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あのときのこと。東日本大震災【第5話】神奈川での居候生活

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前回の続き。




避難所生活5日目くらいに、父から突然神奈川の親戚の家に行くぞと言われた。

そんな親戚いたっけ…ああ、小学生の頃1度だけ遊びに来たあの人たちか。

でもガソリンは?

と父親に聞いたら職場の車から少し分けてもらったらしい。


避難所を出発すると、たくさんの県外ナンバーの消防車が走っているのをみた。

これから消防車のモーターショー開催されるのかよってくらいにたくさん見た。

自衛隊のトラックも。


避難所ではTVの前は毎日人でごった返してるし、ケータイもないからTVはほとんど観てなくて、どんな風に報道されているのか分からなかった。

自分がどれくらい大きな災害に巻き込まれているのか、アレが爆発してもまだよく実感してなかったと思う。

でも福島から遠く離れた県外ナンバーの消防車と自衛隊のトラックが次々と通るのを見て規模のおおきさを実感した。



神奈川の親戚の家につくと、すごく歓迎してくれた。

顔中吹き出物だらけで、髪もプリンすごかったから正直恥ずかしかった。

サイズわかんなかったから適当に買ってきたんだけど…と大きいユニクロの袋を手渡してくれて、中にはTシャツやら服がたくさん入っててうれしかったな。


親戚は古いアパートを経営していて、1階と2階の一室が親戚の住居になってた。

その1階にある仏壇のある部屋に居候させてもらう事になった。


どういう関係なのか改めて聞いたらじーちゃんの兄弟つながりらしい。

じーちゃん7人兄弟だからな。

じーちゃんの弟とその奥さんはもう亡くなっていて、その家には父親のいとこ2人といとこの旦那さん、その子供2人が住んでた。


子供が小学生と中1の男の子だったんだけど、とくに長男が人懐っこくてある朝「おねえちゃ~ん(´▽`)」と寝起きざまに抱き着いてきて嫌ではないが思春期仕事しろ!って思った。

小学生の次男は、私が風呂上りに足パカエクササイズしてたらなにやら女性のプライベートな時間を覗いてしまったと思ってか、照れてた。

ある日親戚の人が、「おねーちゃんと同じシャンプー使った!おなじ匂い(´▽`)」って喜んでたよ~wと言ってきて

この2人のおかげで居候生活が居心地のいいものになったと思う。


その親戚の家での居候生活は居心地がよくて、本当に感謝でしかない。

普通、親戚とはいえ、部屋が余っているとはいえ、いとこの家族がしばらく居候ってなったら躊躇するって。

毎日ご飯準備してくれるし。

あたしそのときなんで手伝わなかったんだろうって今となっては思う。

食事の準備3人分増えるんだぞ!?!?

あたしあまえすぎやろ…



生活の中では親戚が父親のことを○○にーちゃんって呼んでいて、ちょっと衝撃で妹と爆笑した。

父親は昔から無口でなにもしゃべらないから、そんな風に呼ばれてたなんて。

親戚から昔私の家が、蚕やヤギを飼ってたことを聞いて父親が昔どんな環境で生活してきたのか知るきっかけになった。

この居候生活を通して父親の意外な一面を知ったり、父親と過ごす時間が増えたのはいい機会だったのかもしれないと今となっては思う。



神奈川での生活はなんだか不思議だった。

ついこの前津波に飲まれて、避難所で雑魚寝して、毎日菓子パン食べて…って生活だったのに

毎日みんなとわいわいご飯食べて、テレビ見て、布団で寝る。

外に出たらみんな普通に生活してる。


ショッピングセンターの中のスタバでフラペチーノを飲んでるとき、罪悪感感じたっけ。

街では募金活動してる人がたくさんいて、親戚の人と街を歩いてるとき、募金の人があまりにも熱心に呼びかけるもんで私が困っていたら、親戚の人が「この子被災者なんです…」って言って募金の人にすごく謝られた…


そのときああ、あたし被災者なんだって思ったし、かわいそうな人間なのかなっても思ったし、もしこの人たちがあたしが福島の人間だって知ったらどういう反応するんだろうってそれだけが怖かったな。


周りに被災者だってバレたくなかった。



続く。

 



【1話から↓】