昔、専門学校時代に中国人の友達がいて、その子が上海に来ないか?と一緒に遊びに行ったことがありまして。
その子のおばさんの家に遊びに行ったんだけど、そのおばさん、日本でも働いたことのある高級住宅街に住んでる超リッチな人でさ、
その人に「日本人って家と外でなんであんなに恰好が違うの?」と言われたときたしかに…って思ったんだよな。
「よそ行きの服という言葉がありまして…」と言ったけどうまく伝わらなかった。
家に帰ったら速攻服脱ぐのあんまりかっこよくないと思ったりする
これは私もずっと疑問に思う所で、そのとき外に出るときはブラウス着たりとかおしゃれを意識するんだけど、家に帰ったらすぐ脱ぐんだよね。
ブラウス着たままじゃリラックスできないから。
でも自分的にそういうのあんまりかっこよくないかもな…なんて思ったこともあってさ。
お洒落は好きなんだけど、なんかリアルじゃないっていうか。
そのオシャレな服を着て生活してる自分を演じてるみたいに思えたりもしたりして…
いや生活してるんだけどね。
外だけでだけど。
着てる服とライフスタイルが一致してるのがかっこいいんだよ
そのとき「このひとふつうなんだけどかっこいいな~」と思った人って、家でも外でもほぼ同じ格好なんだよ
ちゃんとそのスタイルがライフスタイルの一部になってるというか。分離されてないというか。
ユニクロでいうならその時のあたしの恰好はライフウェアとしてあまり機能してなかったみたい。
例えばそのときミランダカーが好きでスナップ集よく眺めてたんだけど、良いなって思うのはその服を着てきっと家でもおしゃれな生活してんだろうな~と思ってたからなんだよ。
結局その時の自分はこういうライフスタイルを送ってる人だと思われたいと思って着ていたのかもしれない…
でも外のイメージと家のイメージをなるべく一致させようと試みてみるも、結局自分にとっては着心地の良いものではないから家に帰ったらやっぱり速攻脱ぎたくなるんだよなあ
ほらあれだよ、オシャレな部屋に憧れてそれっぽくするものの、生活動線や収納の利便性を全く考えてなくて結局生活臭あふれる部屋になるみたいな。
そのときの私の服は服っていうより、衣装って感じだったのかも
外とうちのギャップが激しい自分がちょっと後ろめたく思うときもあって、それはたぶん今思うと自己肯定感の低さにもつながっていたように思う
人とコミュニケーションとってても、でも本当の自分こうなんだよな…みたいな
内と外のギャップが少ない今の方がラクである
今は外でも家でもそれほどギャップの激しくない恰好をしてて、正直おしゃれではないけどでもそのまんま自分って感じで、
演じてる時間がかなり少なくなったからそれがすごくラクなんだよね。
土日なんかは外出するときにわざわざそれ用に着替える手間はほとんどなくなった
こうなってからかなりメリットを感じていて、まず、外が近くなったから昔ほど出不精じゃなくなった。
あと家で着てても快適な服を外でも着てるからとにかく疲れにくくなった。
とくにスニーカーを履くようになってからはかなり歩けるようになった。
綺麗な恰好が疲れるのって、その着心地もそうだけど、その服に付随するイメージでも疲れるんだよね。
だから精神的にも消耗しにくくなった。
ものすごーく疲れにくくなった
こう実感して、やはり昔着ていたあの服は衣装だったんだってやっぱり思う
結局脱ぐんかい
まあ人って社会性は必要だからそのまんま自分100%では生きられない
ラクな恰好してるって言っても、近所で着てるパーカーも、一駅超えたら着るのはちょっと恥ずかしい。(パーカー似合わないんだよね)
一駅超える距離感だとなんとなくトラウザー履きたくなるんだよね
でやっぱり家に帰るとトラウザーは速攻脱ぐんだよwwww
でもまあそもそも外にいると服にいろんな菌付いてそうだから結局脱ぎたくなるっていうねw
花粉とかもついてるし
結局ただの潔癖なのかもというオチ…