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ファッションとメンタルと4毒抜き

あのときのこと。東日本大震災【第4話】避難所で菓子パン生活

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前回の続き



福島市の避難所に行った。

結構おおきめのところ。

母親は介護職で現場の対応に追われていたからいなかった。

避難所についたら入口にホワイトボードが置かれていて、避難人数〇人って書かれてた。

私がいったときは避難人数も少なかったから、カーペットが敷かれている小さめの会議室のようなところに入れてラッキーだった。

3月の福島はまだ寒い。


やることがなくて施設の中を散策していると、中学のころの同級生と再会してそれは嬉しかった。

あたしが高校中退したの知らないだろうし…けっこういい子だったから…。

雰囲気全然変わってなくてなんだか安心した。


避難した当日はお弁当を作って持っていたから食べる者には困らなかった。

でもその日にもらった避難所の支援物資は饅頭1こだった。

たぶん支援物資っていうより、たまたまその施設にあった誰かがもらった饅頭をとりあえず避難してる人に配ろう…ってかんじだった。


初めての避難所生活の1日目の夜は、いびきのすごいおじいちゃんがいて「ガァ~~ガっ!!ングゥア~~」って変ないびきで部屋の中で何人かクスクス笑ってる人がいた。

それで全然寝れず、あと枕がないのも結構きつかったな。毛布もないし。


ちなみにそのおじいちゃんの家族の方が、「アンタ昨日笑ってたでしょ!」と捨て台詞を吐いて翌日出て行ったらしい。

いやあれは初めて聴いたら笑ってしまうって…


翌日からは避難所にヤマザキパンの菓子パンがどんどん届くようになった。

最初はありがたかったんだけど、日に日に量が多くなっていって、数日後は1食につきあんぱん5個とか、そんな感じだったのでほんとにきつかった。

でも支援物資なのだから文句を言うわけにもいかず。

何も食べれないよりはマシと思う事にしていた。


そんで私の顔吹き出物だらけになってしまいましてね。

お風呂にも入れてないし、着替えもない、タオルもなかったから顔も洗えずぬるぬる…

ずっと菓子パン生活が続いて嫌気がさしていたころ、炊き出しのボランティアの方がやってきて、

おおきな鍋で豚汁作ってくれたんだよなあ。

それが本当に美味しくって

体に染みるってこういうことかって泣きそうになった。

原発のこともあって福島にはそういうボランティアは来ないだろうって思っていたから本当にありがたかったな。

あの日炊き出しに来てくれたからありがとうございました。

 

そしてその幸せもつかの間、また菓子パン生活が始まるのであった…。

食パンが配給され始めたのは嬉しかったけどね…


そして避難所生活で嬉しかったのは自衛隊のお風呂!!!


たしか避難所に来てから4日目だった気がするんだけど

お風呂に入れるらしいと聞き、外に行ってみたら大きな深緑色のテントが張られててさ

中はよく覚えてないけどお風呂が魚の養殖してそうな雰囲気のお風呂だったっけな

制限時間つきではあったものの、しっかりお風呂に浸かれて生きかえる気持ちだった。

その時あたしタオルとかどうしたんだろ…



【避難所生活を通して…】


今はどうか分からないけど、避難所生活での支援物資は基本食べ物はパンなのでグルテン不耐症の方はお米系の非常食を準備された方がいいかと思います…

可能であれば電気ケトルなんかもあったらいい。

あたたかいものが飲めるだけでも全然メンタル違うと思う。

あの時は本当に菓子パンしか食べれなかったから精神的にきつかった。


あと、避難所では窃盗もあるので(親戚が避難所で一眼レフ盗まれた)貴重品は面倒でも常に持ち歩いた方がいいです。

支援物資をもらうときに荷物あさられて盗まれるよ…


避難所生活は5日くらいだったと思うんだけど、ケータイもなかったから正直1か月くらいの長さに感じる生活でした。

そんくらいきつかった。


続く。


 



【1話から↓】