【元うつ病高校中退】苦しい青春コンプレックスを克服するには?

 

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青春は幻想


こんにちは、サオリです

この時期になると毎年自分が強い青春コンプレックスを抱えていたことを思い出します。

このコンプレックスは結構長くて26歳くらいまで続きました。

 

学生が出てくるアニメすら観れない「青春コンプレックス」


私は高2の秋ごろにうつ病で高校中退しているのですが、その時はまさか自分が中退するなんて思わなかったのでとにかく辛く

友達のケータイホームページの楽しそうな学校生活日記を見るたびに動悸が起こっていました。


それよりもつらかったのは通っていた学校の卒業式の日。

うつ病にさえならなければ私もその場所にいるはずだったのに」と部屋で一人で泣いていたのを覚えています。

 

高校だけでなくて成人式も、当時何もしていない自分が情けなくって、友達にも会いたくないし顔の吹き出物もひどいしで

本当はきれいな着物を着て出席したかったのに出来ませんでした。

大学に行くことも叶わず、卒業式で袴を履くことも出来ませんでした。


学生が出てくる映画やアニメはとにかく気分が悪く見る事ができなかったし、毎年この時期は大学生が袴を履いている姿を見て悲しくなっていました。

この頃は本当にひどかったです。

 

「青春」には誰もが夢見がちになる

 

今思うのは「青春」にあまりにも夢をみすぎていたということ。

日本のアニメや映画や漫画、ドラマって学生生活を書いたものがとにかく多いし、

そのせいか私はずっと高校生になったらこんなドラマチックな青春が待ってるんだと思ってました。

なので高校に入学するときは期待値MAX。

恋愛に関しても彼氏ができたら自動的に恋愛漫画みたいなロマンチックな体験ができると思ってました。


でも実際はスクールカースト上位に目を付けられないように自分らしく振舞う事ができず、ニキビだらけの肌に落ち込み、

部活も「楽しければいいじゃん」という雰囲気で上昇志向の私にとってはかなりつらく、学校生活でのストレスを家で発散するので親との関係は最悪。


運よく私の事を好きになってくれる人がいて彼氏はできたものの、恋愛漫画に憧れすぎていたせいで思うような振る舞いをしてくれない彼氏にがっかり。

そして喧嘩もたびたび起こっていました。

そして高校中退と共に別れを切り出され、もう死のうかなと思う毎日でした。

 

「青春コンプレックス」は足りない思考が原因


青春コンプレックスは足りない思考が原因だと思ってます。


仮に私が思う青春、勉強も部活も一生懸命、信頼できる仲間に囲まれて彼氏との関係も順調だとしても

足りない思考が、もっとかわいい顔だったら、もっと体が細かったら、もっとスポーツが得意だったら、彼氏がみんなが羨むような人だったら…

とさらに青春に完璧を求めていたかもしれません。


ネットで青春コンプレックスの事を調べると「部活をやらなかったことに後悔してます」と質問サイトで質問している人がいたのですが

私の場合は逆に自由な時間がたっぷりある帰宅部が羨ましくて羨ましくてしょうがなかったです。


おそらく部活をやらなかったことに後悔している人は部活をやっていたとしても「足りない思考」のせいでどちらにせよ後悔していたと思います。

 

楽しかった事はだれにでも必ずあったはず


じゃあその「足りない思考」から脱するにはどうすればいいのかというと「あったことに目を向ける」事です。

学生時代に楽しかった事って本当に、本当に一つもなかったでしょうか。

よく思い出してみてください。(学校以外の事も)


私はうつ病になったとき、私の中高時代365日×5年は一日たりとも楽しい事が何一つなかったと思っていました。

でもそれはあまりにもネガティブになっているせいで楽しかったことを忘れていただけだったんですよね。

学生時代に嫌なことがあったり、なにか大きな後悔をしているとそのことばかり考えがちになりますが、小さな幸せって誰にでもあったと思うんです。


中高の頃、面白くて優しい友達がたしかにいました。

私が学校に行けなくなってしまったときも最後まで心配してくれる存在がいたのですが、私はその友達の存在すら長い間忘れてしまっていたんです。

なぜずっと忘れていたのかというと「どうせわたしの事なんて心配してくれるやつなんていない。心配のメールも表面的なものに違いない」と思い、自分で友達の存在をなかったことにしていたからです。


思考って習慣で、ネガティブな事ばかり考えていると悲しかった事や辛かった事を思い出すのが得意になっていくんですね。

なので過去自分に足りなかったことに目を向けている人は「あった事」に目をむける訓練をしてみてください。


時間はかかりますが、ノートに書き続けていれば「自分にも少しは楽しい事があったみたい」と少しずつ気づけるようになれます。


そもそもその「理想の青春」は本当にあなたが望んでいたこと?


そもそもあなたが理想とする青春って、本当にあなたがそうしたいと思ったことでしょうか。


中高生が描かれた漫画やドラマ、映画、CMなどの影響で知らない間に「青春」は「こういうことをやらないと青春じゃないんだ!」と思っていないでしょうか。


私は中高生は恋愛して仲間に囲まれて何かに一生懸命に打ち込むものだと思っていました。

だからとても苦しかったんです。


中学生の頃は本当に何かに一生懸命になりたいと思って部活を頑張っていましたが、高校生になると燃え尽きてしまい、正直本心ではダラダラと高校生活を過ごしたかったです。

でもダラダラ過ごすより頑張っていた方が青春している気がするし、何より周りに認めてもらえる気がして頑張りたくないのに頑張っていました。


世間のイメージの「青春」にあまりにも振り回されていないでしょうか。


そういう価値観に振り回されていると今後も

30までには結婚しないといけない、

結婚したら子供をうまないといけない、

いい大人なんだからブランドバッグの一つは持っていないといけない、

家を買わないといけない、


などの価値観に振り回され続けて人生が終わってしまいます。


こういった価値観に振り回されないためにはまずそういったメディアを控えることと、自分の思ったことをノートに書くことを習慣にしてみてください。

これをするだけでも他人の価値観に振り回されていることに気が付けるはずです。


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物事には裏と表が必ずある


「青春コンプレックス」を感じている人は何かにうらやんでいるはずです。

学生時代に彼氏彼女がいた人、部活を一生懸命やって成果を残した事、外向的で友達がたくさんいた人…


物事には必ず裏と表があります。

そういった人たちが羨ましいのは表の楽しそうな面しか見えていないからです。

考えてみてください。

彼氏彼女がいても、部活を一生懸命やったとしても、友達がたくさんいたとしても幸せだとは限りません。


私は高校生の頃にクラスのちゃらちゃらしている女の子たちを見て「気楽でいいよな」なんて思っていたのですが、とんでもない。

人間関係にトラブルが起きていて知らない間に喧嘩が勃発してたり、ある子は妊娠して中退してたり。

彼氏彼女がいたとしても大抵3か月で別れてしまうカップルが多かったです。

所詮高校生の恋愛なんかそんなもん。


そして私は部活を頑張っていましたが、人間関係のトラブルに板挟み状態になってしまい毎日ストレスを感じていた日々を思い出します。


どんなことにもいい面と悪い面があります。

それを考えずに物事の良い面ばかりを見てうらやむのはやめましょう


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人生の絶頂は学生時代に訪れるとは限らない

 

もし高校生時代に戻って自分が思い描くような青春をすることができたら幸せだったのかと思うと、私は過去に執着してしまい、これまた人生の足枷になっていたような気がします。

 

人生には波があって、生まれた時から死ぬまで好調な人は誰もいません。

そして何かしら問題にぶち当たります。

ある人はお金、ある人は人間関係、健康、恋愛、受験、就職活動 ...

 

それらの問題はいつぶち当たるのか誰にも分かりません。

人生の最初の方なのか、それとも後半のほうなのか…


学生生活が絶頂だとするとあとは下がっていくしかなので、それだとどうしても「あの頃はよかった」と過去を懐かしむばかりで前に進める気がしないです。


私は高校生の事にうつ病になった事に心の底から自分の人生を呪いました。

そこから長い間どん底だったのですが、今ではうつ病になったのが高校生の頃で良かったと思っています。

もしうつ病になっていなかったらいまの幸せはありませんでした。


青春出来なかったと思い悩んでいる人は人生の絶頂がその時ではなかったという事。

ただそれだけです。


青春コンプレックスに悩んでばかりではこれから訪れる幸運を自らつぶしているようなもんです。

昔の幸せより今の幸せの方が大切ですよね。


思考は習慣なので今ある幸せに目を向ける事から始めましょう。


親が許せない。そんな時は両親をひとりの女性、男性として考えてみる。

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ちっちゃいころは大好きだったのにね



こんにちは、サオリです


私がうつ病の時にカウンセリングを受けて気が付いたのは、あらゆる問題の根本は親との関係にある、ということ。


例えば私は自己肯定感がとにかく低く、常に周りの目を気にして人と比べながら生きてきました。

それは親に「そんなことしたら周りから○○だと思われるよ」「それってお世辞なんじゃない?」「そんなこと出来ても勉強できないじゃない」「だからお前はバカなんだ」と言われ

ありのままの自分を受け入れてもらえなかったからです。


私は特に母の発言に傷ついてきたのですが、自分の人生が上手くいかないのはこのことに原因があると気が付いてからは母の事が許せない気持ちになりました。


でも母を一人の女性として考えてみると、ああいう傷つくことを言ってしまったのもしょうがなかったんだな、と思う事ができました。 

 

親は親である前に一人の男性、女性

 

小さい頃は親は完璧な存在として見ていましたが、大人になって親は親である前に一人の女性、男性であることは考えれば分かることなのについつい忘れがちです。


私は母が許せないと強く思っていたとき「母親とはこうあらねばならない」というような考えがありました。


でも実際自分が子供がいてもおかしくない年齢になり「自分に子供がいたら?」と考えると自分が考えていた母親像には到底なれるとは思えないし、

子供を傷つけずに育てる事なんて無理。


親子とはいえ、子供には子供の個性があって親とかならずしも相性が合うとは言えないですしね。


それに私にとっては傷ついた言葉も母なりの愛情で言ったのかもしれません。


母はよく「そんなことしたら○○だと思われるよ」と言っていて、おかげさまで周りの目を異常に気にするように育ちましたが、

母の育った時代は周りと歩調を合わせて右へならえの時代でしたからね。


このままだったら自分の娘は社会で生活していけなくなる!と思ってそういうことを言ったのかもしれません。

 

親が傷つくことを言ってしまうのは自分の嫌なところを子供に投影しているから



そんなこと言っても許せねーと言う人に向けて、こんな考え方もあります。

親が子供に対して傷つく言葉を言ってしまうのは、子供に自分の嫌なところを投影してしまうから。

冒頭で親に「そんなことしたら周りから○○だと思われるよ」「それってお世辞なんじゃない?」「そんなこと出来ても勉強できないじゃない」「だからお前はバカなんだ」と言われたと書きましたが、


親自身が周りの目を気にして生きてきて、

人の誉め言葉を素直に受け取れないほど自己肯定感が低く、

周りから認められるような成果がないとダメだと思っていて、

バカな自分にコンプレックスを感じているんです。


親に言われて傷ついてきた言葉は全部親が自分自身に対して思っていることなんですよね。

あの言葉はあなたに言ったんじゃなくて、あなたを通して自分自身(親)に言った言葉なんですよね。


親の弱さが分かると、なんだかしょーがねーなーって気持ちになってきます。

 

愛情の表現の仕方は人それぞれ違う

 

親に感謝できる部分を見つける、というのは親を許すために大切な事です。


私は長い事親の愛情を感じずに育ったと感じていたのですが、でもそれは親の思う愛情と私の思う愛情に違いがあったからです。

私の思う愛情は、どんな個性も認めてくれること。

でも母の愛情は私がお金に不自由することなく育つこと。


母は母子家庭育ちで、私が小学生の頃はよく貧乏話を聞かされていました。

母はとにかく貧乏が嫌で結婚したら退職するのが普通の時代でもバリバリ働きキャリアを積み、

おかげで私は今までお金のせいで希望の学校にいけなかったとか、留学したいのにできなかったとか、そういう事がありませんでした。


私は母が周りと比べたり、勉強ができないことにとやかく言う事で傷ついた事、いつも母の帰りが遅くて寂しかった事ばかりに焦点を当てていたので気づくことが出来ませんでしたが、

愛情の表現の仕方には人それぞれ違うと気づいたことで、感謝できる部分を見つける事ができました。


良かれと思ってやったことが相手の求めている物とは違うなんて普段の人間関係にもありますからね。


あなたの親はどんな愛情の表現を選んだのか…一度考えてみてください。

 

うつ病になりたくてなったのだとしたら、なんでだと思う?

 

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は?何言ってんの?



こんにちは、サオリです


昔、心屋仁之助さんのブログを好きで読んでいたのですが、その中でも特に好きな考え方があります。

それは「病気は自分でなりたくてなる」という考え方。


最初この考え方に触れた当時はうつ病で苦しかったので「こんな状態になりたくてなる人間がいるわけないだろ(怒)」と思ったものですが、

内観するほどこの考え方に納得し、自分はうつ病になりたくてなったのだと思うようになりました。


これは病気だけではなく、今現在の状態にも言える事です。

 

母に罪悪感を感じて欲しくてうつ病になった!?

 

例えば私の場合だったら、まず母に復讐したくてうつ病になったんじゃないかな、という事。(ちなみにうつ病になったのは17の頃)


●中学の時にいじめられていて、勇気を出して母に「いじめられているのに先生が何も対処してくれない」と告白したのですが、「もうちょっと我慢したら」となにも対処してくれなかったこと。


●私立の高校に行きたかったのですが、田舎じゃ公立に行かせるのが一般的なのもあり、私がその高校に合うかどうかではなく公立に行くのが普通だからと検討さえしてくれなかったこと。

●進学した公立学校は校風に馴染むことが出来ず、毎日ストレスでいっぱいだったこと。


「お前がなんとかしてくれなかったからうつ病になったんだ」という所です。


母だけじゃなくて私にストレスを与えた周りの人間にも、私がうつ病になり不登校になることによって罪悪感を感じて欲しいと思っていました。

↑文章化してみると私黒いね!!



この「罪悪感を感じて欲しい」という気持ちって、専門学生の頃にパワハラを受けてうつ症状で死にたくなってしまったときに特に感じていて、

「私が死んだらパワハラした側は一生罪悪感を感じるはず」と考えていました。


でも私が死んだところで他人事で罪悪感なんて感じるはずがないんですよね。

だってパワハラするくらいだもん。

私が死んでもパワハラした側は普通の日常に戻るだけなんだよなーと思うと悔しくて死んだら負けと思ってました。

 

「休みたい」と潜在的に思っていたからうつ病になった


次に「休みたかったから。」


当時音大に進学したいなと思っていたのですが、そのためにレッスンをいろいろ受けていて、それプラス部活とバイトで毎日睡眠時間は数時間しかありませんでした。

表面上では「頑張りたい」と思っていたのですが、ほんとのところは「休みたい」と思っていたようです。


表面上で思っていることより、潜在的に思っていることの方が現実化しやすいのでうつ病になったのだと思います。


頑張りたいと思っていたのは、成果を出さない自分、頑張らない自分はクズだと思っていたから。


うつ病になって体が動かなくなる前に、生理痛がひどかったり、朝ふらふらで次第に電車に乗り遅れるようになったりと兆候はあったのですが、本当の気持ちに気が付くことが出来ず、

25歳の頃にも同じようなことになって留学中に就職目前だったのにパニック障害になって帰国しています。

 

うつ病は本当の自分に気が付かせてくれるきっかけになる


学校に行けなくなってしまったとき、また25歳の頃にパニック障害になったとき、ずっと頑張ってきたのになんでわたしだけこんな目に合わないといけないのかと強く思っていました。

でも一見不幸に思える事には必ず意味があると思っています。


私はうつ病になるまで人に相談したり、頼ることが出来なかったのですが、うつ病になり死にたいと思うようになってようやく

「誰かに助けてもらいたい」と思い初めてカウンセリングに頼ることが出来ました。


それがきっかけで内観し続け、分かったのはそれまで「これが自分」と思っていた自分は本当の自分とはかけ離れていた事。

本当の自分の気持ちに気が付くことができて、生き方そのものがいい方向に変わっていきました。


もしうつ病になっていなかったらずっと自分の気持ちを押し殺して毎日モヤモヤ、イライラしながら一生を終えていたと思います。

うつ病は本当に辛い事ですが、今本当にあの時うつ病になって良かったと思っています。


うつ病は人生大転換の真っ只中です。

うつ病は失う事ばかりではありません。

必ず失う事以上に大きなメリットももたらしてくれます。

 

 

【何を着たらいいか分からない】おしゃれ迷子の人はこれ読めばいいと思うって本「お金をかけずにシックなおしゃれ」を紹介します【服】

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こんにちは、サオリです


今日は私の一番のお気に入りのファッション指南本「お金をかけずにシックなおしゃれ 21世紀のチープシック」小林 直子(著)という本を紹介します。


この本は数年前、私のおしゃれ迷子に終止符を打たせてくれた本で、おしゃれ迷子の人にはぜひ読んでもらいたいな、と思っています。


おしゃれ迷子になっている人というのはファッションメディアの情報に振り回され、服の選び方が「他人軸」になっているのが原因です。

でもこの本を読めば自分軸で服が選べるようになるので、今後年を重ねて服の系統が変わっても困ることがなくなります。


大切なのは何を着ればいいか、などの表面的なことではなく自分に合った服を選び取るための考え方です。

 

自分のライフスタイルに必要な服は、ファッション雑誌には載っていない

 

「自分のライフスタイルに必要な服は、ファッション雑誌には載っていない」

この本の中で一番ハッとさせられた言葉です。


私が何を着たらいいのかさっぱり分からなかった頃、あらゆるファッションメディアに書かれている「○○は絶対買おう!」という言葉に振り回されて随分とお金を散財してきました。

そして買った服の9割は着ていませんでした。


なぜ買った服のほとんどが無駄になってしまっていたのかというと、おしゃれかどうかを優先させすぎて自分のライフスタイルを全く考えていなかったからです。

たくさん歩くライフスタイルなのにハイヒールばかり買ったり、東北に住んでいたのに着られる時期が短い薄い生地のブラウスばかり買っていました。

私のようにライフスタイルを考えずに服を買ってしまう人は少なくないと思います。


私は服を選ぶ基準に「ライフスタイル」が加わったことで自分に必要な服がはっきりと分かるようになり、おしゃれ情報に振り回されなくなりました。


そのことによって昔はファッション誌に掲載されていたから、モデルの○○ちゃんが着ていたからとの理由で服をポンポン買っていたのが、ピタりと止まって

この服は今の生活に合うかどうか、考えて服を買えるようになりました。


ライフスタイルは一人ひとり違い、どんな服がライフスタイルに合うのかは自分にしかわからない。

この本は考えてみれば当たり前のことを気づかせてくれました。


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こだわりが自分のスタイルを作る

 

服の系統が定まらない…これは私の長年の悩みでした。

女子アナ系も良いけど海外セレブみたいなクールな感じもいい…一体自分はどの系統が合うんだろうと思っていました。

この悩みを持っていたのは、自分の好みを細かく理解していなかったからです。


ただ漠然とおしゃれになれるなら何でもいい!と思っていたのですが、どんな人にでも着て気持ちの上がる服や、逆に着心地の悪いものがあるはずです。

これらが分かっていれば自然と自分のスタイルが出来上がっていくので、そもそも系統がどうこうと悩まなくなります。


例えば私の場合だったらボトムスは必ずアンクル丈のセンタープレスパンツ、スカートならきれい色のミモレ丈レーススカート、トップスは天然素材のニットというこだわりがあります。

逆に着たくない服はシャツやスキニーシルエットのボトムス、デニム、皮素材の服。

着心地がどうしても苦手です。


この本は順序良く読んでいけば自分のおしゃれ説明書が出来上がるようになっているので、おしゃれ迷子の方はぜひ読んでみてください。


そもそも自分の好みが分からない…という方は、服を着る経験が足りないかもしれません。

そんな時はお店に行ってひたすら試着して自分がどう感じるかたくさん体験してみてください。


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「自分らしい」服装で満たされる!オシャレのその先

 

そもそもオシャレをして得たいことはなに?


私が何を着たらいいか分からなかった頃、一番嫌だったのは服のせいで一日楽しく過ごせなかったという事。


何を着ていいか分からないから朝から服を選ぶのにストレスを感じていたし、時間をかけて決めても自信がないので建物のガラスに写った自分にがっかり。

堂々としていられなかったり、周りの人の素敵なコーデを見て惨めに感じていました。


そんな自分が嫌で、もっと素敵な流行りの服を着れば嫌な気持ちになることもなくなるだろうと思っては次々と服を買うという事をしていたのですが、

いつの間にかインフルエンサー並みにオシャレになることが目的になっていたんですよね。

だからメディアの「○○がオシャレ!」のような情報に振り回されていました。


でもオシャレには必ず「オシャレをして得たいこと」というものが人それぞれあるはずです。

私の場合は服の事なんか気にせず堂々と振舞えるようになることと人からの信頼が目的でした。


おしゃれ迷子から脱出するための方法は本にたくさん書いてありますが、今回私が紹介した

①ライフスタイル

②自分の好みの服

③オシャレをして得たいこと

の3つをはっきりするだけでも着るべき服が見えてくるはずです。

 

 

 

パーソナルカラーが嫌い、受け入れられないのはそこに自分の嫌な部分(コンプレックス)を感じて拒絶してるから。

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こんにちは、サオリです


パーソナルカラーは今やファッション、美容に興味がある人なら誰でも知っているのでは?というくらい認知されています。

パーソナルカラー診断を受けたことがある人も多いと思うのですが、結果を知ってがっかりする人は少なくないのではないのでしょうか。

私もそのパーソナルカラーの結果にがっかりした一人です。

 

パーソナルカラーがビビッドウィンターでがっかり!


約9年前くらいにウィンターと診断されて、やわらかく、女性らしさを感じるサマーかスプリングが理想だった私にとっては受け入れたくない現実でした。

野暮ったかった自分をどうにかしたくて一応活用したものの、ベーシックカラーしか着ていなかったので自分の着ている服に満足することはなく、いつもモヤモヤ。

ファッションがたのしい!と思う事はありませんでした。

そういった意味ではパーソナルカラーを本当に活用しているとは言えませんでした。



こんなにも自分のパーソナルカラーが嫌なら無視して好きな色着ればいいじゃん!と思うとのですが、

ビビッドウィンターの私にとってサマーのくすみカラーは途端に顔が疲れて見えるし

スプリングの色はなにか無理しているような感じをドレープを当てられたときに実感しているため、もう似合わない色を着る事ができませんでした。

 

パーソナルカラーで人生観が否定されたと感じた


なぜこんなにもパーソナルカラーの結果が受け入れられなかったのかというと、そのウィンターの色に自分の人生観が否定されているように感じたからです。

自分に似合うとされるビビッドなカラーを見た時、わたしはこんな色を着て社会生活が送れるわけがないと思いました。


ビビッドウィンターの色に感じたのは、子供っぽい、自己中、感情的、目立ちたがり屋、個性的。

私は周りに溶け込んで生きるのがよしと思っていたため、こんな強い色を着たら目立って叩かれてしまうと思ったし、

色のイメージと自分のキャラが一致しないのでこんな色を着ている自分がまったく想像できませんでした。


アナリストさんは日常に取り入れやすいコーデを提案してくれたのですが、「嫌だな」「こんなコーデ無理無理」という気持ちだったのを覚えています。

 

 

自分のパーソナルカラーが嫌いなのは自分の嫌な部分を感じているから


「嫌い」と思うのはその嫌いな要素が自分にもあって、それを許可できないからです。

私はまさにビビッドウィンターの色に感じていた要素(子供っぽい、自己中、感情的、目立ちたがり屋、個性的)を持っている人が嫌いだったのですが、

その要素は確実に自分にもあり、自己否定していた部分でした。


やっかいなのはその要素が自分にあると気づけないという事。

私は自分はとても理性的な人間だと思っていたのですが、うつ病になった時にカウンセリングで本当はとても感情的な人間だという事がわかりました。

ただ今まで感情的になるのはダメだと思う事があり抑圧していただけだったんです。


その証拠に、情熱的な赤が一番嫌いな色でした。

情熱的、感情的になるのはダメと思っているので、赤を受け入れたらダメな自分になってしまう…と潜在的に思っていたんです。


もしあなたが自分のパーソナルカラーが嫌い、と思っていたらその色から感じ取れる性格要素が自分の中にないか、そして抑圧していないか、考えてみてください。

 

 

パーソナルカラーの服を着だしたらコンプレックスがどうでも良くなった

 

私がパーソナルカラーの服(ベーシックカラー以外)を着だしたのはうつ病がひどいときで、ネイビーやグレーの服ばかりの男のような色合いのクローゼットにうんざりしたからです。

もうこんな暗い色の服着たくないと赤いニットを着だしました。


私はもともとはっきりとした物言いで、おまけにクールな顔立ちと低い声なので周りから怖く思われないように声色を変えたり、自分の意見を言う事を遠慮したりと

必要以上にそのことにエネルギーを使い、毎日対人関係に消耗していました。


でも真っ赤なニットを着てパーソナルカラーを受け入れたことによって、自分の抑圧していたところが解放され、自分は自分のままでいいと思えるようになりました。

周りからもなにかと褒められることが多くなり、今まで気にしていたことが実は魅力だったんだと自分の個性を肯定することが出来ています。

 

パーソナルカラーを受け入れるという事は自分軸で生きるという事

 

パーソナルカラー関連のコンテンツをのぞくと似合う色を知ることはエンターテイメント、娯楽のように感じている人が多いと感じます。

別にそれはそれでいいと思うし、パーソナルカラーの服を着なければいけないなんてルールーはない。結果を知ってそれを活用するかどうかは個人の自由です。


しかし私はパーソナルカラーを受け入れ、活用するという事は自分軸で生きていくという事につながっていくように感じます。

パーソナルカラーは、ベストカラーが変わってもシーズンは一生変わりません。

パーソナルカラーはその人が生まれ持った資質、才能なのです。


自分のパーソナルカラーを受け付けず、ただ好きな色を着るというのは自分の資質を考慮せず生きていくのと同じです。

そもそも「好き」はその裏にコンプレックスが隠れていたり、周りの影響などで簡単に変わってしまうものです。

「好き」は簡単にブレてしまいます。


しかし「似合う色」は一生変わらないので服からアプローチし、自分にはどんな魅力があるのか理解することが自分軸で生きていくためのヒントになると思うのです。

たかが服の事で…と思うかもしれませんが、これはパーソナルカラーの服を着た人にしか分からないと思います。


あなたがパーソナルカラー診断を受けたのは自分を変えたいからだったんじゃないかと思います。

だとしたら、食わず嫌いせずとりあえず着てみて欲しいな…と思います。



人の目が気になる。それって実は失礼なのかもしれないと気づいたら、人の目が気にならなくなった

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こっち見んな。

こんにちは、サオリです

私は昔から人の目を気にしながら生きてきました。


どれくらい気にしていたのかというと、人目を意識するあまり歩き方がおかしくて高校生の頃先輩に「歩き方がおかしいから足の病気かと思ってたよ」と言われたことがあったり、

バイトしていた頃は人にどう見られているかが気になりすぎて常に緊張状態。家に帰るとグッタリ。

服に関しては雑誌の情報を鵜呑みにして「このコーデをしたらダサいんだ」「これを着なければ人に変だと思われるんだ」と思い、服に10万かける事もありました。


とにかく人目を気にしすぎてエネルギーを消耗していました。

 

人の目が気になる=自分の事を悪く思うような人たちばかりがいる、と思っている


でもいつだったか分かりませんが、気づいたんです。

これって人に対して失礼だという事を。


どういうことかというと、普段すれ違った人やコンビニの店員さんに対して「この人ダサい」とか「変なやつ」とかいちいち思わないじゃないですか。


でも私は周りに対して、私の事を悪く思うような人たちばかりだと思っていたから人の目を気にしていたんです。


「この人は私の事を悪く思う人だ」と思うなんて、その人の事をよく知りもしないのにすごく失礼な事だと思いませんか?

なんとも思ってないことの方が多いのに。


逆に人に「あなたはどうせわたしの事を悪く思っているんだろう」と思われていたとしたら、びっくりしませんか?


私は、自分に自信がなくて人目が気になっていると思っていたのですが、人の人間性をを疑っているせいで人の目を気にしていました。

 

人の目が気にならなくなるには、もっと周りを信頼すること

 

そもそも人の本心なんか永遠に分からないものです。


人に「私の事どう思ってる?」なんて聞いたとしてもその答えが好きでも嫌いでも本心だとは限りません。

じゃあどうしたらいいんだというと、もっと人を信頼することです。

どうせ人の心なんて分からないのだから、自分が楽でいれる考え方をすればいいんです。


それにどういうわけか、「世間はいい人だらけだ」と思うと周りが優し人たちだらけになるし、

「自分の周りには敵しかいない」と思うと本当に攻撃してくる人が現れるし、攻撃されないかどうか警戒しないといけないから人目も気になるんです。


「世間は自分が思っているよりいい人たちばかりだ」「ほとんどの人は自分の事を悪く思わない」と信じてみる事が人の目が気にならなくなる第一歩です。


人を信頼するには、頼る、相談する、受けとる


人を疑ってきたほど人を信頼するには訓練が必要です。


人を信頼するために私が勧めたいのは意識して人に頼る、相談する、受けとるという事です。


「受け取る」というのは、人に褒められたら素直に「ありがとう」と受け取るという事です。

褒められたときについ「そんなことないです」「でも…」と言っていませんか。

褒められることは相手からのプレゼントです。

プレゼントは素直に喜んで受け取りましょう。


頼る、相談する、が苦手な人は、買い物の時に店員さんで実践してみるのがおススメです。

私は人に頼ったり相談することは人に弱みを握られる、と思っていたのでかなりハードルの高い事でした。

でも買い物の時に店員さんに頼る、相談するのは塩対応されることもめったになくハードルが低いので訓練には最適です。


例えば服屋さんだったら「このボトムスだったらどんなトップスが合うんですか」と聞いてみるとかちょっとしたことでいいんですよね。


人を疑ってきた人にとって人を信頼するというのは怖い事ですが、こういうちょっとした積み重ねで「人に頼っても大丈夫なんだ!」と思えるようになり、人を信頼できるようになるはずです。

 

嫌な奴に好かれたらあなたも嫌な奴。失礼な人に好かれようとしてない?


けれども世の中には一定数、人に対してネガティブなことを思う人が必ずいます。

私はカラフルなコーディネートが好きなのですが、そのコーデをみて「あんなに派手で恥ずかしくないのかしら!」と思う人もきっといるはずです。


でもね、そんなことを思う人と仲良くする必要なんてないんですよ。

そんな人、受け入れる必要なんてないんです。


私が人の目を気にしていた時は、万人に好かれようとしてよく質問サイトで「○○を着たら変ですか」「○○したら変ですか」みたいなことをよく質問していました。

そして心無い回答によく傷ついていたのですが、私は心無い嫌な奴にまで好かれようとしていたから人目を気にしてびくびくしていたんです。



これは斎藤一人さんの受け売りなのですが、嫌な人から好かれたら自分も嫌な人になってしまうんです。

嫌な人は受け入れてはいけません。

 

 

【電車に乗れない】パニック障害の意外な原因と治すまでにやった事

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こんにちは、サオリです


私は過去にうつ病の他にパニック障害にもなっており、パニック障害に関しては電車に乗ることが困難になってしまい、

うつ病が治った後も乗れるようになるまで時間がかかりました。


パニック障害の原因は人それぞれですが、今日は私のパニック障害になってしまった原因と治すまでにやった事を書きたいと思います。

 

道端で突然パニックに。その後電車に乗れなくなった

 

パニック障害が起きたのはメイクの勉強のために行っていた留学先のニューヨークの道端で突然起きました。


そのとき撮影のためにスタジオ前で他のメンバーと待ち合わせしていたのですが、

一人で待っているときに突然のめまいと激しい動機で立っていられなくなりました。

このまま死んでしまうんじゃないかと思うくらいに具合が悪くなってしまい、その場で15分くらいしゃがみこんで発作が治まるまで一人で耐えていました。


この時何が起きたのか分からず、とにかく怖かったのを覚えています。

その後撮影にはなんとか参加できて一日が終了。


しかし次の日に電車に乗ったとたんめまいと激しい動悸が発生。

この頃からなぜか電車に乗ったとたんパニックが起きるようになってしまったのです。

最初に発作が起こったのは道端だったのに、電車でしか起こらなくなりました。


電車に乗れないとなると日常生活が困難になってしまい、精神科に行って薬を処方してもらったりしたのですが効果はなく、帰国せざる負えなくなりました。

 

パニック障害の原因は8年前のストレスが原因!?


帰国後、私はうつ病パニック障害にまいってしまいカウンセリングに行くことにして、

そこでカウンセラーに過去に私に起こったことを一通り話して心理的原因を突き止めてもらいました。


その原因はなんと私の高校生の頃にあったのです。


その頃私は学校生活に強いストレスを感じていて、毎朝電車に乗って学校へ行くことが苦痛でしょうがありませんでした。

そしてうつ病になり高校は中退して通信制高校に通う事になったのですが、通信制高校に通うときも電車で前に通っていた高校の人に会ってしまわないか、

電車に乗ろうとするたびにストレスを感じていました。


この出来事がいつの間にか私にとって電車がストレスを感じる対象になっていたのです。


高校生の頃から8年も経っているのに、なんで今さらそんなことが原因でパニック障害になるのだろうと思ったのですが、

嫌な体験や記憶は体が覚えており、未消化のままだとストレスが飽和状態になったときにパニックとして表面化するのだそうです。


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まずは一駅から。電車に乗ったらいいことが起こる!を体に覚えさせた


私がパニック障害になった心理的原因は、潜在意識で学校に行くストレスを電車に感じていたからです。

なのでまずは電車に乗って動悸が起きるたびに「もう学校に行かなくていいんだよ。」と言い聞かせて、電車に乗ったら目的地で美味しご飯を食べるとか、買い物をするなどして

「電車に乗ったら何かいい事が起こる!」と体に覚えさせました。


隣の駅まで1分程度だったのですが、動悸がしなくなるまで半年以上はかかったと思います。

 

安心して電車に乗るために工夫したこと


お世話になっていたカウンセラーの先生には不安に注目すると不安が大きくなるから不安から意識を逸らすよう言われていました。


なので私は音楽やスマホで漫画を読むなどして、電車に乗る不安から意識を逸らす工夫をしていました。

それでも不安が強いときは、頭の中で簡単な計算をしてネガティブなことを考えられないようにしたり、

タオルハンカチやマフラーなどふわふわ、モコモコしているものを触って心を落ち着かせていました。


他に意識したことは、リラックスして電車に乗れるように少しでも体にストレスのかかる服は徹底的に避けました。

例えば締め付けの強いジーンズや、吸水性の悪いポリエステルのブラウス、ヒールのある靴などです。

不安が強くなると、電車に乗ること以外の些細なストレスにも意識がいってしまうからです。


それから混雑している電車は避けて、確実に座れる時に電車に乗っていました。

 

無事に電車に乗れたら必ず記録して成功体験を積んでいった

 

動悸が起こっても、無事に乗れたらその日はノートに無事に電車に乗れたことを記録して、その事を体や頭に染み込ませていきました。


私は不安が大きく、動悸がすると「このまま倒れてしまうのではないか」「電車の中で吐いてしまうのではないか」という気持ちになり、不安に飲み込まれていたのですが

それまでの記録から「同じようなことが起こっても結局倒れなかったし、吐くこともなかった」と冷静に考える事ができて

「今日もどうせ無事に乗ることができる」と考えられるようになっていきました。


「また大丈夫だった」の経験が電車に乗る自信を持たせてくれました。


ちなみにパニック障害が治るまで私は一度も倒れる事はなかったし、吐くこともありませんでした。

 

2駅目からなかなか改善されず、パニック障害を治すのを諦めた!?


隣の駅までなんともなく乗れるようになっても、私の場合は2駅目から発作は起きずとも予期不安と緊張で電車に長く乗っていることが困難でした。

一応乗れるようになったものの、帰ってきた後は何もできないくらいぐったり。


この頃はパニック障害の他に、そもそも体調に不安があったというのと

隣町ですべての買い物が事足りるという事もあり、パニック障害を治したいというモチベーションがほとんどありませんでした。

電車に乗れるように訓練するのってかなりしんどい事です。


そこで私は1駅乗れるだけで生活していけるんだからとそれ以上パニック障害を治そうとするのを止めてみる事にしたんです。

 

強い目的意識が少しずつ予期不安をなくしていった


私は服が好きなのですが、ある日欲しいと思った服の通販の在庫がなく、実店舗にしかないことが分かりました。

その実店舗は隣町にはなく、一番近いところで電車で25分乗ったところにある繁華街にあるのですが、

私はどうしてもその服を手に取って見てみたくなり、電車に乗ることにしました。


こんなことが度々起こっていて「気になる服を直接手に取って見たい」という気持ちが電車に乗る不安を和らげていき、

「あれ、そういえば普通に電車に乗れるようになったな」といつの間にか電車に乗れるようになっていました。

パニック障害になってから3年近く経とうとしていた頃だったと思います。


電車に乗るときも気になっている服で頭がいっぱいだったので、やはり不安から気をそらすというのは大切ですね。

電車に乗って服を見に行きたいという強い目的意識が不安を小さくしてくれました。

パニック障害を治したい執着を手放して、服に意識がいったのが良かったんだと思います。


パニック障害は鉄分不足!?栄養療法も大事


パニック障害が治った後に知った事なのですが、パニック障害は鉄分不足と関係があるようです。

私はうつ病だった頃、本でうつ病はタンパク質と鉄分不足という事を読みました。

なので精神疾患と鉄分不足は関係ありそうです。


そのころたまたまやった血液検査では確かにタンパク質も鉄分も足りておらず、鉄分に関しては理想のフェリチン値の半分以下という数値でした。

それがきっかけで鉄剤を飲み始めて、現在うつ病パニック障害も治っていますが、

鉄剤がどれくらい効いたかは認知行動療法や漢方、カウンセリングなどいろんなことをやっていたので正直分かりません。


しかしうつ病がきっかけで栄養療法がメンタルに与える影響は実感しているので、効いていたのかもしれません。

どちらにせよ精神疾患の改善ははメンタル面と体の両方からのアプローチが大切です。

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