
こんにちは、サオリです
今日は変な話。
突然ふってきたので言葉足らずな部分や支離滅裂な部分あるかも。
よくスピリチュアル系とか都市伝説系で「これから人類は選別される…」みたいな話ってありますよね。
こういう話って、分かりやすく大災害なんかが起こって生死によって選別される…みたいに思う人もいるかもしれないんだけど
私的には自分の心に向き合ってきた人と、心から目を背け続ける人で静かに世界が分断されるんじゃないか?ってこと。
てゆーかもうそうなりつつある。
- 目に見えるものだけを信じる人、目に見えないものを信じる人
- 目に見えないものを信じる人はとても多くなってきている
- 不思議な新しい世代ときっかけがない人
- どんな人もやがて心に向き合わざるを得なくなる
- どのコースで心を癒す?
- 排水溝の汚れ直視コースと人類の統合とはこういうこと
目に見えるものだけを信じる人、目に見えないものを信じる人
たまに人としゃべってるとこの人とは深いところで分かり合えないな…って思う事がある。
そういう人は決まって学歴とか、数値化された成果とか、論理的に話すことが出来る、みたいな目に見えるもの、正解が分かっている事、分かりやすいものが好きな人。
そういう人とちょっと社会の話とか深い話になるとなにか根本的なところでお互いにズレてる…って感じる。
そうなると生きてる世界線違うなーって思う。
ハローキティと北斗の拳くらいちがう…。
なんというか、ずっと外側に意識が行っていて、自分の心の事とか、過去の傷とか、弱いところから目を背けてきたんだなって感じる。
過去に話の流れでそれっぽい話になってくると、決まって話題を逸らされたりする。
誤解がないように言うと、別にこれは悪い事だとは思ってない。
だって、心と向き合うってすごくしんどいし、いきなり深いところにダイブすると世界がひっくりかえってしまうから。
今までの価値観が揺らいで、今の生活が困難になるから。
みんながみんな内側に深く潜ろうとしたら社会は成り立たなくなる。
今の社会があるのは意識が外側に向いている人たちのおかげ。
そしてそれまでの時代、圧倒的に意識が外側に向いている人の方が多かった。
でも最近は心に向き合う人が多くなってきたように感じる。
目に見えないものを信じる人はとても多くなってきている
というかうつ病とか、そういう事で向き合わざるを得ない人が多くなった。
私もうつ病をきっかけにそれまで傷ついてきた事とか、社会のレールから外れてしまった事で
「なんで生きてるんだろう」とか「そもそも人生ってなんなんだ」って考えざるを得なくなった。
自分が納得する答えを探す中で、見えるものだけで考えるには限界を感じてそこで初めてスピリチュアルとかそういう話に耳を傾けるようになった。
そのときは心とか魂とか、なんだか胡散臭い、新興宗教みたいなイメージで、
カウンセリングでさえ、精神疾患の人が行くところみたいなイメージで、普通の人が心のケアに行くみたいなイメージは全くなかった。
でも今はそういった事に肯定的な人がかなり増えたように思うし、生まれ変わりとか不思議な話を受け入れられる人がとても増えたように思う。
不思議な新しい世代ときっかけがない人
というかそもそも新しい世代に「生まれる前の記憶」をもってる子がけっこう多くてそれをきっかけに
そういう事を信じてこなかった人たちも不思議な事、目に見えないことを考えるきっかけになってる。
そういう子たちはきっと、きっかけを与えるお役目を持っているんでしょう。
でもそういう人たちが増えてもやっぱりそういう機会に恵まれない人っていうのはやっぱり一定数いるわけで
やっぱりそういう世界を信じてる人と、目に見えるものだけ信じてきた人達ってのは、人生の捉え方が根本的に違う。
見ている世界が違う。
だから分かり合えないだろうな…って思ってしまうのも至極当然。
そしてこうはっきり違うなって認識できてしまうこのことが、人類の選別だとか、人類は分断みたいな事なんじゃないかと思う。
でもこれは役割がはっきりしてくるという意味で優れている人と劣っている人、とか上下で別れるみたいな意味じゃない。
どんな人もやがて心に向き合わざるを得なくなる
でもそういう人たちもやがては自分の心と向き合わざるを得なくなっている。
そういうようにできてる。
ある人は子供の不登校やうつ病、病気やその他問題行動を通して、
ある人は事件や事故、病気などで一般社会のレールから外れてしまう事がきっかけで
それでもきっかけがない人は、そういった人たちが増えていく中で自分が取り残されそうになりつつあるという状況で気が付く。
またはテクノロジーの進化であらゆることが機械でできるようになって、人間にしかできない事をやる状況になる。
人間にしかできない事…それは感じる事。
自分の心の動きに向き合うときがやってくる。
どのコースで心を癒す?
心の向き合い方、傷の癒し方にはいろんな方法があって、例えば私なんかは傷を直視して癒してきた。
排水溝の汚れを直接ブラシでごしごしするイメージ。
このやり方はぬめりとか直視しないといけないからかなり気分が悪いし、最初は拒絶反応を起こしたり、なんでこんなことをしないといけないのか、イライラする人もいる。
でもぬめりを直視しないで、便利な洗剤で少しずつきれいにしていく方法もある。
たとえばYouTubeで山田怜司さん「社会ってあーだよね、こーだよね、理不尽だよね」みたいな話を聞くことで心の浅瀬から少しずつじわじわと傷を癒していく人もいるし
(発信している人がスピに傾倒していないことがキモなんすよ)
私が毎日見てる吉野敏明さんことよしりんは食を通して魂が目覚める!みたいな事言っていて
実際に食の変化で精神性が変化した人はたくさんいて、それをきっかけに内側に意識が向かわなくても食で間接的に心の傷を癒してる。
うつ病とか精神疾患、薬で治らない病気になった人って、きっと「なんで自分だけこんな目に…」って思いもあるかもしれない。
でもそうなると嫌でも意識の内側耳を傾ける必要があるから、そうなった。
大事なことに人よりも早く気が付くためにそうなったんだと思う。
とても大事なことに気が付くと、このことに気が付いて良かったって心の底から思うし
逆に、ゆっくりじわじわコースの人たちは死ぬまで大事なことをはっきりと認知できないままかもしれないし
晩年に気が付いても残された時間に絶望するかもしれない。
だから人生の早い段階でつまずいてしまった人、あることをきっかけに内面を探求することになったひとはすごくラッキーでチャンスを与えられた人ってこと。
目に見える世界での尺度で考えるとただの辛いこと。
でも、魂とか、目に見えない世界の尺度で考えるととてもありがたい事。
排水溝の汚れ直視コースと人類の統合とはこういうこと
排水溝のぬめりが取れないととっても気持ち悪い。
毎日毎日汚れを直視しないといけないし、逃げようとしても視界の中に汚れがある。
それはとっても辛い事だし、自分だけが汚い世界に住んでるって思うかもしれない。
でもゆっくり、じわじわコースの人たちって無意識化で「本当は排水溝掃除しないといけないんだよな」って思ってて
無意識化で罪悪感を感じながら過ごすことになる。
罪悪感ってやっかいで例えば自分ではこうしたいって思ってても、自分の望みとは真逆の事をしてしまったり
(痩せたいと思ってるはずなのに暴飲暴食してしまうみたいなあるあるから、自分のパートナーに周りからみてあきらかに変な人を選んでしまうみたいな、人生にかかわることまでことまである)
することが時としてあるものなんです。
でも排水溝の汚れ直視コースの人は、一時的にはとても辛いけど誰よりもツルツルピカピカでクリーンな排水溝で、罪悪感を感じる事もなく
正々堂々とお風呂できもちいい思いをすることができる。
そしてできる事はきいれいさっぱりになった心で、まだ排水溝の掃除が終わってない人にアドバイスしたり、いつまでもおそうじできてない罪悪感を受け止めてあげたり
そうしていつかみんなで気持ちいいお風呂で心地よさを分かち合う。
これがスピで言う全人類の統合みたいなやつなんだと思う。
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