こんにちは、サオリです
いつの間にか「こういうファッションはNG」という記事が冷ややかな目で見られるようになり、「好きな服着ればいい」という風潮が強くなりました。
でも個人的に「好きな服着ればいい」ってあまり好きな言葉ではないんですよね。
昔、好きな服を選んでものすごくモサかったのでそんな自分が嫌でした。
好きな服が似合わない自分に葛藤して「似合わないのは太ってるからなんだ」と勘違いし摂取障害にもなりました。
そのモサさが原因なのかは分かりませんけど、好きな服着てた時やたらと変な人に声をかけられることも多く、
街を歩いていたらいきなり男の人に腕をつかまれて「一目ぼれしましたぁ…(ニタァ)」と言われたり、かなり怖い思いもしました。
ツイッターで個性的なファッションをしている人を例に挙げて好きな服を着ればいい…って、その例に挙げてる方々ってその服を着ていてみんな魅力的。
その人の雰囲気と調和していて、昔の私みたいにちぐはぐしてない。
「好きな服着ればいい」って言う人って、たぶん昔の私を見たら同じことは言えないと思います。
ツイッターで例に挙げられる人と、モサかった昔の私、いったい何が違うんでしょう。
それはコンプレックスベースの好きか否か。
可愛い服は私にとってコンプレックスの塊
私、小学生の頃から少女漫画の主人公みたいな女の子に憧れていたんです。
フェミニンタイプでかわいらしい服が似合う感じの女の子。
でも正直似合わなかった。
キャラ的にもそういう感じではなかったです。
正直小さいころからおままごとするより走り回ってる方が好きでした。
リカちゃん人形よりでかい水鉄砲とか大量にシャボン玉を製造できるシャボン玉噴射機の方が好きでした。
たぶんそういう自分と少女漫画の主人公を比べてこのままじゃいけない気がしていたんでしょう。
少女漫画の主人公っぽくないと愛されないんじゃないかと、潜在意識で思っていたのかも。
昔私が着ていたかわいい服はコンプレックスの塊そのもの。
やたらと変な人に声をかけられたのは、きっとそのちぐはぐな恰好に私のコンプレックスを見抜かれていたり、
周りに流されやすい子だと思われていたのかもしれないです。(実際そうだし)
話は戻り、素敵な人の服選びって昔の私みたいに強烈なコンプレックスベースじゃないと思うんですよ。
その服選びはコンプレックスベース?それとも純粋な好きな気持ちから?
人間誰にでも大なり小なりコンプレックスはあるものですが、素敵な人はコンプレックスよりも自分の純粋な好きな気持ち、ファッションを楽しむ気持ちがある。
で、この楽しむ気持ちてのがまたやっかいでして。
私がかわいい服を着ていた頃、べつにコンプレックスの事を考えて服を選んでいたわけではないんです。
普通に自分はこういう服が純粋に好きで選んでいると思ってましたもん。
じゃあコンプレックス由来と純粋な好きの見極めはどうやるのかというと、その服を着た自分が好きかどうか、特定のスタイルに執着がないかどうか。
私の場合は、イメコンをきっかけに似合う服を知ったときに
「魅力的になれるファッションが他にあるのになんで特定のスタイルにこんなにも執着してるんだろう」
とはじめて違和感に気が付きました。
似合わせ方法も知ったのに、どうしてもタイトスカートが嫌だった。
一番もっさりして見えるフレアスカートにこだわってた。
それに好きで選んでる服でも、その服自体は好きなんだけど、それを着た自分は好きになれませんでした。
ファッションは見た目だけのジャンルじゃない
べつにコンプレックスベースの勘違いの好きでも、テクニックでいくらでも似合わせは出来ますし、似合ってなくてもそれを着て満足しているならどう見えたって本当はいいはずなんですよ。
でもやたらXラインのシルエットにしがみついたり、ふんわりブラウスやゆるふわヘアにこだわる…
でもそういう格好した自分の事を好きになれない。
もうこれはファッションどうこうじゃなくてメンタルの問題。
結局わたしはうつ病にならなくても自分の心と向き合う運命だったんだなって思います。
振り返ってみればうつ病が改善して落ち着いたときと、ファッションが今のスタイルになった時期ってだいたい重なってるんですよね。
ファッションって見た目だけの問題じゃないからそれがなかなか面白い。