こんにちは、サオリです
先日の記事で「人生は旅行」「苦しみも実はエンタメ」という事を書きました。
でも苦しみの渦中にいるときはなかなかそんな風に思えないものです。
っていうか普通に無理だしこいつ何ふざけたこと言ってるんだろうって感じだし
世の中なんて理不尽で不平等なんだろうと思うと思います。
わたしも高校卒業できないくらいストレスをため込んでいて、こうなったのも家庭環境が歪んでいたからだって思ったし、
勉強向きではないし、人間関係も苦手。せめて体力があれば…と思ったのですが、それすらもない。
人生オワタ!!!!と何回思った事か。
現代社会では明らかに生きづらいスペックを持って生まれてしまったのですが、こういうスペックで生まれて“しまった”という受け身だと辛さは加速します。
どんどん被害妄想してしまうし、自分を弱者だと思うし、ハイスペックの人への嫉妬も止まらない。
こんなスペックで生まれたかったわけじゃない!
と思うとマジで八方塞がりのままだし、人生真っ暗です。
そこでお勧めの考え方があります。
今のスペックをわざわざ選んできた理由ってなに?
実は私たちって元々は平等で、
そして生まれてくるときにこの世の世界のアバターのスペックを「こういうスペックにしよう」と能動的に決めてきたとしたらどうでしょう。
ゲームみたいにね。
で、そのときお金持ちのお家に生まれる事も、心優しい両親のもとに生まれる事も、8頭身の絶世の美女に生まれる選択肢もあったんですよ。
ふつーにハイスペックで生まれる選択肢があった。
でも選ばなかった。
それはなんでなんだろうね?
って話。
その答えはすぐ分かるものではないですが、
なんか知らんけど「もともとはみんな平等だったらしい」
なんか知らんけど「このスペックで地球旅行を楽しみに来たらしい」と思うと、少しだけ自分を肯定的にとらえる事が出来るし、
少しだけ「前世はハイスぺの人生楽しんだもんな。今回はこのスペックを楽しむとするか」と、時空をまたいだ大きい視点で自分をとらえる事が出来ます。
人をひとつの魂ととらえると比べなくなる
ちなみに「みんな平等だった」という視点は
人を人として見るのではなく、ひとつの魂としてとらえるとその人の外見や能力に振り回されにくいです。
この魂はこういう人生を楽しんでいるんだなあ。
みたいな感じ。
昔、友達の友達が背が高くて細くて顔もかわいくて、なんでモデルやってないの!?って感じの子で、
おまけにインターナショナルスクール出身、性格もめちゃくちゃ良くてもう本当に本当に完璧すぎて嫉妬心すら湧かないレベルだったんです。
何もかもが違いすぎて「同じ人間か!?」って思ったし、それと同時に彼女と比べて自分がちんちくりんすぎて自分の容姿が恥ずかしくなったことがあるんです。
(まあ、このときだけじゃなくてモデルといるときは基本そうだったな…)
でもそれも魂ベースで考えるとそのきれいな子はきれいな容姿で生まれる事でみんなの美意識を底上げするためにその容姿を選んできたのかもしれないし、
私はそういう子に憧れて「あか抜けるゲーム」をしに来たのかもしれないなんて思えるんです。