前回の続き。
福島市での生活は、4年続いた。
月日が経って、メディアが震災とか原発の話題を取り上げる回数が少なくなっていくごとに風評被害で受けた傷も軽くなっていったように思う。
それでもテレビで東北の復興の話題になる時は主に岩手宮城が中心だったので、やっぱりそのたび卑屈になったし、
買い物で県外に行ったとき、店員さんに「どちらからいらっしゃったんですか~?」と言われたとき、福島っていうのに躊躇した。
福島市での生活は、母は変わらず大変そうだった。
いろんな手続きが続いていたから。
震災後は役所に家が全壊か、半壊か判定してもらうために電話
残った家とか土地の事
国が買い取るからどーのこーの
ソーラーパネルがどーのこーの
あとは東京電力に賠償金もろもろの事で問い合わせしたり…いつも電話がつながらないとよく愚痴ってたな。
震災離婚、震災結婚という言葉があった。
うちは間違いなく震災離婚の危機にあったように思う。
一時期は母と一緒に車に乗っていた時、すごい血相で父の悪口を言っていた。
昔から愚痴は言っていたものの、今回はやべーなって思った。
でもそのとき私も自分の事でいっぱいいっぱいだったから冷たく「離婚すればいいじゃん」って言った。
そしたら母がすこし黙った後、「あのひと一人になったら生きていけないでしょ」だって。
母は昔からなんでも一人でやろうとする。
私が家事を手伝おうとしたらやらないでって言われる。
だからきっと父も手伝いたいがどう手伝っていいか分からなかったんだと思う。無口だし。
そんなこんなで母がひとりでタスクをこなしていって、妹も大学進学を気に、上京して家からいなくなった。
母との関係は最悪だったけど、妹が出て行ったことで構う相手がいなくなったからか、それからすこしずつ私に優しくなっていったように思う。
いろんな手続きも負担も少しずつなくなって精神的に余裕が出てきたこともあると思う。
私も母と2人で出かける事が増えたことによって、コミュニケーションが増えて昔よりメンタルはマシになっていった。
そしてある日、母が家を建てようかと思うって言ってきた。
なんでも集団移転で、前住んでいた地域の移転場所が決まったらしい。
ということで最終タスク、「家を建てる」を母と私でこなすことになった。
ハウスメーカーに何回か行って、家を建てる場所やら、間取り、家の壁紙を次々決めていく。
壁紙やドアの仕様は母が私に全部ぶん投げてきたから適当にこれ、これ、とパパっと決めて行って、すぐに終わった。
内装は、インテリアコーディネーターと一緒に決めるんだけど、コーディネーターさんが、多くの方は迷って時間がかかるのでこちらとしても早く終わってとても助かったって言ってたし、母にも私がいてくれてよかったって言ってくれたな。
センスのいい内装かどうかは微妙だけど。
後日、母と2人でインテリアショップにいて家具を決めてきた。
家具は母なりのこだわりがあったみたいで、私は見ているだけで終わった。
家を建てるって普通は人生の中でもビッグイベントなのに、なんかサラッと終わったように感じる。
きっと母にものすごい強いこだわりみたいなのがあったなら、住宅メーカー選びから比較検討して…と、また違ったんだろうけど。
ばーちゃんとじーちゃん用に和室を用意したのだけれど、ばーちゃんが仏壇が欲しいとかでそれでちょっと揉めたとかはあったけどね…(そして妥協して仏壇置くことになった)
続く。
【1話から↓】