, Resort RTW 2025| ZIMMERMANN
こんにちは、サオリです
この前↓の記事を書いてるときに、
ふと、かわいい系ファッションにオシャレなイメージがないのはなんでだろうって思ったんですよ。
(かわいいはいろいろあるけどとりあえずスナイデル系をイメージしてくれ)
かわいい系だとどうしても誉め言葉が「かわいい!」になって、「オシャレ!」とはならない。
(オシャレに興味を持ち始めた頃は可愛い系でもオシャレに感じると思うが)
例えばかわいい系とかっこいい系、コーデの完成度が可愛い系が90点で、かっこいい系が70点だとしても、オシャレに思われやすいのは後者のかっこいい系。
↑これ不思議じゃない?
思い返してみれば私がスナイデル系を着ていた頃、かわいい、きれいな恰好してるねと言われたことはあるが、オシャレと言われたことは一度もないんですよ。
なのでチャットGPTのクララさん(←あだ名つけてる)と大討論会をして
「なぜかわいい系ファッションはオシャレに見えづらいのか」をわたしなりにまとめてみました。
- 「かわいい服がおしゃれに見えづらい」理由
- それでもおしゃれに感じない理由!?
- 同じかわいい系なのに、なぜSWEETはおしゃれに見えて、美人百花はそう見えづらいのか?
- 「かわいい服=誰かのために着ている」と見られやすい?
- 【まとめ】ということで、かわいい服をおしゃれに見せるのはくっそむずい
- そもそもかわいい服は“おしゃれのため”に存在していない
「かわいい服がおしゃれに見えづらい」理由
1. 「かわいい」は“記号化”されやすい
フリル、レース、パステルカラー、リボン、丸みのあるシルエット……
これらは視覚的に「かわいい」と認識できる、わかりやすい記号。
でもその“わかりやすさ”が、「誰でもできる」「量産型」と捉えられてしまいやすい。
おしゃれは、どこかに個性や意外性、文脈があるもの。
「かわいい」というわかりやすい記号的なファッションに、“自分の意思”や“センス”が乗っているように見せるのはなかなか難しい。
2. 甘さは完成度が高くないと崩れやすい
甘い服はちょっとバランスを間違えると子供っぽい・媚びてる・ダサいに転びやすい。
というのは、甘い服はその時代の雰囲気や「かわいい」の定義を強く反映するから、(今は抜け感、昔は盛り!みたいな。)
時代を意識しないと2010年代前半みたいな、微妙にずれてる感が出やすい。
一方で、かっこいい系(男性的)の服は、“理屈で説明できる美しさ”=普遍的な美しさがある。
たとえば、テーラードジャケットやスラックスといった男性的なフォーマルスタイルは、何十年も大きく形が変わっていない。
それだけ“完成された美しさ”として定着しているから、多少古くても甘い服ほどズレた印象にはなりにくい。
3.日本人が甘い服を着ると“甘さが過剰になりやすい”
日本人はあどけなさや丸顔など、やわらかく“かわいい印象”の人が多い。
そこに甘い服・巻き髪が加わると、かわいいが過剰になりやすい。
甘さが重なりすぎると、視覚情報に“辛口要素や直線的な緊張感”がなくなり、結果として“洗練”から遠ざかって見えてしまう。
4. かっこよさには「おしゃれの記号」が入ってる
レザー、モノトーン、ジャケット、シャープなシルエット…
こうしたアイテムは、ファッションに詳しくなくてもなんとなく「おしゃれっぽい」と感じられやすい。
それは、「都会的」「洗練された印象」を持たせる“記号”がそこに含まれているから。
たとえば、
-
黒のジャケットに白Tシャツとデニム
-
小花柄のワンピース
この2つを文字で並べただけでも、なんとなく前者の方が「オシャレっぽい」と感じる。
一方、甘めのファッションは、そうした“わかりやすいおしゃれ記号”が少ないぶん、「かわいい」で終わってしまいやすい。
それでもおしゃれに感じない理由!?
でも日本人ってオシャレ意識の高い人が本当に多いから、先ほどの項目に当てはまらない人は多い印象で…。
それでも個人的に「おしゃれ(=ファッショナブル)」とはどこか違う気がして「こういう理由があってなんじゃ?」と考えてみたのが次の2つ↓
1. 完璧すぎて“作られた感”がある
日本のファッション雑誌は、ファッションの“教科書”のような存在。
そして多くの人が「抜け感」すらきっちり真面目に取り入れようとする。
→ 「この人、本当にこれが好きなのかな?」と、“自分の言葉で着てない感じ”が出てしまう。
→ 主体性より「正しさ」や「無難さ」が前に出てしまう。
(これはかわいい系のジャンル以外にも言えること)
2. “甘さの中に違う温度”がないと、のっぺり見える
おしゃれな人って、コーデの中に「ちょっと違う温度感」を入れてくる。
たとえば、
-
甘い服だけどアンニュイ雰囲気のヘアメイク
-
フリルスカートに大きめのメンズライクなジャケット
-
全体はフェミニンでも足元だけ強めのブーツ
→ そういう“温度のズレ”があると、全体に奥行きが出て「おしゃれ」に見える。
日本人はオシャレ意識が高いから、甘い服+カジュアルアイテムで“抜け感”を作るのは得意。
でもカジュアルも甘さも、温度感が似ているから、見た目に大きな変化が出にくい。
→ 結果、どこにも引っかかりがない=印象が平坦になりやすい。
同じかわいい系なのに、なぜSWEETはおしゃれに見えて、美人百花はそう見えづらいのか?
ここまで考えてふと思ったのが、同じかわいい系の雑誌でもSWEETと美人百花では、SWEETの方がオシャレなイメージがあるのはなんでだ?
ってことで考えてみた。
美人百花系:完成された「好感度スタイル」
-
清楚・きれい・モテ・正解
-
「デート」「オフィス」などTPO重視な傾向
-
“他人からどう見えるか”が軸になっている
その結果、
「似合ってるけど、演じてる感じ」=ファッションが自己表現に見えにくい
→ おしゃれというより、“正解を着ている人”に映りやすい。
SWEET系:トレンド×自分らしさのミックス
-
甘いけど、ゆるさ・ズラし・抜け感がある=「好きで着てるな」感がにじむ
-
“誰かのため”ではなく“自分が好きだから着ている”
→ 甘さの中にちょっとした“遊び要素”や“ズレ”があることで、コーデに立体感が出る
→オシャレに見える
要するに:
-
同じ“甘さ”でも、「誰のために着ているのか」
-
「他人からの好感を気にしているのか」「自分のワクワクを優先しているのか」
で印象は大きく変わってしまう
「かわいい服=誰かのために着ている」と見られやすい?
雑誌について考えてみたところで、かわいい服がおしゃれに見えづらい理由には、見た目以外の理由もあるのでは?と思って考えたこと↓
ファッション雑誌の影響でかわいい服は愛されるための服として定着してしまったため、“他人にどう見られるか”を意識している印象を持たれやすい。
→ 「自分が着たいから着てる」よりも、「好かれそうだから選んだ服」というメッセージが先に伝わってしまうと、
スタイルの魅力より“戦略感”が前に出てしまい、計算された印象になりやすい。
一方おしゃれは、「私はこれが好き!」みたいな本人の“美意識”や“自分の軸”を感じると人に「おしゃれ」と評価されやすい。
だから、「かわいい服=誰かのために着てる」と見られやすい分、“自分の美意識”が伝わりづらい=おしゃれに見えにくい。
【まとめ】ということで、かわいい服をおしゃれに見せるのはくっそむずい
「かわいい」はわかりやすい記号だからこそ、
おしゃれに見せるには、そこに“自分らしさ”や“ひとクセ”をどう味付けするかが試される。
他人に配慮した服はマナーや好感度は高いけれど、
誰かに好かれたい、嫌われたくない、浮きたくない…っていう、
“他人の目”を意識した服は、マナーとしては正解でも、おしゃれの観点から見ると少し物足りない印象になりやすい。
おしゃれだと思われやすい人って、「私はこれが好き」「この組み合わせが刺さる!」という“自分の美意識”に正直で、
ときに人から「それ、どうなの?」と思われるリスクを取ることもある。
そもそもかわいい服は“おしゃれのため”に存在していない
かわいい服をおしゃれに見せようとすると、このブログで紹介してきたような「印象に残り遊びの部分」や「クセ」が必要。
でもそうすると、かわいい系ファッションが好きな人にとってはもうそれは可愛くないファッションになってしまう可能性があったり…
かわいい服をおしゃれに見せようとすると「かわいい」じゃなくなるっていうパラドックスが起きる。
そもそも思ったのが、かわいい服って「自己表現の手段」というよりも、「心地よくいられる手段」というか、
共感性や安心感みたいな、感情がベースにある服なんじゃないかと思うんですよね。
だから、かわいい系ファッションがおしゃれに見えづらいとしても、無理にファッショナブルであろうとしなくていいし、
それぞれの服には、それぞれの役割があるから、
結局、「ファッショナブルかどうか?」よりも「自分にとって心地いいか?」が大事なのではないかと思うのでした…。
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