大多数が正しいという思い込み。似合ってないのに量産型ファッションしてた理由と、量産型じゃないのにみんなよりオシャレだったあの人

そのときの価値観大切に

こんにちは、サオリです


前回の記事を書いていてふと、「多くの人に支持されているほうが正しい」「影響力のある子がしている事が正しい」って思ってたかもって思いました。

↑この記事では「トレンドのファッションをしていたけどモサかった」って書いたんですけど、量産型以外にも流行っていたファッションはあって

当時Viviを読んでたんですけど、パンツスタイルのクールな感じのコーデ提案も確かにあったんですよ。


なのに私はどっちのスタイルが自分を素敵に見せてくれるかなんて考えず、問答無用にモサく見える量産型を選んでました。

そしてモサく見える事に悩んでいたのにこれしか選択肢がないと思い込んでました。


人気のスタイルじゃないと何となくダメな気がしてたんだと思います。

過去に書いたこの記事と似てるんですけど↓

かわいい事にも執着していたし、人気のファッションか?ってことにも執着してた。

服選びに自信がなかったからそもそも似合う服着てても「これでいのかな?」って思ってたと思う。

少数派になるのはこわい。


まあかわいい服を着て高揚感はあったから本当にそういうテイストが好きだったのは間違いはないんだけど

やっぱり他の人と同じ格好ができてるかってのは大事だったかなあ。

 

似合ってなくてダサいって思われても流行りの恰好してれば「流行り物がすきでそういう格好してるんだ」って思われる可能性もあるわけで。

オシャレ=トレンドのファッションをしているかどうかという価値観

そもそも18歳くらいの時って周りもファッション初心者で、センスが育ってないからオシャレかどうかの判断基準って「トレンドを意識しているかどうか」だったと思う。

だからトレンドの服着てる→トレンドを意識しているからオシャレ!みたいな。


しかもこの場合って、似合わせはそれほど意識はしてなくてテンプレをそのまま着てる感じ。

せいぜい違いは色くらい。


たくさん情報に触れられる今の子はもう違うかもしれないけど。


で、みんなが量産型の恰好をして、しばらくたつとみんな似たような恰好をしていても似合ってる人と似合っていない人がいることに気が付くんですよね。

そこで「トレンドの服を着ただけではどうやらオシャレにはなれないらしい」って気が付く。


そこで割り切って少しずつ路線変更する人もいれば私みたいに執着してモサさに思い悩む人…がいるのかは知らんけど。

オシャレな人は自分の感覚を信じた人

実はモサさに思い悩んでるとき、ヘザーでノリで買ったグレンチェックのセンタープレスワイドパンツがなんだか妙にしっくりくるとは思ってたんですよ。

それでも自分の感じた「しっくり感」を信じずに似合わない量産型の恰好で出かけていたのはやっぱりトレンドの恰好をしてるのがオシャレだと思ってたからなんだよね~

ヘザーのワイドパンツはワンマイルウェア化してたんですけど、母とスーパーに行くときの恰好が自分史上一番イケてて

街でお買い物するときの恰好が最高にモサかったのは何たる皮肉…


ここまでみんな~って言い方したけど、量産型が流行ってもしてない人ももちろんいて、

やっぱどこにでもいるんですよ。

みんなと同じ格好をしていない、けどみんなよりオシャレな人が。


当時量産型ファッションをしてた人はたぶん私みたいに「トレンドのファッションをしているのがオシャレ」だと思っていたと思うから

量産型じゃないのにオシャレな人を見て不思議に思ったはずなんですよね。


そういう人ってたぶん自分の「しっくり感」を見逃さなかった人なんじゃないかなあって思うんです。

自分の感覚を信じた人。



私に足りなかったのってこの自分の感覚を信じる事だったと思います。

うつ病になるくらい自己肯定感低かったし。

それってファッションだけじゃなくて人生のいたるところで大事になってくることなのかなって思います。

そういう人がファッションセンスもいいし、生きるセンスもいいんだと思う。


かと言ってその時の価値観に従う事も悪い事だとは思わなくて。

当時の自分にその時の価値観否定して、もっとこうした方がいいと思うと言ったところでそれはそれでモヤモヤしてたと思いますし。


センス良く生きる事が正解じゃない。

いろんな経験していろんなことを感じたくて生きてるんだから、そのときの価値観も大切にしたい。