【服を大切に着たい】服が好きだからもっとちゃんと服の事を考えたい。

 

目指すはタイムレスなスタイル



こんにちは、サオリです

最近の興味関心は「服を大切に着る」ということ。


だいぶ前にファッションドキュメンタリー映画「ザ・トゥルー・コスト」の映画について書かれている動画や記事を読んで

服をポンポン買っては捨てるという行為が間接的に誰かを苦しめているという事を知り、とにかくショックを受けました。


映画は観てて辛い場面があるそうで、そういったものを観ると具合が悪くなってしまうので観れていないのですが

この映画のレビューを読んだだけでも、わたしはもっと服を大切にしないといけないと強く思いました。


私の好きなファッションで誰かが辛い思いをしているなんてすごく嫌だ。


今の私はというと自分のスタイルを確立したことによって服の失敗も減ったし、着なくなってしまった服はユニクロやザラのリサイクルボックスに入れるようにしています。

まだまだ着れるきれいな服はメルカリに出品したりと、平気で服をゴミとして捨ててしていた昔に比べだいぶエコになったと思います。

それでもやっぱり映画「ザ・トゥルー・コスト」に関心を持って、服の事を考えてしまうのはまだまだ服との向き合い方が雑だからだと思います。


着ない服はリサイクルに出せばいい、それで本当にいいのか

 

特にリサイクル。

リサイクルに出し始めた時は「自分はエコなことをしている」と思っていたのですがなんか違うよなって気持ちが湧き始めたんですよね。

布を裁断してミシンで一つ一つ縫製したりと服作りはまだまだアナログな世界。

作り手さんの事を考えると「リサイクルに出したからいいじゃん!」というのはなんか違う気がするんですよね。


自分が作り手側だったら自分が作った服がすぐにリサイクル行きなんてゴミとして捨てられることと同じくらい悲しいです。

作っているときに「今自分が作っている服のほとんどはすぐ捨てられるんだろうな」なんて作り手さんに思わせたくない。

だからリサイクルに出す服は着倒した服だけにしたいです。

 

メルカリで売りにくい服で冒険しない


とはいえ買い物に失敗は付き物です。

私が注意したいと思うのは、メルカリで売りにくい服で冒険しようとしないこと。


売りにくい服というのは洗濯するとくたっとしてしまうTシャツや薄手のニット類


私は春秋に着れる薄手のニットが自分の定番アイテムなのですが、何年か前の春に「たまには違う色が着たいなあ」と

ユニクロでそのときトレンドカラーだったパステルカラーのニットを数枚買いました。

それぞれ10回くらいは着たと思うのですが、秋になってしまうとパステルカラーを着る気分にはなれず。

翌年の春に着ようと思ったのですがトレンドカラーではなくなってしまったのと私にとって顔映りが良くない色だったので古臭い印象になってしまい、着なくなってしまいました。


薄手のニットは着るたびに洗うので少しずつ縮んでしまいます。

少しでも縮んでしまったものはメルカリでは基本売れないのでまだまだ着れるニットはリサイクルボックス行きになってしまいました。

ニット類では冒険しないようにしたいです。

 

リユース価値の高いものは値段が高くても長い目で見ればお得

 

今から9年前くらいにポールスミスのグレーのロングPコートを母に買ってもらったのですが、すごく気に入っていてその1着を5年間シーズン中ずっと着続けていていました。

値段は忘れてしまったのですがおそらく6万くらいで、着用回数で割ると1回あたりの値段は79円です。(5ヶ月×5年着用)

充分着てもまだまだ形も崩れず綺麗だったのでメルカリに出品したのですが、なんと2万円以上で売れ過去で一番得した買い物となりました。(買ったのは母だけど)


ポールスミスってレディースはすごく人気というわけではないので自分の思った以上の価格で売れてびっくりしたのですが、

タイムレスでベーシックな形のコートだったから売れたのかなと思いました。

それからはリユース価値も考えて服を購入するようになりました。リユース価値の低いものは着倒す前提で買う!)


リユース価値の高いものは金銭的にもお得だし、買い手側の人も着なくなってしまったら売ることが出来るので環境面にもいいですよね。

 

なるべく服を買わないために生活を充実させる

 

服を着倒すためにはやっぱり服を買わないことだと常々感じてます。

私がついつい買ってしまうときって、日々の生活に退屈してしまって服に刺激を求めてしまうとき。

そんな時はおしゃれはあくまでも生活をちょっとだけ幸せにする手段なのに目的になってしまってます。

よく物を買っても幸せにはなれないと聞きますが、本当そうだなあと思っていて、

ずっと欲しいなと思ってたジャケットを買っても高揚感は一時的なものでまたしばらくすると別の服に興味が移ってしまう事はよくあることです。

服を買っても生活ががらりと変わるわけではありません。


欲しくなってしまったときは服から意識を逸らして趣味に没頭するなど、生活を充実させることを意識したいです。



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「服はたくさんあるのに着る服がない」←なんでこんなことが起こっていたのか

 

着る服がないんじゃなくて「着たい服がない」んだってやましたひでこさんが言っててそうだなーって思った。


こんにちは、サオリです


服はたくさんあるのに着る服がない…こんなことを思ったことがある人はきっと少なくないはずです。

私も過去にこれに悩まされていて、着ない服をたくさん買っては膨大な量を無駄にしてきました。

しかし今は着ない服は圧倒的に少く、結構買い物上手になったと思っています。


今日はなんで過去に「服はたくさんあるのに着る服がない」という事が起こっていたのか、振り返ってみたいと思います。

 

 

生活スタイルに合っていない服ばかり持っていたから

 

田畑の多い田舎に住んでいたのにもかかわらず、手持ちの服のほとんどがシフォンのミニワンピースなどの都会で着るような「お出かけ着!!!」という服ばかりだったので地元では着る事が出来ませんでした。

なので服を買いに都会(と言っても地方都市)に行くときにしか着れなくて「服を買いに行くための服」化してました。


しかも東北に住んでいたので中に重ね着できないシフォンワンピを着られる季節は少しだけ。

この時は手持ちの服のほとんどが一人ファッションショー用の衣装になっておりました…。


都会に住んでいたらたくさん着たのかというとそうでもなく、実際東京で一人暮らししていると家事全般をこなさないといけなくなったため、動きにくいスカートとかワンピースなんて着ていられなくなりました。

実家にいるときの方が家事は母任せだったので優雅な生活してたなと思います。スーパーの袋なんて持つことなかったし。


自分はパンツ派と自覚するようになってからはパンツに合う服を買うようになったため、どんどん着れる服が増えていきました。


スカートとかいいなーと思うんですけど、やっぱり普段は履かないので買うときはお出かけ用(見た目重視したいとき)と割り切って買っています。

 

 

自分の好みをガン無視して流行ばかり追いかけていたから

 

今までの記事にも書いているのですが、完全に雑誌の奴隷になっていて雑誌で推していた服ばかりを買っていました。


デザインが特徴的なものが多く、その雑誌を読んでいる人なら「○○の服だ!」と分かるような服だったため、

シーズンが過ぎると着るのが恥ずかしくなってしまい、ワンシーズンでお蔵入りになっていました。


しかもポリエステルの服とか下着が見えそうなミニワンピースなんて正直着心地が好きじゃないのに「雑誌に載っていてかわいかったから」という理由だけで買っていました。


その服を持っていてテンションは上がっていたのですが、でも実際着るとなると着心地が悪いから選択肢からはずれ、

着れる服が惰性で買った綿のカーディガンしかない、なんてことになってました。

いくらデザインが良くても着心地が悪いと着なくなりますね。


しかも頭のてっぺんからつま先までトレンドで固めていたため、トレンドが過ぎると一瞬で手持ち服のすべてがダサく感じ「着る服がない」なんてことになっていました。


これはいろんな服をたくさん試着し、トップスはシンプルな方がすき、パンツはスラックスがすきなどと自分の好みが分かってきてベーシックアイテムが固定化されてから安易に流行に流されなくなりました。

 

永遠に訪れない理想のシチュエーション用に服を買っていたから

 

雑誌でモデルが都会の街中でデートしているシチュエーションやオシャレなレストランで食事しているシチュエーションなどよく見かけますが

私は「そんなシチュエーションが私にも訪れるかもしれない、そんな時用のために」と服を買っていました。

可愛いけど絶対着ないだろって服も「○○の時に着たら素敵かも!」と妄想を繰り広げ、永遠に訪れないシチュエーションのために散財していました。


妄想と言えば、その時は観劇が趣味だったのでそのシチュエーションを妄想しワンピースを買っていたのですが

今は行かなくなってしまったし、趣味で行っていた頃も数か月に一回とかだったので、もし観劇の趣味が復活したとしたら何回も着たいと思えるワンピースを買いたいです。


今はこの服を買ったら明日から着るかどうかで判断するようにしています。

でもアウターとかはシーズン前に買わないと売り切れてしまう可能性もあるため、その時は返品可能な通販サイトで一度購入し、手持ちの服とコーデしやすいか家でじっくり吟味してから決めます。


いらない服を手放すときに一番つらかったのはこのシチュエーションを妄想して買った服たち。

「今の自分のライフスタイルではこんなシチュエーションは起こりえないんだ」と現実と向き合うのが辛かったです。


でも妄想で買った服って目にするたびに着ていない罪悪感を感じるし、自分のライフスタイルに合う服をちょっとランクアップしてガンガン着る方が満足度が高いです。

今年の春イエナで上質なアウター買ったら素敵すぎて毎日着るたび幸せすぎたので間違いないです。


合言葉はこれ→現実を幸せに生きようぜ。

 

 

人にどう思われるか、他人軸で服を買っていたから

 

流行の服を着ていないと、服のバリエーションがないと人からダサく思われてしまうという考えがあって、そう思われないためにもポンポンと服を買っていました。

この頃は似合っていなくても流行の服を着ていたら正解だと本気で思っていました。


でもヘアメイクの世界にいた時、洗練されている人はだいたい同じ服でキャラクターが固定化されている事に気が付いてからはそんな考え方はなくなりました。


オシャレを考える職業の人が同じような服を着ているってかなり衝撃的だったし、説得力あるなーと思いました。

そういう方たちを見て逆にブレまくっている自分が恥ずかしくなりました。


まあそこからは自分のスタイルを確立するためにまた服をたくさん買い散財してしまったのですが、今は服のパターン化に成功しています。


それと数年前に体を壊してしまい、少しでもストレスの感じる服は一切着れなくなった時にいくら流行っていてもそれが着れる人と着れない人がいるという事を実感して人の目も気にならなくなりました。

肌が弱くて天然素材じゃないと着れない人、小さい子供がいてスニーカーしか履けない人。

ひとはいろいろ。


必要な服は一人ひとり違います。

 

【断捨離】似合わないのに執着してしまう理由【かわいいの呪縛】

魅力的になるには自分の持ち味を生かすこと。



こんにちは、サオリです


私は昔から女の子らしいフェミニンな服が好きで、花柄、フリルは大好物。


10代後半から21歳あたりまでスナイデルのフリルたっぷり&パステルカラーのミニワンピースが大好きでした。(Viviの甘い系とかキャンキャン、美人百花系が好きだった)

でもスペックは骨格ストレートで顔タイプもクール寄りのエレガントタイプ。

パーソナルカラーはビビッドウィンターでホグワーツ魔法学校に入学してたらスリザリンな見た目。

闇属性がかわいい恰好をしているわけだからそれはそれは野暮ったい見た目をしていました。


似合わせ理論を知ってから、どうしてもあか抜けたいので今までに集めた似合わない服を手放そうとしたのですが、捨てられない。

最終的にはヘアメイクの専門学校に入学するときに「メイクさんはこんなフリフリした服着ないよね!」と自分の好きな気持ちを押し殺し、断腸の思いでゴミ袋いっぱいに服を突っ込みました。

 

フェミニンに執着していた理由。フェミこそ女の頂点

 

服の系統を変えるまで野暮ったいと感じながらもフェミニン服に執着していたのですが、なんでこんなに執着していたのかというと、

そのとき自分の中で「モテのカースト」「女のカースト」みたいなものがあって、その頂点に君臨していたのが美人百花みたいなフェミニンな恰好をした女だったからです。

フェミニンな恰好をしていないとモテないと思っていて、それだけじゃなくそういう格好をしていないと女じゃないとさえ思っていました。


だから似合わせ理論で自分はカーストの頂点タイプじゃないと知ったときは負け犬になった気持ちだったし、

フェミニン服を捨てる事=女を捨てる、モテを諦める事だったので服を手放すときとても辛かったんです。


人のどういう所に魅力を感じるのかはそれぞれで、そこに上下は存在しないのに「かわいい服が似合わない自分は負け犬」と思っていたのはやっぱり雑誌の影響が大きかったと思います。


10代後半から20代前半向けの雑誌の「モテ特集」って、だいたいはモデルがフェミニンな恰好してるじゃないですか。

だからモテのカーストの頂点がフェミニンになったんだと思います。(私の中で)


あとオシャレ経験値があまりにも低く、単純にかわいい服(=フェミニンな服)を着ればかわいくなれる、

逆にフェミニンな服を着ないと自分はかわいくなれないと思っていました。

 

 

クールな恰好でもかわいいと言ってもらい価値観が崩れた

 

で、この考えが崩れたのは上京して自分の服の系統を似合わせ理論通りに変えた時。


ZARAのシンプルな白のノースリーブのブラウスに黒のタイトスカートというクールでヘルシーな肌見せコーデをしていた時。

男性から「かわいいね」と言われたことがあり、このとき「フェミニンな恰好じゃなくてもかわいいと思ってもらえるんだ」と思ったんですよね。

その後も似たような出来事が結構ありました。


女性が「かわいい!」という対象って、必ずしもキティーちゃんみたいな「cute」なものだけじゃないですよね。

キュートじゃないキャラクターでもエモかったら(心動かせられたら)かわいいって言うじゃないですか。


それと同じで男性も、その女性がかわいくなくても(おめめクリクリ&華奢でゆるふわカールヘアな分かりやすいcuteじゃなくても)女性としての魅力を感じて男心をくすぐられたらかわいいと感じるんです。


(ボディラインが出る服や、きれい色のスカート、シースルーの服、ヘルシーな露出など女性ならではの恰好)

 

自分の魅力を最大限に発揮するのが最強とクラスメイトをみて実感した

 

それから専門学生の時に、ヘアメイクの学校なのでオシャレな子がたくさんいたのですが、中でもずば抜けて個性が際立っていて素敵なクラスメイトがいました。

その子は肌が浅黒く、目は一重で細いパリコレモデル系クールビューティさん。


彼女は自分のキャラクターを理解していて、いつも自分に似合う洗練されたコーデをしていました。とにかく2年間の学校生活の中でダサかった事が一度もない。

ライダースジャケットが本当によく似合ってました。

もし彼女が自分のクールな魅力を否定してかわいいに走ったらたぶん私は彼女の事を素敵だと思わなかったと思います。


彼女のおかげで“自分の魅力100%全面出しコーデ”の良さに気が付けて、似合わない系統の執着も少なくなっていきました。

だって自分も素敵になりたいじゃん?


フェミニンというより特定のアイテム、コーデに執着してた

 

昔は気が付けなかったのですがフェミニンな服に執着していたというよりは特定のアイテム、コーデに執着していました

例えばフリルのブラウスとフレアスカートを着ないと、パステルカラーじゃないとフェミニンじゃない、みたいな。

 

↑この記事にも書いているのですが、フェミニンコーデは甘いブラウスを着なくても、フレアスカートを履かなくてもできるんですよね。

ファッションってトータルバランスだから。

フェミニンと言っても幅が広いので、昔似合わせ診断で必要以上に落ち込む必要なかったなーって思います。

ほんとに視野が狭かったです。


今はフェミ系統もお色気に昇華することによって楽しんでおります。

 

今が一番若い。今の魅力を楽しむ!

 

数年前にピンク色のプリーツスカートを買いました。

正直すごく似合ってたわけではないですが、その時は野暮ったさも許容範囲だったのでよく着用していたのですが

今年になって着用してみたらとにかく野暮ったく、似合わなくなっていました。(腰のハリが目立ちすごく太って見える…)


生地が上質なもので、全然痛んでないし、スカート単体だけで見ればすごくときめくスカートだったので手放すのは惜しかったのですが

似合わなくなったスカートに執着している今この瞬間にも自分は年を重ねているんだと思ったら「今の自分の魅力を楽しまないと!」と思い手放すことが出来ました。


こう考えられるようになったのもきっと自分の魅力を引き出す服の方が大事と思えるようになったおかげだと思います。

 

【アラサー】私がジーンズを履かなくなった理由。スラックスが快適すぎるんだよ【きちんと感大事】

履かなくなったけど、いいなとは思う



こんにちは、サオリです


数年前から若者のジーンズ離れという言葉をネットやニュースで見聞きするのですが、私もその「ジーンズ離れ」した一人で、25歳の時にジーンズをすべて処分しました。

今はパンツと言えばセンタープレスパンツ一択。

ジーンズを履かなくなった理由には履き心地などいろんな理由があるのですが、一番の理由は手抜きしているようにしか見えなくなったからです。

 

 

ジーンズが手抜き&生活に疲れて見えるようになった


私はそれまで濃紺のスキニージーンズを愛用していて、ブラウスやパンプスなどのきちんとアイテムと合わせたコーデが好きでした。

しかしある日電車の窓に映った自分の服装が、家の鏡では完璧だったのに「手抜きコーデ」にしか見えなかったのです!

同時になんだか生活に疲れているようにも見えて、ちょっと前までは素敵コーデだったのになんでこんなことが起こってるのか理解不能でした。


ネットでたびたび「30になったら今まで着ていた服が似合わなくなった」というのを見るのですが私は25歳でそれが起こっていたんです。(老け顔だからと思われる)


最初はジーンズが似合わなくなってしまったことが受け入れられなくて、ファッション雑誌や、街を歩いている見た目年齢同じくらいの人のジーンズコーデを参考にしたりしたのですが、

年齢に伴ってきちんと感を出した方が素敵に見えるという結論に。

(なおパーカーやボーダーなどがが似合うカジュアル大勝利な人はこれに当てはまらないと思われる)


自分単体で見るときれいにまとまっているコーデでも、カジュアルを素敵に着こなす若い子がたくさんいる街中ではどうしても相対的に見劣りしてしまうんですよね。

↑出かける前は完璧だったのに外では手抜きに見える理由はコレでした。


ロングコートを着てジーンズの見える面積を狭くするとか、全体の色味を抑えるとか方法は考えたのですが

・ロングコートを着てジーンズの見える面積を狭くする
→夏は!?

・全体の色味を抑える
→もう気分が落ち込むような暗い色の服は着たくない…


という感だったのでジーンズに執着するのはやめました。

 

スラックスがジーンズよりはるかに快適な件


そしてジーンズの代わりに履き始めたのがネイビーのセンタープレスパンツ。

これが本当に良くてジーンズよりはるかに快適。

脱ぎやすいし締め付けない、夏は涼しい冬はあったか。色移りの心配もない。(←昔フルラの白いバッグにジーンズが色移りしてしまった)


手持ちのトップス全部に合うし、特にユニクロのセンタープレスは買って2年、

ほぼ毎日履いていて家でスクワットとか結構してたのに膝ぽこなし、シワなし毛玉なしで何でできてるんだよってくらい優秀。逆にこわい!!!!!

ストレッチ効いててデニムより動きやすい。

もう死ぬまでこのパンツでいーわってくらい快適。

(※褒めすぎだけど決してステマではない)


きちんと感があるのでトップスを色物にしてもカジュアルになりすぎないところが気に入っています。


そんなことで私はセンタープレス一択になったのでした。


おしゃれ偏差値がぐんと上がったのはスラックスを履くようになってからだと思う

 

何を着たらわからないオシャレ難民だった頃、MBさんのメルマガを読んでいたのですが(メンズファッションについて書かれたメルマガだけど読んでた)

ボトムスは印象を整える効果がある。ボトムスはお味噌汁の出汁のようなもの。出汁が取れていない味噌汁にいろんな具材(トップス)を入れても美味しくならない=オシャレにならない


というようなことが書いてあり、スラックスを履き始めてからとにかくこのことを実感しています。


私は昔からとにかくカジュアルが似合わず、Tシャツとか部屋着にしか見えてなかったのですが、

スラックスを履くようになってからはTシャツコーデも大人カジュアルに決まり、暑い日も快適に過ごせるようになりました。(それまで夏はダサ見えで諦めていた)

スラックスは子供は履かないオトナアイテムなので、履くだけでオトナな印象になります。


スラックスは色展開も多いのでカラーコーデもできるようになり、自分は色でカジュアル度合いを調節するのが向いてるな~と思いました。

カジュアルアイテム似合わねーって人はきちんとアイテムの色物に挑戦するよろし。


なんかスラックスって今までオフィスワーカーが履くものと勝手に決めつけていたのですが、私と同じこと思ってる人はめっちゃ便利なアイテムなので一度チャレンジしてみて欲しいです。

 

家じゅうを徹底的に掃除したら生活の基本的な事ができてないのに将来が~とか考えてた自分が馬鹿らしくなった

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人生に文句を言うのは当たり前のことをやってから


こんにちは、サオリです

少し前から掃除に凝ってて毎日頑張って部屋中をお掃除してます。


きっかけは「おそうじ力」という本にたまたま出会ってから。
3日で運がよくなる「そうじ力」―うれしい変化続々!【令和最新版】 (三笠書房 電子書籍)

片付けや掃除によっていろんなことに気が付いた人たちが人生を好転させていくエピソードを読んで、掃除でそんなに変わるなら、と思い頑張っています。

 

自分はちゃんとしてるって思ってたけど換気扇は油でベトベトだった

 

部屋は自分の心を映す鏡と言いますが、私はものが片付いていればいいとしか思っていなくて掃除は適当。

掃除機掛けは週に1度、棚はほこりが気になったときに「そろそろ拭いてみるかー」とウェットティッシュで適当に拭く程度でした。

こんなんでも整理整頓は得意なので自分はちゃんとしてるって本気で思ってました。


でも本を読んでから片付けが出来ていても汚れていたら意味がないと知り、部屋中を徹底的に掃除をし始めました。


今の部屋に引っ越してきてから約4年になりますが、浴室トイレの換気口のフィルター、キッチンの換気扇を掃除したことがなく、

案の定、フィールターを外してみると黒いススがパラパラ降ってくる始末。キッチンの換気扇も油でベトベト。

スポンジでこすると一瞬でスポンジがベトベトになり、しかも全く汚れが落ちてない。


これではらちが明かないとネットで洗い方を検索したら酸素系漂白剤がいいとのことで初めて酸素系漂白剤を買い、とにかく掃除、掃除、掃除。



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当たり前のことができてないのに将来が良くなるわけがない

 

掃除をしまくって部屋の空気ががらりと変わったころ、ふと思ったことがあります。

それは掃除っていう生活の当たり前のことが出来てないのに自分の将来が良くなるわけないじゃんってこと。


私はうつ病が治ってからも長年の不摂生や不健全な生活習慣の影響で体が弱く、このままじゃ結婚すらできないなとか、今より広い部屋に住んで犬と猫飼いたいっていう夢が叶わないな、とか

ふとした時に将来を不安に感じる事があります。


でもさ、そんなこと思う前にやることあるだろって。

出来る事ってあるだろって思ったんですよね。

それが掃除などの生活の当たり前のです。


うつ病の治療の過程で運動とか自炊とか、いい習慣は出来ていましたがそれでも丁寧な暮らしとは程遠く、

部屋の窓を開けずに換気しないなんてざらにありました。

 

 

うつ病の頃もそう。

私がうつ病になったころ、とにかくしんどくて治したくって自己啓発や心理系、スピリチュアルなどの情報にすがっていいました。

でもそれだけで食生活はお菓子や冷凍パスタ食べまくりで顔中ニキビだらけ。生活サイクルも昼夜逆転が当たり前の生活をしていました。


こんな状態じゃうつ病は治らないって精神科医やカウンセラーじゃなくても分かるのに、私はそのころ

「何かすごい本に出会えたら、いい考え方に出会えさえすれば生活を変えなくてもうつ病は治る」

と本気で思っていて情報依存になっていました。

 

引き寄せの法則にも一時期はまっていて、これを理解さえすれば何もかも良くなるんだって思っていたのですが、そういうのは整った生活あってこそ

 

「汚部屋住み パワースポット 巡る馬鹿」

 

掃除をちゃんとするようになってから5chの掃除・生活まとめサイトというのをおもしろくて見ているのですが、掃除・生活まとめ (omaww.net)

そこに「汚部屋住み パワースポット 巡る馬鹿」っていうのを見かけて、すっごいささったんですよね。

私はパワースポットには興味がないですけど、でもこれと同じようなことになってたなって。

掃除・生活まとめ 某所で見かけた川柳… 『汚部屋住み パワースポット 巡る馬鹿』 自分のことすぎて本気で恥ずかしくなりましたwww (omaww.net)

 

うつ病の事だけじゃなくて、顔中のニキビをどうにかしたいって思ってた時は「それさえ使えば一瞬で美肌になれるすごい化粧品」をずっと探してたし、


英語を勉強していた時は「すぐに英語が上達するすごい勉強法」をずっと探していました。

 


学生時代、吹奏楽部で顧問の先生に「基礎がまともにできないヤツが曲を上手く吹けるわけがない」ととにかく基礎、基礎、と耳にタコができるくらい言われていました。

おかげで楽器に関しては毎日の地味な練習が大事だと分かり、大人になってピアノを習い始めた時、ネットの「すぐにピアノが上達する方法」などという広告や記事に惑わされずに済みましたが

他のジャンルではそのことが全く生かせていなかった自分に、恥ずかしながらようやくようやく気づくことが出来ました。


うつ病を治療する過程で、うつ病はすぐには良くならない、毎日できる事をして一歩一歩進むしかないんだ」って心の底から実感してたはずなのに忘れちゃうものなんだなあ。


これからも毎日継続していい変化を報告できたらいいなと思っています。


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自己肯定感を上げるには、訓練。ずっとしていた自己肯定感の勘違い

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一瞬で自己肯定感が上がるそんな魔法はない


こんにちは、サオリです

自己肯定感…これは私の長年の課題でした。

とにかく自分に自信がなくて周りにどう思われるか常に不安を感じていました。


うつ病をきっかけに自己肯定感を上げたくていろんな本を読んできたのですが、読み終わった後に一時的に効果があってもまた元通り。

私は自己肯定感を上げるにはなにかすごい考え方に出会えば一瞬でグンと上がってずっと幸せになれると思っていて、

それに出会うために「一瞬で自己肯定感が上がる!」とか「〇日で自己肯定感が~」みたいなものに惑わされて自己啓発本ジプシーになっていたのですが

今思うのはそれは当たり前のことで、なぜなら自己肯定感を上げるには訓練が必要だからです。

 

自己肯定感をあげる訓練は地味

 

例えば1日だけ優秀な指導者のピアノのレッスンを受けて、自分の癖や練習のコツが分かっても、上達にはやっぱり毎日の地味な練習は欠かせないものです。


私がうつ病で初めてカウンセリングを受けた時にカウンセラーに「カウンセリングは習い事と一緒で継続することが大切」と言われました。

正直カウンセリングに行けば1回でガラッと変わると思っていたのでがっかりしましたが、そう言われたことで自分が一瞬で変わる魔法みたいな“なにか”を探すことをやめて現実を見る事が出来た気がします。

何事も一歩一歩やるしかないんですよね。

めんどくさいけど。

 

 

で、自己肯定感を上げる訓練は何をやったのかと言うと、カウンセリングの他に

ノートに今日頑張った事、自分えらかったなって思えることを書いたり、前より成長したこと、自分の思ったことを書きまくったりしてました。

地味でしょ?

でもこんな地味なことの積み重ねが大切なんです。

 


今日頑張った事、えらかった事は、本当にささやかな事をたくさん書きました。

例えば歯磨きを丁寧にしたとか、自炊したとか、部屋の掃除をしたとか。


自己肯定感が低いと他人から見てすごい事でしか自分を評価できないんですよね。

みんなから「すごい」と思われないとダメ。みたいな。

だからいつも人と比べて勝手に劣等感感じるし、人間関係を上下でしか見れないから無自覚にマウントとってたり、人のささやかな発言に対してマウントを感じちゃうんですよね。

そんなんくっそストレス感じるわ。

 

ノートに書くと変わること

 

で、ノートで自分の事を褒めていくと自分基準で自分の事をだんだん評価できるようになっていきます。

昔、「あたし今日目覚ましかけた時間に起きれたの~エラくない?☆」って言ってくる友達に対して「そんなん全然えらくねーよそんなこと言ってて恥ずかしくないんか!!?」って普通に思っていたんですが

今はその友達みたいな発言する側になってるから不思議。

 

自分の思ったことをノートに書く効果は、それまで自分の感情を抑圧しすぎて「こう思っちゃいけない」と思う事がよくあったのですが、思ったことを書くことによって

自分の感情を素直に受け止める事が出来るようになりました。



たとえば私は人の事を悪く思っちゃいけないと思っていたのですが、そのせいで人間関係に無駄にストレスを感じて消耗していました。

よく人の意見に対して過敏に反応して怒りを感じる事が多かったのですが、(そして怒っちゃだめだー抑えろーってなってた)

それは自分が「○○と思っちゃいけない」と思っていて、それを無自覚に「私がそう思っているんだからあなたもそうしなさいよ」と人に強要していたからです。


「何を思おうが自由!」と思えたことで人の発言にも同じようなことを思う事が出来て人の発言に傷つくことが減りました。

 

 

あとずっとノートに自分の気持ちを書き続けていると、不思議なことに「私こんなこと思ってたの!?」と無意識に思ってもない事を書いていてびっくりすることが結構あります。

私はこれを自動筆記と呼んでいるのですが、自動筆記で書かれることは潜在意識で思っていることなのかなと思っています。

一時期、何回も似たような事ばかり書かれていて、自動筆記で自分の気持ちを確かめる事が出来ました。


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自己啓発本ジプシーも無駄じゃなかった

 

自己啓発本ジプシーだったときは「何読んでも何も変わんねーじゃん」って思ってたんですが、

でもやっぱりいろんな自己啓発本を読むのも考えを変えるための訓練になってたかなって思います。


特に一時期心屋仁之助さんのブログやポッドキャストを繰り返し読んだり聞いたりしていたのですが、少しずつ物事の考え方が変わっていったような気がします。

「何も変わんねーじゃん」と思っていたのは当時の自分があまりにもいろんなことを抱え込みすぎていてプロの手を借りないとどうしようもないくらいだったから。


いろんな自己啓発本を読みまくったことでカウンセリングに行ったときにインナーチャイルドを癒すセラピーもさらっと受け入れる事が出来ましたし。

読んでなかったらまず「インナーチャイルド?はあ?」だったかもしれないです。


カウンセリングでは自己啓発本で頭じゃ分かってるけどいまいち体感として感じられないことを落とし込める事が出来ました。

考え方とか結構変わってきてるんだけどいまいち落とし込めてないわってくすぶってる人は私みたくカウンセリングに行ってみるといいかもしれないです。

 

 

saochan.net

 

【汚肌】ずっとニキビに悩んできたけど潜在意識では治したくなかったんじゃないかって話【まさかのまさか】

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そんなことってある?



こんにちは、サオリです

今日は潜在意識と汚肌のはなし。


今までブログで何回か書いているのですが、私はニキビ肌に悩み、ずっとコンプレックスを感じていました。


12歳からニキビができ始め、大人になってもそれらは治ることはなく常に顔にい続けました。

顔に出来ているたくさんの赤いボツボツのせいで鏡を前にして何回泣いたか分からないし、何も食べなかったらできないだろうと摂取障害にもなりました。


とにかく治したくて積極的に野菜を食べ、お菓子は食べないようにしたり、

化粧品はネットで「この化粧水でニキビが治った」という情報があれば片っ端から試したし(でも実はプロ〇クティブは試したことがない)、サプリメントもたくさん試しました。


他にも美容皮膚科で毎週ピーリングしてもらったり、皮膚科で高濃度のビタミン剤を処方してもらったり…

それでも治らなくて一生私は死ぬまで汚い肌のままなんだ、とやけくそになりお菓子のドカ食いしていた事が結構ありました。



ところが20代の中盤にひどい体調不良から遅延型アレルギー検査を受ける事になって、乳と小麦を抜く食生活にしたところみるみる改善。


現在は変わらず吹き出物出来やすいなと感じるものの、ちゃんとしたものを食べて、きちんと運動して、寝ていれば吹き出物ゼロです。(小麦と乳製品は今でも控えてます)



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原因不明の体調不良は、遅延型アレルギーのせいだった!体調不良が遅延型アレルギー検査で改善された話
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吹き出物が出来てホッとした謎心理


で、ここからが本題。


食事制限が辛く、パンのドカ食いをしてせっかく治ってきた吹き出物がまた増えてしまったときになんか安心したことが結構あったんですよね。

おかしくないですか?

吹き出物のせいでずっと辛い思いしてきたのに。

あんなに悩んできたのに吹き出物が出来てホッとするってだいぶおかしいでしょ?


ずっとこれなんなのかなあって考えたのですが、潜在意識では汚い肌を治したくなかったんじゃないかなあなんて思いました。


完全には治らなくてもやっぱりお菓子を食べるのをやめるとニキビは減っていたんだし、本当にきれいになりたい気持ちがあったのならお菓子のドカ食いなんてしてなかったと思うんです。

完全に治らなくても数が少ないに越したことはないじゃないですか。


仮に潜在意識で汚肌を治したくないと思っていたとして、じゃあそれはどこから来たんだと考えてみたのですが、出てきたのは

・綺麗でいると同性に嫉妬されるかもしれないから

・母に反省してもらいたかったから

の2つ。

 

綺麗でいると同性に嫉妬されるかもしれないから

 

ひとつ目の「綺麗でいると同性に嫉妬されるかもしれないから」は、私はとにかく同性に苦手意識がありました。

中学に入学したときに、部活である先輩からやけに容姿を気に入られ、かわいいかわいいと言われていたのですが

それを隣で見ていた子からおもしろくない顔をされたときに「嫉妬されたら人間関係が上手くいかなくなる」と思ったんですよね。

だから友達に容姿を褒められることがあっても周りに人がいたら「やめて!褒めないで」って感じでした。


高校生の時も、この時ケータイでホームページを作って日記を書くことが流行っていたのですが、

ある日部活の先輩(男)から私の日記にコメントをもらったのでコメ返したら、先輩の事が好きな友達が私のコメ返で嫉妬したらしく

翌朝その友達とその周辺にハブられるという事件がありました。

そんなことがあって自分も女なのに女めんどくせー苦手だわってなりました。


ニキビがたくさんあれば「でもあいつ肌汚いじゃん」ってなって嫉妬度が下がりそうじゃないですか。

だからずっと治したくなかったのかな、なんて思います。

 


嫉妬については、中学の時に嫉妬でいじめられた事がありPTSDになっていたので(この時の嫉妬は容姿についてではない)カウンセリングで相談したことがあったのですが

カウンセラーは何回も嫉妬は嫉妬する人の問題であってあなたは関係ないんだよと言ってくれ、考え方が少しずつ変わっていきました。


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母に反省してもらいたかったから

 

次に2つめ「母に反省してもらいたかったから」は「美容瞑想」という本にきれいになると困るという深層意識は親への恨みが原因と書いてあるのを読んで自分に当てはまっていると思ったからです。

(美容瞑想の本へのリンクは記事最後に載せておきます。)


なんでも小さいころに怒られたことや、また兄弟や友達との比較がきっかけで「お母さんは私がかわいくないんだ」「私だけがかわいがられていない」と思い込み、

えこひいきした親を反省させるために「不幸になって親を謝らせてやろう」という思いを持つようになってしまうのだそうです。

そうするときれいになることにストッパーをかけてしまうのだとか。



私は小さいころ妹の方がかわいがられていると感じ、母を恨んでいたんだと思います。

さいころから物欲が強かったのですが、それは自分がかわいがられているかどうかを買ってもらえるかどうかで確認したかったから。

そして買ってもらえないたびに「やっぱり私はかわいくないからなんだ」「そうだ、不幸になって反省させてやろう」と思ったんだと思います。


その証拠にいろんなことを親のせいにしていました。


例えば中学の時のいじめもなんとかしてくれなかった親を恨んだし、でもまあこの時は中学生だったからしょうがないとして、

専門学校でパワハラされたときも何もフォローしてくれなかった親を恨んでました。完全に自分の問題でもう成人してるのに。


10代でニキビがたくさんでき始めた頃、自分の体の事なのに完全に母に問題ぶん投げて「なんとかしろよ」的なスタンスだったのでやっぱり汚肌でいる事で母を困らせたかったんだと思います。

 

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とある出来事で意識が変わった

 

で現在は吹き出物が出来てもホッとする事はなくなったのですが、それは吹き出物があるデメリットがメリットより上回ったからだと思います。


彼氏にファンデーションなしの肌を見せられないことによって「もし結婚したとしたらすっぴんは免れない」と思ったし

人に生活習慣が悪かったり、不潔だと思われたり、信用にかかわってくると思ったからです。(吹き出物がある人を傷つけているつもりはないです。生活習慣の他にストレスなどいろんな原因がありますしね)

 

特に印象的だった出来事は、大人になって歯医者と眼科に行ったときに「その吹き出物、アレルギーですか?」とかなり心配そうに立て続けに言われたこと。(すごく荒れてたから)

吹き出物があるのはずっと当たり前のことだったので分からなかったのですが「吹き出物があると人に心配かけてしまうのか!」と気づいて意識が変わりました。

 

医者じゃなくても大切な人に吹き出物がたくさんできてたらストレス抱えてるんじゃないかって心配だよね。


それからというものの、前は吹き出物ができても「また出来た!最悪!」としか思っていなかったのが「ああ、心配かけちゃうなあ」と思うようになりました。

(通っているカイロプラクティックの先生が、吹き出物ができるとどうしたー?って言ってくるのもあって)


吹き出物の治らない原因が分かってもパンのドカ食いをしてしまっていたのは小麦の中毒性もあると思いますが、自分の事しか考えてなかったからというのもあると思います。

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自分にきれいでいる許可を出すために

 

私は潜在意識できれいでいることにデメリットを感じてきて、顕在意識(表面的な意識)でもきれいでいることはただの自己満だと思っていたのですが、

今ではきれいでいることは人にポジティブな影響を与える事ができると思ってます。


私は自分の気持ちが上がるようにきれいな色の服を着るようにしているのですが、ある日趣味で習っているピアノの先生に、

「いつもきれいな色の服を着てるので、毎回フルーツをいただいているような気持になって元気が出ます!」

と言われたことがあって(先生の感性すこ笑)自分の着ている服が人にもポジティブな影響を与える事があるんだと嬉しい気持ちになりました。

言われたのは服の色ですが、これだけじゃなく肌とか髪とか整ってるとやっぱり「きれいだな♪」って思うじゃないですか。


もし私のように潜在意識で自分にきれいでいる許可を出してないかもしれないと思ったら「きれいでいる事は人のためにもなる」と考えると意識が変わっていくかもしれません。

 

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